TOP > 蔵元紀行 > 阿桜酒造株式会社 > プロローグ

蔵元紀行 全国の銘蔵元をたずねる

会員サイト

地酒蔵元会サイトに会員登録していただくと地酒情報満載の”地酒のメール”が購読できるほかさまざまなサイト機能を活用することができます。

阿桜酒造株式会社 ~プロローグ

南を望めば「秋田富士」の呼称で知られる鳥海山、東には銀嶺輝く奥羽山脈。ここ横手盆地は米どころ秋田の中でも稲作に恵まれ、平安・鎌倉の時代より奥州の穀倉地として開けました。
現在も、人口40,400人・面積110,57㎡を預かる市の経済基盤は、第三次産業が63%を占めます。米はもちろん、平鹿郡のリンゴ・ぶどうなども名産で、その肥沃な土地柄の理由は、四季を通じて雪解け水を湛える横手川にあるようです。

冬将軍が到来する12月、横手川を中心とする市街は連日のごとく白い帳に覆われます。
牡丹雪のかがよう川面にはいずこからか白鳥が飛来し、心温かな人たちに餌付けされる光景が、雪道を行く市民を和ませています。

全国的に有名な横手名物と言えば、何はさておき「かまくら」でしょう。
毎年2月15、16日に催される“雪まつり”は、44万人の観光客で賑わいます。横手公園や市街各所に仄かな灯りをともす雪室が並び、水神様を祀った子どもたちは「入ってたんせ」「甘酒あがってたんせ」と、焼餅や甘酒を用意して人々を誘います。
ちなみに横手市役所では、かまくらを年中見物できる氷温室を備えており、また平成12年からは、全国各地への“出前かまくら”も始めました。
雪まつりの最後には、各町内や会社・団体で作り上げた“ぼんでん”と呼ばれる幣束を旭岡山神社へ奉納します。
この恒例行事は250年前から続いており、揃い半纏の若衆たちが法螺貝を吹きながら練り歩く様は、まことに圧巻。湯気を立たせる男たちは「じょやさ!じょやさ!」と威勢を揚げながら、本殿へとなだれ込みます。

4月下旬ともなれば5,000本の桜が開花する横手城(別名:朝倉城または阿桜城)も、この時期、白無垢の衣をまとったように佇み、雪解けの春を待ちわびています。
街のシンボルとして聳えるこの山城は再構築物ですが、元来は鎌倉時代から横手盆地を支配していた小野寺氏の十三代 輝道が、天文23年(1554)に普請したものです。

しかし、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦を日和見した十四代 小野寺 義道は、徳川家康から石田三成方と見なされ、翌年、石見国津和野へ流転となります。
これにより横手の町も、慶長7年(1602)、水戸(今の茨城県)から秋田領主として移封された佐竹 義宜にゆだねられます。以後、横手城には秋田藩の城代が座し、寛文12年(1672)からは佐竹氏配下の戸村氏が城代を世襲、明治維新まで継承することとなります。
そして慶応4年(1868)の戊辰戦争では、秋田藩が薩長新政府軍へ味方したため、横手城も奥羽列藩同盟軍に攻められます。残念ながら阿桜の名を語る艶美な城郭は、悉く灰燼に帰したのです。

往時の名残として羽黒町・上内町には武家屋敷跡があり、城下町の風情を漂わせています。横手川の内側に武士、外側には町人・商人を住まわせた区画からも、この流れを自然の城濠とした意図が窺えます。

城公園南東の雑木林を分け入ると、徳川開幕時の重鎮であった本多 正純・正勝 親子の墓碑が佇んでいます。
徳川 家康から全幅の信頼を与っていた本多正純でしたが、周囲からの妬みを買い、世に言う“宇都宮釣り天井”事件(二代将軍 徳川 秀忠の暗殺を謀った疑い)のため佐竹藩へ預かりの身となりました。横手城三の丸の居館で悲嘆の生活を送り、寛永14年(1637)七十三歳で病没します。人知れず手向けられた香華が、閑寂とした雪景色に映えていました。
歴史をさらに遡ってみると、平安時代の遺跡を目にすることもできます。市街から北へ約7kmほどの場所に「金沢公園」がありますが、ここは永保3年(1083)に源氏と土豪・清原氏の間で勃発した“後三年の役”の舞台として知られています。

当時、金沢柵(かねざわさく)と呼ばれたこの一帯は、清原 武則の所領でした。 武家の勃興を目指す源義家が奥州に進軍、清原 家衡・武衡と対峙します。清原方は篭城抗戦するも、源氏方の兵糧攻めによって敢えなく柵は陥落しました。
この戦で勲功を立てた源氏方の鎌倉五郎景政は、敵兵の屍を集めて弔いの塚を盛り、杉の木を植えたと伝わっています。今も小高い丘の上には、杉の巨幹を囲った「景政功名塚」が残されています。

一方、現代的なスポットとしては「石坂 洋次郎 文学記念館」があります。
太平洋戦争後まもなく発表された彼の小説“青い山脈”は一世を風靡し、映画化もされました。
この作品に影響したのが、13年間にわたる横手市での教員生活と言われています。大正15年(1926)、二十六歳だった石坂 洋次郎は横手市へ赴任し、以後、風光明媚なこの地を“山と川のある街”など多くの作品の舞台に引用しました。

四季折々の風情と奥羽の歴史を織りなしてきた町・横手。このゆかしい地の酒造りは、実は佐竹藩からの奨励・庇護を受けていたと史実に残されています。そして、市に隣接する山内村(さんないむら)は、南部・但馬など五杜氏の一指に数えられる山内杜氏の故郷でもあります。

また、阿桜酒造株式会社の前社長 石川 耿一(こういち)氏が収入役を勤める横手市政は、新スローガンに「醗酵の町作り」を考えているそうです。
地域とともに、新たな酒造りへ取り組む阿桜酒造。さて、どんな天の美禄を楽しませてもらえるのでしょうか。