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松本酒造株式会社 ~水・米・技の紹介

「近代化産業遺産」に認定された松本酒造の蔵には、そのレトロな外観と対照的な最先端の醸造設備が備えられています。
中でも、高品質の原料を処理する洗米や浸漬工程には、松本社長自らがプロジェクトに参加して開発したオリジナルな自動化システムも取り入れられています。
しかし、「それでも最後は、匠の技量が物を言いますね」と言うだけあって、この蔵を任される人物が相当な腕前の持ち主であることは疑いありません。
「いえいえ、これからが私の正念場です。昨年、杜氏を受け継いだばかりですから、どっかりと責任の重さを感じています」

はにかみつつ、そう答えてくれたのが、平成18年度の酒造りから醸造現場の責任者となった、前谷 龍夫 製造部次長・杜氏です。
前谷杜氏は、愛媛県四国中央市の出身。訊けば、実家は代々、地元の造り酒屋とのことで、その延長線上で酒造りの道へ入ったそうです。
蔵元から造り手へと転身した理由には、元・蔵元の子息らしいエピソードがありました。
「私が高校を出た頃、実家はほとんど自家醸造をやめておりました。ですから、酒造りにはさほど興味を持っていなかったのですが、東京へ旅した時に、著名な先生の吟醸酒を口にしまして“目からウロコ”のように驚いたのです。それで火が点いて、いつか自分自身が本当に美味しいと感じる酒を造ってみたくなったのです。でも、そんなに甘い世界じゃなかったですよ(笑)」
いささか緊張していた面持ちが、“酒”の言葉を発した途端にほころびるところを見ると、前谷杜氏は根っからの左党のようです。
さすがに蔵元の血筋、筆者もインタビューに力が入ります。

それでは単刀直入に、まずは銘酒・桃の滴の魅力とは何ぞや!? を問答うてみましょう。
「私が松本酒造へ入社したきっかけでもあるのですが、“良い米”を原料に使用させてくれるということがまず第一です。つまり桃の滴の美味しさは、非常に厳選した原料を使い、当社の最新鋭の原料処理を施すことから生まれます。この原料処理をキチンとこなせば、麹も酒母も、モロミも、ほぼ望む成果を得られると想います。私がこの世界に入門した当初、灘のとあるメーカーに入社したのですが、そこでは一般的な酒米が主な原料でした。ですから、ぜひ高品質の酒造好適米を使った酒を造りたいという思いが、常に胸中にありました。その当時、松本酒造の酒を飲ませてもらって、とても感動し、この門を叩いたのです。きっと、どなたもひと口飲めば、香り、旨味、キレのバランスの良さが分かると思います。」
冴えわたるその酒の味に惚れ惚れしたことを刻銘に憶えていると、前谷杜氏は当時を振り返ります。

ところで、原料処理にこだわる前谷杜氏は、伏見の水をどのように感じているのでしょう?
「当社の仕込み水は、柔らかくてまろやかですよ。だから、“桃の滴”もふくよかな旨味が感じられるわけです。山田錦にしても、五百万石にしても、ほどよくモロミに溶けて、発酵が穏やかです。また、この水で正確な洗米、浸漬、蒸米を仕上げれば、上質の麹が完成します。伏見に勤めてみて、“女酒”と言われるゆえんが良く理解できました」
まろやかな口当たりと喉越しの良さに、根っからの酒好きということもあって、ついつい飲み過ぎてしまうと前谷杜氏は笑います。
筆者はふと、前谷杜氏は駆け出しの頃に灘の酒造りを経験した人と聞いて、その水のちがいを訊いてみたいと思いました。

「そう問われましても、一概にどうとは言えません。いろいろな状況がありますのでね。私が経験したのは、搾りたての生原酒が日本酒度+2だったのに、すぐ濾過した後で、さらに+1~2辛くなってしまうという現象でした。ですから、灘の宮水はやや硬いのでしょうかね」
なるほど、灘の酒が“男酒”と呼ばれる理由が、実感できるコメントでした。

さて、一年目の前谷杜氏にとって、今後の課題や夢は数々あるはず。十数名の現場を率いる親方として、今、何を想っているのでしょうか。
「まずは、人の“和”です。どんなに凄い腕前の杜氏がいても、どんな素晴らしい設備があっても、造り手の和がなければ良い酒は生まれません。厳しい仕事なので、楽しく和気藹々とはいきませんが、それでも、全員が気持ち良く励める酒造りをリードしていきたいと思っています」

いささか紅潮しながら、締めくくってくれた前谷杜氏。ところが一瞬、感懐深く、黙り込んでしまいます。
驚いた筆者ですが、しばしの間、何かを噛みしめるかのように黙り込んでいた前谷杜氏は、ゆっくりと口を開きました。

「私を育てて下さった、石井 松治 杜氏のお顔を思い出しまして……親爺さんは、亡くなる直前まで、酒造りのことを口にされていました。昔から、本当に酒一筋の職人気質で、酒の匠とはこういう人のことを言うのだなと、若僧の私は日々憧れていました。そんな私に、『愚痴や弱音を吐くな。日々、コツコツと頑張れば、道は開けるものだ。そして、職場の和を大事にしろ。そうすれば、酒の神様は、ちゃんと見てくれている』と励まして下さいました。私は、その恩に報いる道をようやく始めたばかりですが、現場のみんなと一つになって、教えて頂いた酒造りの心を守っていこうと思っています」
思わず筆者も、目頭が熱くなる思いでした。
前谷杜氏の真摯で誠実なその心は、きっと、今年の“桃の滴”に醸されている気がします。