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株式会社宮﨑本店 ~蔵主紹介

有形文化財指定のレトロな本社応接室で宮﨑由至(よしゆき)社長のトークが始まると、座談の場はいきなり笑いの渦!パフォーマンスたっぷりの語り口に、取材班の面々はすっかり呑み込まれてしまいます。
「父の礼五は大阪大学大学院で工学博士を目指すほどの秀才でしたが、私自身はまったくの凡才で、何の才能も持っていません。まあ、蔵元らしからぬところが、唯一とりえですね(笑)」
そう謙遜する宮﨑社長ですが、実は、三重県経済界の要職も務める立場。また、敏腕経営者として知られ、講演の依頼も多く東奔西走しています。
宮﨑本店の営業幹部いわく「例えば、当社のISO9001、14001の取得は、酒造メーカーでは国内初クラスでした。私は今、“経営品質責任者”の資格にチャレンジしています。とにかく、社長からは新しい課題やアイデアが雨あられと降ってきますので、頭も体も付いて行くのが必死です」 インタビューが進むにつれ、筆者には宮﨑社長のビジネスフォーカスがひしひしと伝わってきました。そのマネージメントセンスには、やはり逆境を克服する“宮﨑イズム”を実感するのです。

宮﨑社長は、昭和22年(1947)生まれの57歳。紳士的な雰囲気の中にシャープな印象を感じさせますが、その物腰は豪放かつ愉快です。
宮﨑家の長男として生まれ、厳格な祖父と学者肌の父親のもとで育ちましたが、本人の弁では「とにかく祖父が怖かった。私の家では、地震・雷・火事・オジイでした」とのこと。慶応義塾大学を卒業後、数年間の大手醤油メーカ-勤務を経て、昭和47年(1972)宮﨑本店に入社しています。

当時は、そろそろ第一次地酒ブームが到来し始める頃でした。
「醤油メーカーに勤務していた頃、“特選街”などの雑誌で地酒を目にしましたが、いっこうに“宮の雪”は取り上げられなかったのです。人気のある地酒は、やはり、その地元で売れているものばかりでした。その頃の当社は関東圏が主たる市場で、中部圏では微々たるシェアー。これを覆そうと、戻って来た私は躍起になって地元の流通会社や酒販店を回りましたが、けんもほろろの扱いでした」

創業以来、東京ルートを優先してきたため、地元への供給はともすれば後回しになっていました。そんな宮﨑本店に、「はい、そうですか」と二つ返事をしてくれる地元企業はありません。足繁く日参しても「どうせ、焼酎臭い酒だろ」、「東京を相手にすればいいじゃないか」と冷たくあしらわれる毎日でした。
また、醸造用アルコールを長年納めてきた地元日本酒メーカーが、改めて“宮の雪”の競合会社になることに、父親の礼五は難色を示しました。

「当時の営業部では、それが“宮の雪”の売れない口実にもなっていました。私は父と激論し、しゃにむに地元市場のローラー作戦を展開しました」

そして3年後、宮﨑社長たちのセールスプロモーションはついに成功。
リリースした新商品“極上 宮の雪”のふくよかな香りと旨味がマスコミに取り上げられ、地元ルートからは堰を切ったように注文が入りました。
こうして宮﨑は地酒メーカーとしても、確固たるブランドを立ち上げたのです。

さて、宮﨑本店の掲げるコアコンピタンスとは、何なのでしょうか。
「それは、“革新性”の一言に尽きます。当社のような中小の蔵元は、これがなければ大手企業のパワーには対抗できません。そのためには家業的経営や旧態然としたルールにこだわるのではなく、蔵元自らが新しいマネージメントやマーケティングに挑み、陣頭指揮を執ること。それによって社員それぞれが新しい自分自身を目指し、学習と経験を積み重ねる。この結集によって、企業力はスパイラル状に成長します。社員は大変だろうと思いますが、今そこにある危機を感じているなら、日々の革新は自ずと生まれるものです。例えば、当社の蔵は有形文化財の指定を頂戴していますが、これとて160年の歴史に胡坐をかいているだけでは持ち腐れてしまいます。日々の手入れを怠れば、その時点で価値は消えてしまうのです」

酒蔵のような伝統的産業に共通して欠けているのは、斬新な発想や柔らかな頭だと、宮﨑社長は指摘します。入社した頃の宮﨑本店では、商品開発を始めると営業は営業なりに、現場は現場なりの考えに固執し、お互い一歩も引かぬ状況でした。
そんな関係を叩き壊すべく、宮﨑社長は口八丁手八丁で社員に力説したそうです。



