TOP > ポンバル太郎 > 第1回 酔わせたろう

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Vol.1 酔わせたろう

 透明な輝きを放つ冷酒グラスが、おろしたての白いナフキンに拭き上げられていく。
 わずかな曇りも気に入らない太郎は、グラスをかざすカウンター上のダウンライトのまばゆさに、見えにくそうに眉をしかめた。
 ギャルソンっぽい白いワイシャツと黒のチョッキは、太郎のショートカットの頭に似合っていて、彫りの深い目元と鼻筋がちょい悪オヤジな40歳の一面を覗かせている。
「太郎さん。それって、何のグラス? ワイングラスみてえだけど脚が短けえし、飲み口は妙にラッパ型に広がってるけどさ」
 明日の仕込みに使う魚の注文を手帳に控えた火野銀平が、昼下がりのカウンター席に腰かけながら訊ねた。藍染めの前掛けに白く抜かれた“丸に火”は、築地の魚卸「火野屋」の意匠である。
小太りした銀平の顔立ちは太郎と対照的で、切れ長の一重まぶたが江戸前の職人然としていた。33歳になったばかりの若旦那のくせに、剃り上げた頭は太郎よりも老けて見える。
「おっ、ちょうどいいや。銀平、そのまま動くなよ」

 太郎は銀平の額が跳ねる光に、具合よさげにグラスを透かせた。グラスの表面には“taro”の名が、グラインダーで刻まれている。
「けっ、人の頭を何だと思ってんだよ。照明係のギャラもらうぜ、ギャラ。それにしても、今日はやけに早くから支度してんじゃん」
「取材だよ。このグラスも、そのためにおろした。日本酒にこだわってる洒落た居酒屋を特集するんだと。そろそろ、雑誌社の記者が来るはずだ」
「ふ~ん、洒落た店ねぇ。まあ、ハルちゃんがいた頃はそうだったけどよ」
 その言葉にグラスを拭く太郎が手を止めると、銀平は口がすべったとばかりに杉板を張りめぐらせた壁に視線をそらした。と同時に、一枚物の天然杉で作った玄関の扉が小気味よい音を響かせた。
 お客が来ると扉に吊るしてある2、3個の木枡がぶつかりあって、鳴子の役目をするようになっている。
「こんにちは! ポンバル太郎さんを取材に参りました、角打ち出版の高野と申します」

 若い女性の甲高い声が、人気のない店内に響いた。長めの髪を後ろに束ねた高野は革のライダージャケットとスリムなジーンズ姿で、ショルダーバッグや一眼レフのデジカメ、携帯式のレフ板を肩から仰々しく提げていた。
「へっ!? 女の記者一人かよ。日本酒居酒屋の取材に?」
 銀平の言いぐさに、高野の顔つきが一瞬こわばった。
「お前はいいの。油売ってないで、さっさと築地へ戻れよ。高野さんでしたね、どうぞよろしく。こいつは部外者だから、気にしなくていいから」
 その場を取り繕う太郎を見つめていた高野は取材道具を無造作に置くと、ブーツの踵を響かせてカウンターに向かった。
「お言葉ですが、女性だって日本酒に造詣が深い方は多いんです。例えば、このグラス。普通のワイングラスとちがうのは芳香を確かめる、いわゆる吟醸香の広がりを利くための酒匠用ですけど、マイグラスにする女性ファンが増えてます。女性は香りに敏感だし、お酒の酵母のちがいにも興味があるんです」
 太郎の手にするグラスを指さして立て板に水のようにしゃべる高野に、銀平はポカンと口を空けたままだった。
「まったく、形なしだな、銀平。あいかわらず女と酒に弱い奴だぜ。しかし高野さん、あんたも不器用な人みたいだな。まずはキチンと挨拶しようぜ、大人なんだからさ」
 語気を強めた太郎に、小顔に形のいい瞳が際立っている高野は
「初めまして、高野あすかです。よろしくお願いいたします」
 と頬を紅潮させながら凛とした姿でお辞儀した。
 太郎は、彼女の目から鼻に抜けるような印象に、ふと懐かしいものを感じた。

