TOP> 地酒の旅 蔵元紀行
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山本本家の創業は、延宝5年(1677)。331年前から現在の地にあって、元々は「塩屋」という屋号で商いを始め、塩などを扱っていたウェイトが高かったようです。その副業として酒を造りながら、営々と暖簾を守ってきています。それは徳川家によって伏見の経済が活性化し、大坂と伏見を結ぶ船運が賑わった時代であり、街路沿いには80軒もの造り酒屋が居並んでいたと伝わっています。おそらく、それらも味噌や醤油、酢などを商う、発酵食品の専門店だったのでしょう。 当時、江戸城への参勤交代の途上に上洛した西国大名たちは、京都に逗留する際に、こぞって伏見の酒を飲み明かしていたようで、洛中へ向かう高瀬舟には、おそらく山本本家の酒樽も積み上げられていたはず。 そんな頃から、山本本家の当主は代々「源兵衞」を名乗っており、現在の山本社長は十一代目の源兵衞 さんです。 |
伏見の町が歴史舞台として取り上げられるのは、風雲急を告げた幕末の頃。坂本龍馬、桂 小五郎などを筆頭に、血気盛んな勤王の志士たちが三十石舟で伏見港へ続々と上陸し、ひと息入れてから京都へと向かっていました。 休憩を取る船宿では、むろん盃を傾ける面々もいたにちがいなく、山本本家の酒もたんと飲まれていたことでしょう。
しかし慶応4年(1868)、ついに「鳥羽伏見の戦」の火蓋が切って落とされます。紅蓮の炎が伏見の町を焼き尽くし、酒蔵もろとも悉く灰燼に帰してしまったのです。ちなみに、伏見の町の土木工事の際には、焼けた材木や割れた瓦などが出土するケースも多く、往時の痕跡がくっきりと現れます。 山本本家もすっかり焼け落ちてしまいましたが、人気酒の力量を示すかのように、その年の内に母屋と酒蔵を再建。新しい時代への一歩を、踏み出したのです。 |
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大正元年(1962)には、東京の問屋と直接取引を開始します。早くも首都圏への進出を果たしたのですが、この頃から酒銘を「神聖」とします。これは中国唐時代の詩人・白楽天の“盃中に神聖のものあり、聖賢のものと名づく”との詞句から引用したといいます。 八代目・源兵衞は隠居名を道興(みちおき)と言い、茶道・和歌を嗜みました。 その造詣の深さから、表千家とは現在も親交を持ち、家元御用達の美酒を拝命しているのです。
また南画家・富岡鐵斎(1836~1924)との親交も深く、九代目・源兵衞
の結婚祝いに「神聖」の書を贈呈されます。これが今も、酒銘「神聖」のラベルを飾っています。さらに昭和37年(1962)、九代目の息子(後の十代目)が豪放磊落、しかも新進気鋭の人物だったようで、当時としては珍しく蔵主をテレビCMに登場させるという企画を考え出しました。 続けて第2弾では、お茶の間で人気沸騰中だった喜劇役者・伴淳三郎を使った「かあちゃん いっぱい やっか」を発表。これが大反響を呼び、子供たちが口真似するほどの流行語になり、世のPTAの顰蹙を買ったとのエピソードまで残っています。 一方、製造技術においても革新を巻き起こします。 昭和41年(1966)には“純粋酵母仕込み”という、酒母なしでモロミを造る技術の開発に成功。これは斯界の権威である「江田賞」を受賞する栄誉にも輝きました。 |
そして昭和51年(1976)に創業三百周年を迎えるに当たり、今や伏見随一のグルメスポットである居酒屋「鳥せい」をオープンさせています。これも十代目・源兵衞
の発案になるもので、「トリスバーに匹敵するような、日本酒の店を作りたい」が発想の原点でした。ちなみに、当時は全国に2500社の蔵元があった時代。 「そのすべてが1軒ずつ日本酒を楽しめる店を作れば、清酒需要はウンと活性化するだろう」 これが、十代目の口癖だったそうです。 今では直営2店舗のほか、フランチャイズとして17店舗が京阪神を中心に全国展開していますが、伏見の本店はゴールデンウィークには2時間待ち、普段の週末でも1時間待ちは覚悟しなければならない超人気スポットになっています。
昭和55年(1980)、山本本家の代表銘柄に成長する純米大吟醸酒「松の翆」が発売されます。数年前から地酒ブーム、吟醸酒ブームに火がついていましたが、同社も良い酒造りに励む中で、この自信作を誕生させたのでした。 実は、この酒が表千家御用達の銘酒です。 而妙斎千宗左家元の襲名のみぎり、家元自らがこの酒を嗜み、茶懐石に最適の味だとのことで、命名したそうです。ラベルの文字は、もちろん家元直筆。 昭和61年(1988)には飲食テナントビル「神聖ビル」を祇園に開業するなど、ますますの発展を遂げました。 そして、現在の十一代目・山本社長は、品質の安全・安心、酒質の向上のために、ITテクノロジーを駆使した超最新式設備を有する蔵元へと脱皮し、現在に至っています。 山本本家が長き営みの中で極めてきた美酒と技術革新に、伝統文化とは、革新の連続であることを実感します。 神聖の一杯には、新しい優雅の酒一筋に生きてきた歴代当主たちの魂がこもっているようでした。 |