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鹿野酒造株式会社 ~水・米・技の紹介

農口 尚彦 杜氏、能登杜氏四天王、伝説の山廃酒。この3つのキーワードを聞いただけで、おそらく地酒つうなら誰もが笑顔を浮かべ、「あの旨い酒が、飲みたいなあ」と喉を鳴らすことでしょう。
57年間にわたって酒造り一筋の人生を歩み、全国新酒鑑評会金賞を24回受賞(連続12回)という輝かしい功績を持つ農口 尚彦 杜氏。天稟の匠の技で丹念に米の旨味を醸す山廃仕込みは、日本酒ファンだけでなく、全国の酒の造り手にとっても憧れの的です。
いよいよ、取材スタッフが期待に胸躍らせるインタビューの始まりです。
「私は16歳になった昭和23年(1948)から、酒造りの世界へ入りました。祖父、父、私と三代続いた能登杜氏の一家です。初めは三重県松阪市の蔵元、静岡県富士市の蔵元などで8年ほど修行しまして、28歳の時に杜氏を任されました。徒弟制度の真っ只中で先輩後輩の関係が厳しかったですから、酒造りをなかなか教えてくれず、とにかく必死で見て学ぶ、体で覚えることの連続でした。でも負けず嫌いでしたし、こらえ性だったので、少しでも人より頑張ろうとしましたよ」  そんな農口 杜氏は、若い頃から酒をほとんど飲めないと語ります。酒に溺れることのない日々がたゆまぬ努力の要因になり、弱冠28歳の杜氏抜擢となったそうです。  しかし、年功序列だった当時の職人社会では、若い杜氏へのコンプレックスを露わにする蔵人たちも多く、農口 氏は悩みと迷いを日々繰り返したそうです。

「そんな頃、昭和38年(1963)に移った白山の酒蔵で、自分の運命を決定づける出会いを頂きました。今日の私があるのは、そこで勤めた35年間の御蔭です。蔵元は京都帝国大学を卒業された学者肌の方で、物作りへの姿勢と心を追求する立派な人でした。良い酒を造ったら褒められるのですが、悪ければ徹底的に叱られました。そして常に私が造った酒の分析をして、頻繁に国税局の方や重鎮の先生を招いて品評を頂き、多くの意見・感想を聞かせるのです。それが、若かった私の骨となり血となりました。以来、酒造りで片時も気を抜くことができなくなりましたよ(笑)」
当時、数々の専門家たちは「農口君の酒は、新酒よりも熟成するほどに旨味が増して、秋には素晴らしい調和を生み出すね」と驚嘆の口を揃えたそうです。香りよりも米の味が円熟してくる、いわゆる濃醇旨口の酒。それは、今も農口流の真骨頂です。

さて、それでは読者がお待ちかねの農口流・常きげんの技について、解説をしてもらいましょう。
「酒造りの大半を占める酒母やモロミの段階で肝心なのは、仕事のケジメです。つまり、求める酒の品目ごとに決めたマニュアルを、徹底して正確に守ることです。例えば、最近の酒母は速醸、山廃などタイプが異なり、しかもそれぞれに何種類もある酵母から選んで使います。いろんなタイプの酒が求められる時代なので仕方ないわけですが、あれこれと造っている内に、仕事に慣れが生じて、分け隔てのない造り方に陥りがちです。つまり同じ速醸タイプでも、酵母が違えば当然造り方は変わるはず。ですから、正しい段取りができる正確な知識、頭の中の整理整頓、機敏な判断、それを積み重ねた応用力が大事なのです。ですから、ルールを守らない曖昧な判断と妥協した所作が一番いけません」

農口 杜氏は、モロミ管理において、発酵が始まり温度が上がっていく状態では、朝一番からのマニュアル通りのチェックと所作ができれば充分と言います。
そして温度を下げていく段階では、分析値ごとに部下の報告と意見を聞き、それに対するきめ細かな指示を与え、マニュアルの遵守と応用力を組み合わせていくのです。

「私の造る酒は味がしっかりして、キレと旨味を持ち合わせていることが特長です。それは長年中硬水を使ってきた結果なのですが、鹿野酒造の“白水の泉”は軟水でした。軟水の場合、秋上がりしにくいかなと思っていましたが、これまで修得した技術と経験で上手く調整すれば、同じ品質に持っていけることを実感しました」
農口 杜氏が言うように、軟水仕込みは穏やかな低温発酵をじわじわ進めていくことが基本。しかしその酒の味はほとんどの場合、柔らかくて女性的な淡麗タイプが多いようです。

軟水で、自分の持ち味である濃醇ドッシリとした酒を醸した農口 杜氏。その卓越した技には、何がポイントだったのでしょう。

「やはり糀です。私は糀造りこそが、日本酒造りの真髄だと思います。極端に言えば、全国各社の酒の味とちがいは、糀造りのちがいにあると言っても過言ではないでしょう。そして、毎日の糀に入る水分の微妙なちがいによって、糀の出来具合は変わるのです。室へ入った米は2昼夜半で糀になりますが、その水分量 によって愚の骨頂にもなるし、神様の化身にもなります。

