TOP > ポンバル太郎 > 第104回 備前焼

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Vol.104 備前焼

 桜前線がようやく東京へ訪れ、陽だまりには淡い色のつむじが舞っていた。

 ファッションから旬の味までデパートの催事は春めいて、太郎が陶器市で買った真新しい食器もポンバル太郎に色を添えている。

 カウンター席からそれを目にする平 仁兵衛が、満足げに目尻をほころばせた。
「いやぁ、嬉しいですねぇ。萩焼や清水焼と、いい出来栄えの器が手に入りましたねえ」

 もちろん窯元の平は、陶器や磁器に造詣が深い。内心、太郎は平がどんな顔を見せるか気がかりで、それを聞いて安心した。
「平先生が、選び方を指南してくださったおかげですよ。ただ、手に入らなかった黒備前の片口がありまして」
「ほう、黒備前ですか。それは惜しいですねえ。どんな仕立ての片口だったのですか」

 備前焼に目がない平は、身を乗り出して訊ねた。とりわけ室町時代の古備前を蒐集する平にとって、黒備前は興味をそそった。
「黒備前らしい、落しても割れないような風格がありました。土もよく寝かせているようで、赤黒い肌の侘びさびが魅力的だったのですが……窯元の方が、売るのを渋っちゃいまして」

 太郎が言うには、その片口をレジへ持参する時になって、窯元は焼き入れの具合が気に入らないから売れないと断った。
「そりゃあ、いけませんね。自分が納得したからこそ、売りに出したわけでしょう。それに、デパート側の責任問題にもなりますよ」

 いつになく熱のこもる平が、言葉を続けた。備前窯の焼き入れは、茶褐色の地肌に生まれる「田土(ひよせ)」と呼ぶ土作りに秘訣がある。田んぼの底から掘り起こした土と黒土を混ぜ合わせ、鉄分を多く含んでいる。窯元ごとに土を寝かす期間もちがうので、個性的な備前焼があってしかりなのだ。だから、いったん売りに出したのを引っ込めるなど、迷いが生じている窯元の失態だと語気を強めた。
「俺も、そりゃ問題でしょうと指摘したんですが……窯元が悩んでいるようすに、あきらめちまいました。どことなく顔色がすぐれず、創作に行き詰ってるようすでした」

 とりあえず名刺を渡してきたと太郎が答えた時、玄関の鳴子が小さく響いた。
「あっ! こりゃ、驚いた。噂をすれば、その窯元の野島太一さんですよ」

 太郎がつぶやくと、振り向いた平の視線が作務衣に丹前を羽織った男の姿を見つめた。旅行トランクを引く三十歳前後とおぼしき野島は、伏せ目がちに言った。
「今日は失礼をしました。お詫びに、この片口を使って頂ければと思って参りました」

 繊細そうな野島の人柄が、面ざしだけでなく、紙袋を提げる手先にも表れていた。袋から取り出したのは、骨董品らしき備前焼の片口だった。個性的で、意表を突くかのような片口の姿に、太郎はまばたきも忘れていた。
「ほう、これは青備前ですか。しかも灰に埋もれた、いぶし焼きですね。これほどの備前焼、めったにお目にかかれませんよ」

 瞳を凝らす平に、野島が驚いた表情を見せると
「こちらは、陶芸家の平 仁兵衛さんです。うちの食器や酒器は、平先生に指南してもらってる物が多いんですよ」
 と太郎が紹介した。

 野島が恐縮して会釈すると、平は手を横に振って謙遜した。
「私は、一介の器好きですから。伝統ある窯元さんとは、ちがいますよ……しかし、売り場でのあなたのお話しは、ちと頂けませんなぁ」

 平の目元が、わけを聞かせろとカウンター席へいざなった。

 野島はカウンター越しに並ぶ器の彩りに誘われるかのように、平の隣へ座った。濁った色の爪先が、日々の土いじりを語っていた。
「私の祖父は、人間国宝の野島源右衛門です。窯元の二十五代目だった父は、私が生まれてすぐに早逝しました。それで、私は中学を卒業した頃から、祖父の手ほどきを受けています……ですが、祖父のような才能はありません。正直なところ、人間国宝の後継者には足りない。暗中模索というのが現状です」

