

賀茂鶴酒造株式会社の本社敷地は、三万坪をゆうに超えています。閑静かつ広大な敷地内には、赤い色艶のあぶら瓦やいぶし銀に輝く石州瓦の甍が彼方まで連なっています。その一画、御茶屋本陣の総門の隣に本社オフィスを兼ねた白亜の洋館が佇んでいました。レトロな和・洋のコントラストに、賀茂鶴酒造株式会社の伝統をひしひしと感じます。
この大正ロマネスクに満ちた空間で取材スタッフを迎えてくれたのが、賀茂鶴酒造株式会社 取締役相談役 井原 哲 氏です。
瀟洒なサロンに入るや、窓枠には酒都・西条のノスタルジックな光景が映っていました。 「山陽道に沿ったこの界隈には、現在8つの酒造メーカーが立ち並んでいます。当社はまさにこの場所で産声を上げ、清酒盛況の時代を象徴する8つの蔵が年輪を重ねています。ここから少し離れた場所に吉富蔵、御園蔵もありますが、現在使用しているのは第2醸造蔵、第8醸造蔵、御園蔵の3ヶ所です。私が入社しました昭和44年(1969)頃はすべてがフル稼働していました。関東・関西から絶え間なくリクエストを頂戴したのですが、醸造が追いつかず、なかなかニーズにお応えすることができませんでしたね。
来る日も来る日も、お詫び行脚でした(笑)。でも新商品を出せば大ブレイクしますし、プレミアム商品も話題になるわで、まさに時代の寵児のようでした。今思えば夢幻の時代ですが、現状の日本酒消費量は、自由市場と資本主義の原理原則から見れば当然やってくる新たな波でしょう。ただ、当社が追求し続けている哲理は、創業時から何ひとつ変わっていないのです。それは、日本酒の神々しさを見つめ続けることですよ」
生粋の広島人である井原 相談役の紳士な雰囲気、ユニークかつ魅力的な語り口にスタッフの緊張が和みます。
現在、賀茂鶴酒造の製造量は約2万石。昭和時代の最盛期は70000石に迫る勢いでしたが、先述の井原 相談役の言葉にあるように、それでもニーズをこなしきれませんでした。
その理由には、今も脈々と守り継がれている賀茂鶴イズムがあるようです。
「御得意先様のニーズに対応できなかった理由は、原料米が足りなかったためなのです。 当社は創業時より西条周辺の山間地で収穫される酒米にこだわり、現在の酒造好適米のほとんどがそのエリアに限った栽培をお願いしています。
例えば、八反錦などは一つの谷間の収穫をすべて買い取らせて頂く契約をしています。昭和40年頃に爆発的なブームとなった大吟醸・特製ゴールド賀茂鶴は、別の栽培地からの原料を取り寄せれば設備的には量産できたのです。しかし、当時の経営トップの方々が酒造業によって文化啓蒙と地域貢献に徹してきた歴代社主の企業思想を思えば、それは愚の骨頂だったのでしょう。地産地消、身土不二などと近年はかまびすしく謳われていますが、当社は半世紀前よりその意義にこだわっていたわけです」 井原 相談役がセールス部門の第一線で活躍した頃は、売り手市場の清酒ブーム。大手清酒メーカーのテレビコマーシャルや番組提供が話題となり、灘や伏見の酒が全国に広まった時代です。市場は一級酒、二級酒が大部分を占めていましたが、本道を歩む賀茂鶴酒造は特級酒、吟醸仕込みに心血を注ぎ、大蔵省や国税局、酒造業界へ本物志向の酒造りをアピールしたのです。
明快な解説の中で、井原 相談役の口からは「The酒」のキーワードが幾度も発せられます。聞き慣れたフレーズのようですが、その本旨には壮麗な賀茂鶴酒造のテーマが秘められているようです。
では、日本酒の真理を掲げ続けてきた賀茂鶴酒造のこれからの理念、理想とはどのようなところにあるのでしょうか。
「非常に難しい質問ですね。いわば『日本はどこへ行くの?どうなるの?』に等しいようなテーマだと私も受け取っています。当社は、日本酒とは御神酒であり、やおよろずの神々の恵みによって生まれた清らかな酒は、久遠の時代から日本人の心身を清め、癒し、育んできた神聖な存在であると考えます。そこからさまざまな趨勢を経て、今日のように豊かな形へ発展してきましたが、失った物も多くあると思うのです。明治時代の西洋化、大正時代の和魂洋才、昭和の産業大国、そして平成以後のIT革命やグローバル化と日本はたった150年あまりで2000年間の伝統と文化を激的に変えてしまいました。最近は、礼儀、作法、秩序、道徳、躾といった言葉を耳にすることもめっきり少なくなってきましたね。つまり、私たちの先祖たちが紡いできた精神が、忘れ去られてしまっていると思うのです。かつて日本には“道(どう)”という教えがたくさんありました。武士道、茶道、禅道などと同じように、酒道も受け継がれていました。それらは、今日のように姿形の美しさを追うのではなく、酒をきちんと行儀良く嗜むための心のありようを求めるものでした。
そして、喜びの酒、語らいの酒、悲しみの酒と、日々の一杯はその時々の心を映し出す鏡であったはず。日本酒を司る我が社は、その哲理を深く考える使命を持っていると思うのです」