 銀平が所在なさげにテーブル席へ移ると、太郎が名刺を取り出して高野の前に置いた。
“ポンバル太郎 店主 与和瀬 太郎”の名刺に
「よわせ たろう…さんですか」
 と高野は目を細めた。
「ほかに、どう読む? 日本酒居酒屋にピッタリの名前だろう」
「あの、これ源氏名じゃなくて、本名なんですか!?」
 真顔で太郎がうなずくと、途端に高野は笑いを吹き出し「ありえない! ぜったい、ありえない!」と何度も首を横に振った。
 高野からの熱っぽい取材主旨を聞き終えると、太郎は「ところでさ、高野さんって福島県の出身だろ?」と唐突に訊いた。
「えっ、分りますか? 私、相馬です」
「やっぱりな。ちょっと訛り、あるからさ。実は、俺の亡くなったカミさんが会津若松の生まれだった。あんたみたいに色白だったけど、ならぬものはなりませぬ! の強気な女でさ。あはは、こりゃ俺も初対面の女性に失礼だな」
「いいえ、私よく言われますから。負けず嫌いが強すぎるって。だからファッションとかより、男性を相手にする居酒屋の取材が多いんです」

 高野が垣間見せる屈託のない笑顔と目尻のほころび方が、太郎はハル子に似ていると思った。酒のこだわりや酒器のうんちくを嬉々として語る高野も、この店を一緒に始めた頃の妻を偲ばせた。
 そしてハル子のことにあえて触れない高野の気遣いに、太郎もついつい取材を忘れて話し込んでいた。
「さっきの言葉、『女性だって、日本酒に造詣が深い』ってのは、俺のカミさんの口癖でさ。ちょっと、驚いたよ」
 問わず語った太郎に高野は答えず、カウンターに置かれた冷酒グラスを手に取った。
「ひょっとして、このグラス。今日の取材のために、新調してくださったんですか?」
「いや、前からストックしてたんだ。カミさんと俺のをペアで作ったんだけど、使わずじまいで、あいつのグラスは一緒にあの世へ持って行かせちまった。だから、これをもう使うことはないと思ってたんだけど……何となく今日、引っ張り出しちまった」

 二人のやりとりを銀平は素知らぬ顔で聞きながら、ポンバル太郎に久しぶりに花が咲いたような気分だった。近頃めっきり口数の減っている太郎だったが、今日は姉さん女房のハル子とやり合っていた頃の声音を取り戻していた。
 ポンバル太郎は、ハル子が日本酒の“ぽん酒”とスペイン酒場の“バル”をコラボさせて名づけ、開店してから2年半になる。だが1年前のハル子の死とともに客足が少しずつ遠のき、今では常連客も銀平を入れて数えるほどだった。 10人も入れば満席の小さな日本酒バルが繁盛していたのは、日本酒一筋に命がけで取り組んだハル子の度胸と客あしらいの良さだったと今にして思うのだった。
 その時、扉が開く音がして銀平の追憶をさえぎった。
 顔を向けるとランドセルを背負った少年が立っていた。太郎の一人息子の剣(けん)だった。
「剣ちゃん、おかえり。どうしたい、鳩が豆鉄砲くらったような顔して」
 木枡の音にも気づかず話し込んでいる太郎を見つめながら、剣が不思議そうにつぶやいた。
「あんなふうに笑ってる父ちゃんの顔、久しぶりだ。何でだろう?」
「あのお姉ちゃん、お前の母ちゃんの生まれ変わりかも知んねえぞ。父ちゃんは、また忙しくなりそうだ。ようやく“酔わせたろう”の復活だぜ」

 taroと刻まれた冷酒グラスが、なみなみと注がれる日本酒に輝いていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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