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Vol.102 小鯛寿司

 皇居の御堀から白鳥や鴨の群れが旅立って、もう半月になる。

 千鳥ヶ淵では、うっすらと赤らんできた桜の枝にジョギングするランナーが表情をほころばせていた。春のきざしが、東京に訪れている。

 ポンバル太郎にも、全国の蔵元から嬉しい便りが届いていた。

 蒸米作業が終わって「甑(こしき)倒し」を迎え、ようやく今年の酒造りも峠を越えた。四月になれば搾りが完了して「皆造(かいぞう)」となり、ようやく太郎の元へ挨拶に行けそうだと、ハガキの筆致はどことなく弾んでいた。
「この気持ち、分かりますよ。ここの社長さんは杜氏も兼ねてまして、冬の間は現場に入って麹造りに寝ずの番をしなきゃいけないんです。利き酒はしても、酔っぱらうほど飲むことは皆造になるまでタブーだそうです」

 太郎からハガキを渡された右近龍二が、それをカウンター席に並んでいる火野銀平へ回しながら言った。偶然にも飲んでいる純米吟醸は、ハガキの蔵元の新酒だった。

 蔵元めぐりを趣味にする龍二の情報に、銀平が純米酒のぬる燗をなめて答えた。
「けどよ、そんだけ長い間を我慢すりゃ、うまさも格別じゃねえか。俺たちだってよ、こいつを1年も辛抱したじゃねえかよ」

 銀平はハガキに目を通しながら、右手の箸で肴を指した。

 皿に盛られているのは、ほのかな桜色を帯びた押し寿司だった。客の誰もが垂涎する、ポンバル太郎特製の小鯛寿司である。
「うちは天然物の小鯛しか扱わねえけどよ、この時期の若狭湾産でなきゃダメだって、太郎さんは譲らねえ。魚屋の俺に言わせりゃ、一年物の小鯛は春先から初夏に育つから、旬は長ぇのによ」

 酔って愚痴っぽい銀平だが、反面、口元は待ちかねた小鯛寿司にゆるみっぱなしである。
「小鯛寿司には、生まれてから10㎝になる今が一番なんだよ。それに、新酒のキレとすっきりした味わいには、脂の少ない小鯛が合う。たんぱくな身が昆布じめに合うし、若狭の小鯛は冷たい日本海で身がしまっているしな」

 太郎の言葉につられて、龍二も小鯛寿司を注文しかけると、カウンターの隅から声が聞こえた。
「あのう、こっちも小鯛寿司をもらえんかな」

 関西弁のような抑揚を、野暮ったい背広姿の男が発していた。歳の頃は五十前後で、顔は日焼けしている。酒のお銚子は2本目で、福井の本醸造を熱燗で飲んでいた。

 太郎は男の訛りと福井の本醸造にピンときたらしく、小鯛寿司を出しながら言い添えた。
「本場の方の口に合えば、いいんですがね」

 太郎が気遣うと、龍二たちは男の素性を探るように凝視した。男は目を皿にしながら、昆布でしめた小鯛をはがし、皮と身を箸でつついた。
「何だよ、まちがいなく若狭の天然物だぜ」

 銀平は顔をしかめたが、それも男は耳に入らないようすで昆布じめした身を口に入れた。

 途端に、男が驚きの声を上げた。
「よう、でけてる! それに、ええ小鯛や。小そうても、浜値でキロ2,000円は下らんやろ」

 今度は銀平が目を丸め、思わず盃から酒をこぼした。
「ず、図星だぜ……あんた、ひょっとして若狭の漁師かよ?」

 男は銀平の察しが嬉しいのか、小さくはにかんだ。浅黒い頬を掻く右手の甲には、網を曳く漁師特有のコブがあった。
「濱田五郎、言います」

 ぶっきらぼうに答える男に、小鯛を褒められた太郎が笑顔で訊ねた。
「若狭からはお仕事ですか? よく、うちをご存知でしたね」

 太郎の問いかけに、一瞬、濱田がためらうと、龍二は気をきかせて本醸造をお酌した。

 濱田は二度、三度と会釈して酌を受けたが、その表情はしだいに曇った。
「いや……たまたまだ。息子とここで待ち合わせとるが、どうやら来れんみたいや」

 口下手な濱田だったが、息子と年恰好の似ている龍二に親近感をおぼえたのか、訥々と問わず語りを始めた。

 妻に早逝され、男手一つで育てた息子の正雄は、高校に入った頃から濱田を避け始めた。そして漁師になるのを嫌がり、卒業すると東京の飲食チェーン店で働いた。それから七年間、電話も手紙も無しのつぶてだったが、地元の同級生からブラック企業で暮らしあぐねていると濱田は聞いた。

 濱田は、正雄に漁師を継げと説得すべく飲食店を訪れた。店舗はポンバル太郎のすぐ近くにあったが、働きづめの残業で今夜の約束もおぼつかないと、正雄はやつれた顔で仕事へ戻った。

 それでも濱田は、通りすがりに入ったポンバル太郎で待っていると正雄へ留守電を入れた。濱田が福井へ帰る夜行バスの発車まで、後2時間しかなかった。

 動かない濱田の箸と盃が湿っぽいムードを作ると、銀平が声音を上げた。
「ただよぅ。厳しいことを言うようだが、ブラックに残っても漁師に戻っても、半端な覚悟じゃいけねえ。それをあんたから教えるのが先で、腹を決めるのは息子じぇねえか」

 濱田が初めて、深く頷いた。そして、小鯛寿司の皿を手にして答えた。
「わしを助けてくれるんは、この小鯛寿司や……この味、死んだ女房が作ってた寿司に似とる。正雄も小学生の頃まで、よう食べてたんや。そやから、きっと懐かしがって話を聞く気になると思うんや……ただ、ちょっとだけ何かの味が足らん」

 太郎が濱田の語尾に考え込むと、龍二が口を開いた。 
「小鯛寿司って関西の箱寿司ですから、シャリの酢もネタの昆布じめも、太郎さんはできるだけ上方の薄味にしてますよね。それなら、濱田さんが暮らす若狭だけの味つけってことかなぁ」

 龍二の言うように、ポンバル太郎特製の小鯛寿司の下ごしらえは、大阪の中之島哲男から教わった。それだけに、太郎も濱田家ならではの隠し味だろうと思った。

 濱田が真顔になって、ふた切れ目の小鯛寿司を口にした。

 その時、玄関の鳴子が響いて、聞き慣れない声がした。それは、どこか濱田の口調に似ていた。
「その福井の酒、母ちゃんは小鯛寿司に使うてたわ。父ちゃんが昼に漁から戻って休んでる間、母ちゃんは小鯛をその酒にちょっとだけ浸しとった……もう、忘れたんかよ」

 濱田が振り向いた先に、目元が瓜二つの若者が立っていた。疲れきったようすだが、小鯛寿司を見つめる瞳は嬉しげだった。
「ああ、そうやったか。もう、ずいぶん前になるし……お前、母ちゃんの思い出をわしに教えてくれよ」
 苦笑する濱田の目頭が、うっすらと潤んでいた。
 太郎と銀平が顔を見合わせると、龍二は意を得たとばかり奥のテーブル席へ正雄を案内した。
「じゃあ、濱田さん。今から、あんたを助ける小鯛寿司を作りますよ」
 本醸造の酒瓶を手にする太郎の笑顔に続いて、銀平が濱田の背中を叩いて気合を入れた。
「それまでじっくり、息子さんを口説いてな!」
 濱田は太郎たちにお辞儀すると残りの小鯛寿司を頬ばって、テーブルへ向かった。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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