 目の前に置いた青備前は、祖父の作品だと野島は言い足した。片口に備前雄町の純米酒を注ごうと思っていた太郎が、思わず声を高くした。
「おいおいっ、そんなスゴい片口なんて、うちじゃ扱えねえよ。丁重にお断りするぜ、野島さん」
「いえ、ぜひ使って頂きたいのです。人間国宝の作品である前に、日常に使われて、喜ばれる器であることが祖父の教えです。その心を解れば、おのずと道は開けると言われています。今日、売り場で器への思いを語る与和瀬さんに、この人のお店なら、それを教えてくれるかもと思いました」

 野島が酒を注げとばかり、太郎へ青備前を差し出した。困惑する太郎に野島は頭を下げたままで、しばらく沈黙が流れた。

 平が、目に光を宿して言った。
「よろしい。太郎さん、この青備前は私がポンバル太郎へいる時に限って、使わせてもらいましょう。他の方々じゃ、手つきが危なっかしいですからねぇ。ただし、野島さん。一つだけ条件があります。あなたが今日、太郎さんへ売らなかった片口を見せてもらいましょう」
「えっ……は、はい。奇をてらった印象が強すぎて、日々の器には向かず。いざ売るとなって、迷いが生じる片口なのです。何度も、それを繰り返してまして」

 問わず語りする野島に、言い訳はいいとばかり、平が表情を変えずに頷いた。

 野島がトランクから取り出した片口は黒備前特有の土色が表れ、焼き色や模様にも奇妙な変化を備えていた。

 あらためて見ると、太郎もとって付けたかのような腕の甘さを感じた。
「太郎さん、私がこの店に置いてある備前焼の片口を取ってください」

 平が太郎に頼んだのは、お気に入りの備前焼だった。

 何の変哲もない須恵器に似た片口だが、平の好きなぬる燗の純米酒を満たすと赤銅色が深みを帯び、侘びさびを漂わせた。
「この片口は、あなたのとは真反対に素朴で鄙びた田舎臭さを持っています。もう、ずいぶん昔に手に入れた物ですが、この窯元も、完成された片口じゃないから売れないと言ってたのです。ですが、私が三十年以上使い込むことで、佇まいが変わりました」

 平はその片口を野島の前に置けと、太郎へ目で伝えた。

 野島は素焼きの肌を確かめるように片口をなでると、「失礼します」とつぶやき高台を返した。その途端、焼き付けられた銘に声を失った。

 茫然としている野島の横顔へ、平が言った。
「閑庵……その銘は、野島純一の雅号。つまり、あなたの御父上ですよ。私が、あなたの御父上から譲ってもらった片口です。御父上もまた、悩んでいましたよ。偉大な人間国宝の息子ですからね」
「お、親父が……私と同じように」

 野島は指先だけでなく、噛みしめる唇も震わせた。太郎が片口に注ごうとする純米酒の一升瓶が、その震えを宥めた。

「野島さん、今日は東京の桜が満開でした。桜ってのは毎年咲いては散り、翌年にはもっと枝ぶりを広げて、咲きほころぶ。人間も自然体で努力すれば、いいじゃないか。器ってのは、酒や料理と同じで、独りよがりに創ってもダメじゃないかな。相手を想うことで、その個性や良さが生きる。あんたと俺が今日出逢ったこと、平先生がお父さんの作品を使っていることも、それを教えてくれてんじゃないか。きっと、同じように苦しんだお父さんの御導きだよ」
 酒が注がれると、父が創った片口は濃い赤味を帯びていた。その色に合わせるかのように、野島の目元が紅潮した。
「ということで、人間国宝の片口は頂きますが、御父上の片口と交換します。あなたと御父上の片口を窯に並べて、これからの訓示にして下さいねぇ」
 しんみりとするカウンターで、おどける平は人間国宝の片口を両手で弄んだ。
 太郎が青ざめて片口を取り上げた時、泣き笑う野島の目尻から光るものがこぼれていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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