

高瀬川沿いの三栖公園に向かって伏見の町を行けば、一瞬、タイムスリップしたかのような憧憬に出会います。
澄みわたる青空を背にする赤レンガ造りの煙突、文明開化の時代を髣髴とさせる木造漆喰壁の松本酒造の佇まいは、伏見のランドマーク的な存在としてさまざまなメディアにも登場しています。
「この八角形の煙突は、大正当時は石炭を燃やして米を蒸していたんですね。昭和36年(1961)まで、石炭を燃していましたが、その後永く使っておりませんでした。かなり老朽化し、平成7年(1995)の阪神淡路大震災で亀裂が広がってしまったのです。偶然、走っている車からこの煙突を見た専門業者の方が『この煙突、このままだと倒れますよ!』と飛び込んで来られ、甚大な被害が判明したのです。修復には相当な費用がかかりましたが、京都市の歴史的意匠建造物に指定され、補助を頂きました」
そう語るのは、松本酒造蔵元の松本 保博 社長です。
松本 社長がインタビューに応じてくれた場所は、敷地内に建つ寺院風建築のお屋敷「万暁院(まんぎょういん)」。酒林(杉玉)を提げた唐破風の玄関を入る時「この玄関部分は、洛中にあった織田 有楽斎(おだ うらくさい)の屋敷のものです。約450年ぐらい前のもので、縁あって、ここにあります」と言われ、取材スタッフは茫然と立ち竦みました。 玄関を飾る調度品も、確かな文化に裏打ちされた歴史ある品々。 そして、日本庭園を配した座敷に案内されると、松本 社長は一幅の掛け軸を見つめつつ、松本酒造の創業について語ってくれました。何と! その掛け軸には「円山 応挙(まるやま おうきょ)」の落款が押されていたのです。
松本酒造の創業は、寛政3年(1791)。いわゆる、江戸中期の寛政の改革期に当たり、時の老中・松平 定信(まつだいら さだのぶ)により、質素倹約が推進された時代です。
度重なる飢饉により、米は凶作。全国諸藩の財政が窮迫し、多くの武士が浪人化した頃でした。松本酒造の創業者・松本 治兵衛(まつもと じへい)は、彦根藩井伊家に仕える武士でした。
掛け軸に画かれた創業者の父・彦四郎は、太刀を背後に置き、脇差のみ腰に差していますが、これは“元は武家であったこと”を示すしきたりなのです。
さて、商いに身を立てる覚悟を決めた創業者は、彦根を後にし、活況を呈していた京都に移り住んだようです。しばらくは商家に見習いとして入り、数年後ようやく商いに慣れると酒造株を手に入れ、蔵元の道を歩み始めます。商号は「澤屋(さわや)」としました。彼は、東山伏見街道の本町に蔵を設け、初心者ながら順調に商いを拡大しています。彼の商才は非凡なるものだったようで、また、腕前の良い杜氏・蔵人にも恵まれたのでしょう。
それから一世紀近くを経た明治維新直後、松本酒造は大きな飛躍を遂げます。
時の当主は“機を見るに敏”なる人物で、こんなエピソードを残しています。
慶応4年(1864)に起こった戊辰戦争で、薩長軍は洛南の東福寺に駐屯していました。いったん戦闘が始めれば、京の町は火の海と化し、食料の略奪から火付け、陵辱が繰り返されることは明白でした。
そこで当主は、「先んずれば制す」とばかり薩長軍に大量の米を提供し、被害を最小限に食い止めたのです。それどころか、軍の上層部から大いに感謝され、礼として刀(備前長船)をひと振り与えられ、馬にまたがった記念写真を撮影してもらったほど。その凛々しい姿は、今も松本酒造に残っています。
官軍が勝利をおさめ新政府が樹立すると、この協力が評価され当主は山城地方一円の酒税監察補佐官に登用されました。
そして明治40年頃、銘酒「日出盛」が誕生しました。
大正時代に入ると、現社長の祖父が身代を継承し、名水の地・伏見へと蔵を増設。「酒屋万流(さかやまんりゅう)」の諺どおり、多彩な才能を発揮します。
「現在の松本酒造の社屋と6000坪もの敷地は、私の祖父によって完成されたものです。彼は商才だけでなくエンジニアとしての才能も備えていたようで、アイデアマンであり、商人としてお金の始末はキッチリしてましたから、何でもかんでも自分で作り上げてしまう人でした。大正時代にはオリジナルの冷蔵設備を開発しました。
また、祖父は日本文化の伝統・歴史観への造詣も深い人物だったようです。
この「万暁院(まんぎょういん)」は、祖父が昭和29年(1954)から4年間をかけて建築しました。
ちなみに“万暁”の名は「一万回の暁(あかつき)」と言う意味で、大正11年(1922)に祖父が新しい蔵を建てて以後、30年を経たことに由来しているそうです」
万暁院は、正門に旧・織田 有楽斎邸の表門を据え、玄関には有楽館長好閣玄関、奥座敷には円山 応挙の掛け軸や徳富 蘇峰(とくとみ そほう)の揮毫、庭園には天正時代の三条大橋の桁石と、伏見桃山城にあった秀吉お気に入りの「おしどりの井筒」など、京都の歴史の粋を極めるような逸品が揃っています。
歴史好きの筆者にしてみれば垂涎の的の品々。おしどりの井筒を触りつつ、あの豊臣 秀吉の使う姿を想うだけで胸が高鳴るのです。
その一部は、「お宝紹介」ページに掲載しています。
松本酒造は昭和58年(1983)に新しい銘酒「桃の滴」を生み出したのです。
そしてこの「桃の滴」の銘は、蔵のすぐ近くにある古刹・西岸寺を訪れた俳聖・松尾 芭蕉の句に由来しています。
わが衣に ふしみの桃の 雫せよ
桃は、桃山文化の象徴を意味してもいるようです。
平成19年(2007)、松本酒造の蔵は経済産業省により「近代化産業遺産」に認定されました。認定されたのは伏見や灘の酒蔵数社ですが、その中で現役のまま働いているのは、松本酒造の蔵だけです。
そのゆかしい佇まいには、伏見の文化をこよなく愛し、伝統の“京酒”を醸し続ける蔵元の心が映っているように思います。