物の豊かさ、金儲けへの執着など、唯物止観に陥る日本人が増え、日本とは何かを語れない人ばかりになった現代を井原
相談役は心から歎きます。
「“十茶一酒にしかず”の諺があるように、日本人であるならば、喫茶店で10回逢ってコーヒーを飲むよりも、居酒屋で一夜の酒をともにして、心を通
わせたいですね」
賀茂鶴は渇いた日本人の心に潤いを取り戻し、優しさや奥ゆかしさを恵む神のしずくでありたい。しかし、敢えてこの崇高なテーマを掲げる立ち位
置は、大手ブランドとも地酒屋とも異なり、日本人らしさを大切にする方々が対象の第3局であると井原
相談役は語ります。
また、賀茂鶴酒造はどの局面においてもバランスが取れていることを大切にしています。酒の味・品質のバランスの良さはもちろん、ブランドエクイティー、経営内容、社会的貢献など、常に企業としてのバランスが保たれていることで、賀茂鶴ファンを獲得してきたと井原 相談役は言います。
「日本酒を嗜む方に、大人として、社会人としてのバランスの取れた品性を備えて頂くことも提案していきたいですね。自分自身で物事の価値観を理解できる人は闇雲に情報操作されることがなく、日々の酒の味わいも自分の心の琴線で感じ取ります。そうやって自分自身を能動的に向上させる方にこそ、賀茂鶴は飲んで頂きたい酒です。そして当社からもそのような文化的志向のお客様へ、能動的にお付き合いをさせて頂こうと思っています。目下、当社は企業CI、コミュニケーション作りや情報発信を抜本的に革新し、日本文化と賀茂鶴らしさに満ちた形へと修正しています。そこでは、人智の及ばない幽玄な日本酒のロマンや日本酒のある暮らしの憧憬などを、丁寧に提案していきたいと思っています」
ここ数年、日本社会はIRやM&A、マネーロンダリングのような数字で価値を判断するビジネスが急速に進行していますが、井原 相談役はこの時流に警鐘を鳴らします。
「観念論、禅問答ではないのですが、現代人には“生きるとは何ぞや“を考えてみることが必要だと思うのです。1+1=2ではない、もっと大きくふくらむ未知数の人生。そこには、日本人が養ってきた和魂和才の心が必要です。気持ちの良い朝はお隣さんに『おはようございます、いい天気ですね』と笑顔で挨拶する。ご近所の子どもさんが受験に受かったと聞いたら、『まあ、よかったわねえ!おめでとう』とひと言声をかけてあげる。さりげないことですが、優しさと慈しみに満ちた人生が日本人の生きる真の姿ではないでしょうか。そして、そんな日本の精神あるいは日本酒の文化を今提唱できるのは、私たち団塊の世代だと思っています」
井原 相談役には、若い部下と酒を酌み交わす席で訓する言葉があります。
一人で生きるのは一生、夫婦になれば二生、子どもが一人できれば三生、二人産まれたら四生と、何人分もの人生を楽しめる。そして、ズルをせずに額に汗してがむしゃらに頑張れば、人の思いやりや優しさを実感できるようになる。それを積み重ねていくことが、生きるということだと熱弁するそうです。
井原 相談役の熱いまなざしには、賀茂鶴酒造の凛とした心が描かれているようでした。
締め括りとして、日本酒文化が復活するための秘訣について、井原 相談役に洞察をお願いしました。
「最近のデパ地下やスーパーマーケットでは、産地直送の土の付いた野菜を売る特設売場などが人気ですね。まっすぐキレイな規格サイズの大根しか買わなかった主婦が、曲がっていても気にせず、自分好みの個性的な大根を選択するようになっています。土の色や匂いも、有機的な魅力をふくらませるようです。これと同様に、日本酒メーカーも量
や形を基準にするのではなく、それぞれのお客様の創造性、つまりは酌み交わす楽しさや付加価値を追求することです。また、ここ十数年の間でアルコールの個人消費量
は減少しています。日本人は酒を飲む時間が少なくなり、ゆっくり飲むこともしなくなっているようです。そんな中で、酒造メーカーは頻繁に市場やお得意先様、お客様とコンセンサスを結んでいかねばなりません。そのコンセンサスが得られ、まず認められれば、次はさらに選択眼が厳しくなっていきます。しかし、このステップを一段ずつ確実に上っていくことで、コトの魅力を持つ個性的な酒が生まれるはずです。でも、いずこの酒造メーカー様もそんな変化をよく理解しておられますよ。ですから、賀茂鶴酒造はそんな新たな時代の魁であり、牽引役でもありたいと思うのです」
余裕やゆとりを持てる時代ではないですが、酒造メーカーもスローライフを見直して、自分の足元や周囲の景色をゆっくり見てはいかがでしょう。そこから、日本の心を甦らせる各社の策案が形になってくると思うと井原
相談役は指摘します。
清く、凛々しく、高く、潔く、そして美しく……静謐な賀茂鶴イズムに、まさに「日本の心酒」を実感したインタビューでした。