日本酒が低迷する今、“極上宮の雪”を筆頭に宮﨑本店の特定名称酒は、年々出荷量を上げています。その秘訣を宮﨑社長に教えてもらいましょう。
「どちらのメーカーも前年割れの状況の中、お陰様で当社の特定名称酒は僅かながら伸びています。特に一升瓶2,000円代の本醸造・純米酒など、コストパフォーマンスの良い商品が人気を呼んでいます。これは、当社がれっきとした伝統の日本酒蔵元とはちがう存在で、当初から高級品や希少品ではなく、味も価格も大衆に喜ばれる商品を目指したからだと思います」
“宮の雪”の商品ラインナップは、“幻の酒”のようなマニア向けの酒ではありませんが、可も無く不可もない普通酒とも異なり、いわば中庸な位置にあります。しかし、今は納得感のある価格と味わいのある特定名称酒が望まれていて、前述の両者のニーズが落ちたことが日本酒全体に響いているのではないかと、宮﨑社長は読んでいます。

誰にも好まれる値ごろ感のある酒とは言いつつも、“宮の雪”の品質は一級品の評価を受けています。宮﨑本店は、業界の魁となって昭和59年(1984)からベルギーのモンドセレクションに出品。以後、平成15年(2003)まで金賞を連続受賞しています。
また、モンド賞へのエントリーだけでなく、国際品質規格ISO9001、国際環境規格ISO14001シリーズの取得も、宮﨑社長がリーダーとなって取り組んだ大きな改革でした。
その意図にも、社長の秀逸な経営コンセプトを知ることができます。
「今や酒販免許はオープン化し、業界の規制はますます緩和されることでしょう。いずれは、風上であるメーカーにまで及びます。そうなれば、これまで異業種だったブランドや大企業が乗り込んで来るわけです。酒類製造業だけの領域に、食品製造業・総合製造業の看板を掲げたメーカーが陸続とやって来ます。そうなった時、私たちは彼らに勝負を挑む前に、まず同じ土俵に上がれるでしょうか。相手は製造メーカーとして、あらゆる責任や価値を理解し、万全の体制を備えています。ですから、モンドセレクションであれISOであれ、社員それぞれの資格・ライセンス取得までも、当社にとっては常識なのです」



それでは、次代に向ける宮﨑社長の抱負を聞いて、インタビューを終えることにしましょう。
「気宇壮大な話ですが、ブルゴーニュワインのロマネコンティ社が私の理想形なのです。たった300坪のロマネコンティ社の畑からは、6,000本ほどのワインしか造られません。それを1本50万円で売ったとしても、年商は30億円。当社の年商よりも少ないのです。しかし、ロマネコンティを飲んだ人の顧客満足度は途方もなく巨大で、一生涯続く顧客になります。さらにはロマネコンティの社員も、世界一のワインを造っていることに幸せを感じています。そして、地元であるコート・ド・ドールの市民には、名誉であり自慢なのです。それでも、年商は30億です。

当社の規模も今以上の物にはなりませんし、できません。適正規模の中で、どれだけお客様に満足をしてもらえるか、社員が幸福かどうか、地元に貢献しているかどうか。この3つのテーマを達成することが、私の大きな課題です」

昨年、宮﨑社長は社員を引率して渡欧、ロマネコンティ社を訪問しました。
さまざまなワイナリーが同居するコート・ド・ドールで、なぜロマネコンティだけがメジャーになったのか。小さなフィールドを目の当たりにした宮﨑本店の社員たちは、目から鱗が落ちたそうです。
「実は、今年から楠町産の米を使った純米酒を仕込みます。2月に地元の若い農家の方が『ぜひ、“宮の雪”の酒米を作らせて欲しい』と申し入れに来たのです。この米は“右近錦”ですが、私としては好機到来!願ったり叶ったりの出来事でした」
これが成功すれば来年も別種の米作りに取り組み、自社内で田を耕し、土造りから始まる地産地消の酒造りを実現すると、宮﨑社長は目尻をほころばせます。
昭和56年(1971)から継続している「宮の雪日本酒大学」でも、話題になることでしょう。
八面六臂に活躍する宮﨑社長は、まさにプレイングマネジャー。そのモットーは?と最後に突っ込めば「正統派異端系ですね」の粋な言葉が返ってきました。
ロマネコンティも驚かす新しい“宮の雪”が、待ち遠しいばかりです。