


“たちばな”は、木曽路を旅した人が一度でとりこになってしまうという「穴場中の穴場」の居酒屋。ノスタルジックな“上の段地区”の一角にある店構えは、むしろ“割烹風”のたたずまいです。
「木曽駒高原でゴルフを楽しんだ後は、“たちばな”の天然の岩魚で一杯!それが、ここの常連さんのパターンなんですよ」とは、七笑酒造の川合潤吾 常務の弁。
なるほど暖簾をくぐれば、白木のカウンターの奥に、活きのいい川魚を捌くご店主・橘勇(たちばないさむ)さんの姿がありました。
橘さんは昭和13年(1938)生まれ。この木曽福島に生まれ育ち、昭和32年(1957)から旧・国鉄の機関士として、SLのD51、EL、ECのしなの号のハンドルを30年間握った人物です。
そして、JR民営化の波を前にした昭和61年(1986)、47歳にして脱サラ。あらためて人生を見つめ直し、いったい自分に何ができるのかを模索しようと、大胆にも地元・大滝村のスキー場リフト係へ転職しました。
「スキー場では、毎日が驚きと喜びの連続でしたね。機関士てのは職人的で、プライドが高くってね。専門的な世界だから、世間様のことなんてちっとも知らなかったんですよ。それが、スキー場でお客さんたちとコミュニケーションを持つことで、こんなに楽しい世界があるなんてと実感しました。これなら、もっと自分の好きなことを生かせる仕事をやろうと、料理屋を始める決心をしたんですよ。料理の修業は、毎週末ごとに静岡の友人の店へ家族総出で通いました」
そう語る橘さんは、木曽の自然と川を愛する釣り名人としても知られています。
“たちばな”で供される魚は、橘さんが木曽の深山幽谷で釣り上げたり、渓流の遊漁場から買い付けた地物です。そして、生きたまま店の水槽に移され、ゲストの口に入るわけです。
口コミで噂を聞きつけた関東・中部方面からのレジャー客には、まさに垂涎の的。
17年目を迎え、銘酒・七笑との好相性に予約が後を絶たないほどです。
橘さんが最近こだわっている食材は、“木曽錦(洋名:グレーリング)”と呼ばれるカナダ産の鮭科の一種。清流のゲームフィッシングの対象魚として、ヨーロッパでは高い人気を呼んでいます。
近年、ここ木曽福島だけが卵の孵化と繁殖に成功し、内外の注目を集めているそうです。
町おこしの一環として橘さんも率先して取り組み、あっさりとした味わいが好評。木曽界隈では、“たちばな”だけでしか楽しめない魚なのです。
なるほど、七笑酒造の木曽限定酒“木曽錦”と合わせれば、まさにご当地ならではの「地産地消」というところでしょう。
そして“たちばな”のメニューの秘訣は、素材の鮮度を生かしつつ、オリジナルな味わいに仕上げること。
川魚といえば“炭火の塩焼き”が定番ですが、それに限らず“中華ドレッシング仕立て”や“山椒味噌焼き”など、グルメの舌を唸らせるレシピが用意されています。
「木曽の親爺が創る、木曽の本物の味を、木曽の名酒で」
包丁を振るう橘さんの脇には、奥さんと娘さん。家族的な雰囲気も、都会人がほっとする魅力なのでしょう。
“たちばな”は、きっとあなたのお気に入りになる“木曽福島の隠れ家”です。