その鍵は、杜氏の経験と能力が握っているのです。
毎日の米の洗い方、浸けるタイミングや時間のつぶさな確認、蒸し上げてからの乾き具合と、求める糀に一番ベストな水分量に調節する。これを怠りなく徹底すれば、日々、真剣勝負にならざるを得ないはずです。ですから、糀造りはマニュアルだけでは成し得ないということですね」
農口 杜氏の瞳が、ますます輝きに満ちてきました、その口からは最高の糀を造るための細やかな解説がさらに披露されます。またとない貴重な話を、今しばらく聞かせてもらいましょう。



「糀造りは、基本的に3つの重要な酵素によって支えられます。タンパク質を分解してアミノ酸を造る酵素、デンプンを液化する液化酵素、液化されたものをブドウ糖に変える酵素です。これらの酵素バランスは、酒母の糀、初添えの糀、仲添えの糀、留め添えの糀ごとに各々ちがっていなければ、与えられた役割を果たせません。そのための大事なポイントに、もやし(種糀)の植えつけがあります。人の目と手と頭で、蒸し米の状態や温度を丁寧に確かめ、そして振り方も考えて植えつけなければ、求めている糀は造れないと思うのです。ですから、もやしをバサバサと機械で振りかけるようなことでは、今言ったような、それぞれに役目の異なる糀はできないと私は考えます。それをしない酒は、通り一遍の無難な味と香りになっても仕方がないですし、私の求道してきた本物の酒造りではありません。手造りにこだわればこだわるほど、糀ごとの酵素バランスの精度は上がるのです」
農口 杜氏は、3つの酵素バランスの話を三角形に置き換えて説明してくれました。
例えば山廃酒母を造る時の糀ならば、どの酵素もたっぷりと力があり、大きな正三角形のようなバランス。それは力強い山廃酒母に応じた、早く分解する糀を造るためです。しかし吟醸の留め糀になると、バランスは二等辺三角形タイプ。アミノ酸を造る酵素とデンプンの液化酵素をぐっと少なくして、ブドウ糖に変える酵素を引き出します。30数日もかかるモロミ日数の中で、一番遅くまで並行複発酵と分解をスムーズに進める吟醸酒のための糀です。


農口杜氏はこの例も含め、さまざな土地ごとの気候風土、各社ごとの製造環境・設備に適したバランスの良い糀造りを、杜氏・蔵人が持てる能力をとことん発揮して見出すこその昔、灘のある蔵元を見学した時、信じがたいほど破精込みした糀を使い10数日で出来上がる生酒を目の当たりにしたそうです。それは硬水に近い宮水と山田錦による総破精の糀が旺盛な発酵をうながした結果で、灘の風土・環境ならではの仕込み方だったと農口 杜氏は振り返ります。
このように、求める酒に応じてきめ細かに造り分けた糀造りが、農口流の美酒の原点と言えるでしょう。


さて、農口 杜氏に山廃仕込みの常きげんを、分かりやすく表現してもらいましょう。
「濃くて、しかもきれいな飲み飽きしない酒でしょう。私は、並行複発酵とは酵母の要求するだけ糖を与えることだと考えていたのですが、実際に山廃仕込みを始めた時は、それがちがうことに気づきました。山廃仕込みは糖の圧迫を受けながらジリジリと発酵し、濃醇かつ酸味のあるバランスの良い酒になります。これを速醸のような酸の弱い酒にすると、もったりした味が残ります。つまり良い酸が出る山廃酒だから、キレが生まれて、飲み口がきれいなのです」
その極上の酸味を持つ山廃酒の技を、かつて自分自身が飴と鞭で育てられたように、今、若い蔵人たちへ精魂を傾けて引き継いでいるそうです。
「任せる所は、すべて任せています。まずはマニュアルを守って、細かな仕事を一つずつ確かに処置して学んでいくことです。私が絶対の責任を持たねばならない仕事は、必ず“目は離さず、手を離して”指導しています。しかし、まだ自分なりの信念があるので、なかなか櫂棒は譲れませんよ(笑)」

農口 杜氏は、いまだに仕込み期間は1日たりとも休まず、朝は一番に糀を切り返し、矍鑠として采配を揮っています。入社した頃はその厳しい指導に音を上げてしまった蔵人もいたそうですが、今は紅一点の女性蔵人も踏ん張っていて、その成長にまなじりをゆるめています。

時を忘れて限りなく続けたいインタビューですが、最後に筆者は「農口 杜氏の信念であり、名著の題名でもある『魂の酒』」……その極意とは?」と訊ねてみました。
「長い酒造りの人生で教わったのは、『良い酒を造りたければ、いつも寸分の気のゆるみも許さない』こと。若い頃からそんな局面を大いに経験して、悩み、聞き、実践することですね」
その名言を答えるいぶし銀のような表情に、「職人」を超えた「職芸」と称えられる農口 杜氏ならではの人となりを実感したのです。