

「今年最終の大吟醸の酒母です。味わってみますか?」と、銀盤酒造の澤中 忠志(さわなかただし)杜氏はプツプツと発酵する液体を柄杓に汲んでくれました。
ほのかな吟醸香が鼻先をくすぐり、口に含めば、酒母特有の甘い酸っぱさの中にも清々しい余韻が感じられます。
「これが当社の味ですね。飲みやすくきれいな日本酒、それが私と社長が歩んで来た銀盤の酒造りの基本ですね。でも、最近は山廃など“味のある”酒質も人気が高まってきましたから、当社も独自の製法で取り組んでいます」
読者の皆様には、まだ試験段階のため仕込みタンクをお見せすることはできませんが、ステンレスの厚みや櫂棒代わりの撹拌機など、さまざまな工夫が見える、ボリューム感を備えた最新式の設計です。穏やかな酒母の冷却や酵母の発酵のために、澤中杜氏ならではのアイデアが生かされているそうです。
蔵の中を軽やかな足取りで移動する澤中杜氏の顔は、銀盤酒造とともに歩んできた自信に満ちていました。
昭和29年(1954)に銀盤酒造へ入社し、勤続50年を迎えた澤中杜氏ですが、堀川社長と同様、年並みには見えない若々しさ。その秘訣は?と訊ねると「黒部の水のせいでしょうかねえ」と照れ笑いを浮かべます。
出身は、お隣の新潟県小千谷市。もちろん、越後の杜氏集団として知られる「小千谷杜氏」の1人です。
「生まれは、農家の長男です。父親は軍人でして、酒造りは私の代が始めてでした。その頃は、農家の跡取りが冬になると出稼ぎするのは当然でしたから、周りの人たちもそうするように、この道へ入りました」
新潟県立加茂伝習農場学校を卒業した澤中氏は、17歳で蔵人の世界へ入ります。越後の名杜氏・平沢 甲作(ひらさわこうさく)氏が澤中氏の父親の友人で、その親交もあって話しはトントン拍子に進んだそうです。そして、この平沢杜氏が銀盤酒造の先代社長・堀川恒次郎の右腕であったため、その後継者として白羽の矢が立ったというわけです。
澤中杜氏が入社した昭和29年頃は、まだまだ旧来の酒造りの形でしたから、新潟から杜氏・蔵人たち25名ほどが季節労働にやって来ていました。製造石高は二千石前後だったようです。そして昭和47年(1972)10月、澤中氏は杜氏に昇格します。
堀川社長の言葉を振り返ってみると、越後杜氏が少なくなったこと、蔵人の層が薄くなったことが機械設備化への切り替えポイントだったわけですが、その点から推察すると、半世紀にわたって銀盤酒造の酒造りを担ってきた澤中杜氏は、非常に卓抜した才能の持ち主であると言えましょう。
では、設備化へと移行していく際、澤中杜氏はどのように取り組んだのでしょう。職人としての危惧は無かったのでしょうか?
「不安は無かったと言えば、嘘になります。でも、どんな設備でも、まずはマスターするまで3年はかかると思って、挑みました。堀川社長と設備化に取り組み始めたのは昭和40年代後半ですが、当初は機械メーカも酒造りに関して精通してませんでしたから、手探りで進める状態でした。それからは少しずつ確信を掴みながら、“三歩進んで二歩下がる”の連続でした。でも、それが良い経験になっています。学習することで、勘所が解ってくるんです。新しい設備の、どんな点がポイントになってくるのかが。
例えば、麹造りではこれまで4回ほど機械を入れ替えていますが、その度に改良点が的確に見えてくるようになりました。しかし、コストがかかるので、堀川社長と頭を抱えることも多かったです」
日進月歩の努力と挑戦があったと話す、澤中杜氏。おそらく身を削るような苦境もあったのでしょう。しかし、その辛抱は、堀川社長の全幅の信頼につながっているはずです。
では、銀盤酒造の酒造りを担うコンピュータ制御・管理による数値分析と、職人としての経験・能力の使い分けを、澤中杜氏はどのように考えるのかを訊ねてみました。
「例えば、麹は酵素を作り、そして酵母がそれを育て上げるわけですが、ここで大事なのは温度管理ですね。この温度管理は設備を上手に使いこなせば、熟練者の勘や経験値と変わらない成果が生まれます。むしろ、人間のように体調や気持ちの変化に左右されませんから、シビアでしょう。だから人の能力が必要なのは、その前段階の麹の原料となる米が今日はどんな質に蒸し上がったのか、手肌での判断はどうかなど、機械で察知できないことの見極めですね」
その対策としても自社精米をやらなければと、澤中杜氏は付け加えます。銀盤酒造では、酒米を100%自社精米しています。しかも効率化を図るために、電力料金の低い夜間を中心に精米を行なうのです。平均精米歩合は、高品質酒の量産体制によって50%台後半となっています。
さて、銀盤酒造の仕込み水は、荻生界隈の「清水(しょうず)」。硬度2の軟水で、銀盤酒造裏手の小高い丘陵地の麓から引き込まれていました。湧き出し口は数箇所あり、厳重に密閉されています。
この水が、淡端で清らかな銀盤の味を支えてきたわけですが、昨年からは富山湾から汲み上げる海洋深層水を使った酒造りも始めました。
「富山湾沿いの入善町の沖・386mの海底から汲み上げています。この水は、清水(しょうず)とはまったく異なる、硬い水ですね。濾過はすべて当社内で行なっています。
しかし仕込み水は、その内の25%だけしか使えません。海洋深層水自体の塩分濃度が高いので、使える量 は限られるのです」
澤中杜氏はそう言って、海洋深層水を使った新銘柄「富山湾の海洋深層水仕込み」の吟醸酒を紹介してくれました。
いわゆる男酒に近い“味のある酒”で、この濾過システムも銀盤酒造の新たなハイテク化の一環と言えるでしょう。
そして、酒米と精白については徹底したこだわりを持つ銀盤酒造。杜氏の立場としてはどう見るのでしょうか。
「当社の方針としては、山田錦へのこだわりが一番ですが、やはり美山錦でも五百万石でも精白は高くします。ただ、美山錦は砕けやすいし、五百万石は削り方が難しいのです。どうしてもコストが高くなるので、私個人としては少し白を低くしてもいいかなとも思いますが、社長は、あくまで高精白主義。誰にでも美味しくて飲みやすい酒にはコストを惜しまないのです。やはり、それが銀盤の酒造りなのです」
その方針を次代に引き継ぐ日がいずれやって来るわけですが、澤中杜氏の後継者には、地元・富山県出身の荻野 久男(おぎのひさお)杜氏が控えているそうです。
「彼の時代も含めて、今後は男性の技術社員を増やしていこうと堀川社長と相談しています。そして、現場体制をさらに整理して、より働きやすい環境を作っていこうとしています。現在は造りの期間でも完全週休制ですが、さらに余裕が持てるように、自動化・コンピューター化の場所を増やしていくつもりです」
2万2千石という製造量のため、甑倒しは5月半ばになっている銀盤酒造ですが、次なる澤中杜氏の現場計画が進めば、これも前倒しにできることでしょう。
次回訪れる時には、「銀盤の山廃」をぜひ飲んでみたい……引き揚る車内で、取材スタッフ一同は、口を揃えて合唱するのでした。