TOP > ポンバル太郎 > 第11回 早寿司 (その2)

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Vol.11 早寿司 (その2)

 銀平から“江戸前”の魚のウンチクを聴いたカウンター席の客たちは、ほんのりと赤みを帯びている粕酢の早寿司を、ためつすがめつしながら頬張った。

 久しぶりに粕酢を口にするらしい銀平も、シャリの香りと色に魅せられ車海老の早寿司を一気に平らげた。桶の中のシャリはすでに半分握られ、消えていた。
「どう、銀平さん? 築地の魚匠が味見した、龍二さんのシャリの評価は?」

 ふいに背後から聞こえた高野あすかの声に、銀平はようやく面目躍如できると、色めき立った。屋外での取材帰りらしく、ジーンズにスニーカーというスタイルのあすかは日焼けしたのか、鼻筋を赤くしていた。
「ああ。粕酢に目をつけたのは、なかなかのもんだ。けどよ、新鮮な魚がネタだろ。素材の味を生かすなら、シャリはもう少し酢が薄くってもいいんじゃねえか?」

 指先に残るシャリの米粒を舐めながら龍二に問いかける銀平に、菱田の声が続いた。
「うむ、俺もそう感じたよ。酸味と甘味が、せっかくの新鮮なネタの味を覆っている気がするね」

 二人の感想に、タコの早寿司を呑み込んだマリが反論した。
「いやぁ、私はちょうどよかよ。こんくらい甘い方が好きたい」

 銀平は、マリの視線が龍二に向いているのを察して、苦笑した。
「マリさん、龍二の肩を持つのはよしなよ。あすかの記事ネタにもなるみたいだから、マジな意見として答えてよ」
「何ば、言いよっとや。私は本音たい!」

 またもや口火を切りかけた銀平とマリに客たちが眉をひそめると、太郎が冷酒グラスを置いて、会話に割って入った。
「まあまあ、落ち着いて。実は、敢えて味を濃くしたのは龍ちゃんの考えなんだよ」

 すると、ペンを走らせていたあすかが怪訝な顔で龍二に訊いた。
「ひょっとして熊本育ちのマリさんは九州の甘いお醤油やお酢が好みだから、そうしたの? でも、マリさんだけシャリの味を変えるなんて、できないよね?」

 龍二は自分の仕込んだシャリを噛みながら味を確かめると、一瞬、カウンター席に寄りかかっている若い客たちに視線を投げて、あすかに答えた。
「今夜の大半のお客さんの年代を意識したんです。つまり、30代後半から20代後半の男性の食生活は、味が濃いコンビニやスーパーの弁当に影響されてる。それに、子どもの頃から旨味の強いハンバーガーやフライドチキンとかに舌が慣れてる。だから、シャリも味を濃くしようと、粕酢と砂糖を多めにした。魚匠の銀平さんは別格として、若手のサラリーマンは昔の人と確実に味覚がちがって、薄味よりも濃い味を好む……そう思ったんだけど、スベッたかもね」

 龍二が一瞥した若い男たちは、ネタだけ食べて、シャリを皿に残している客もいた。
あすかは銀平の皿に残った穴子の早寿司をひと口食べると、その粕酢の甘酸っぱさが好みに合ったらしく、コクリと頷いた。
「確かにウチの会社も、若い男性社員は味の濃いランチや弁当を食べてる。だから、このシャリだって好みの味と思うんだけど……なぜかしら?」

 太郎を筆頭にして、常連の面々も首をかしげていた。
「なるほど……謎解きができたぜ」
ふいに、黙考していた銀平がつぶやいた。
そして厨房に入ると、冷蔵庫の中から粕酢の瓶と太郎特製の白ダシと醤油の瓶を取り出した。さらには、ヒラメとマグロの切り身をまな板に並べ、
「太郎さん。柳刃、借りるぜ」

 と断りを入れて、数枚の寿司ネタを手早く切り落とした。
築地の職人らしく包丁を走らせる銀平に、若い客たちが感心していると、
「おい、龍二。こっちに来て手伝えよ。そのダシと醤油をそれぞれ深皿に入れて、そこに香りを抑えた純米酒を大さじ2杯入れてくれ」

 うろたえる龍二へ真顔で指図する銀平に、あすかとマリが顔を見合わせた。築地の現場で威勢よく魚をさばく日頃の銀平が見えるようで、太郎は嬉しくなった。

 二つの深皿が満たされると、銀平は白ダシと純米酒を合わせた中にヒラメの切り身を入れ、醤油と純米酒の中にはマグロを入れた。
「龍二、5分間で残ってるシャリをいくつか握りな」

 言われるまま手を動かす龍二だけでなく、あすかや菱田も腑に落ちてない面持ちだった。だが、太郎は銀平の自信ありげな動きに笑みを浮かべ、見つめていた。

 5分過ぎた時計を見ながら銀平はヒラメとマグロの切り身を深皿から取り出し、龍二の前に置いた。
「もう一度こいつで、早寿司を握れ。それで、若いお客さんに食べてもらってみろ」

 ヒラメの白身は、表面にほんのりと白だしの膜を作って、艶やかに光っている。マグロの赤身は少しだけ醤油の褐色をにじませながら、身をふくらませていた。
 あらためて握った早寿司を、若い男性客たちが大きな口で頬張った。
「あっ、あれ? さっきと味が違うじゃん」
「シャリとネタがすごく合ってる。……さっきのは、ネタがしだいに生臭く感じたんだけど、これ、イケますよ!」

 20代後半の客たちが表情を変えてパクつく姿に、銀平は満足げに腕組みをした。
「やっぱりな! 江戸時代も、同じことをやってたに違いねえぜ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。いったい、どうなってんのか教えてよ?」

 メモを手にするあすかが銀平を店の真ん中へ呼び戻すと、店内の客たちもいっせいに注目した。
「俺がやったことは理屈じゃねえんだ。俺の祖父さんが、築地のまかない飯でやってたのを応用したんだ。銀次郎って名前で、明治生まれの気骨な魚匠でな。火野屋で働いてる職人だけでなく、築地の市場内でも鮮魚の切り落としを使ったまかない飯がうまいって有名だった。俺もガキの頃によく食ったよ。その祖父さんが、この方法で漬けた切り身と粕酢のシャリで、まかない丼を作ってたのを思い出したんだよ」

 店の真ん中に戻って溜飲を下げるつもりが、照れている銀平に、
「じゃあ俺が、その理屈を説明してやろう」

 と太郎が立ち上がった。
「つまり、新鮮なゆえに粕酢のシャリと相性がイマイチだった魚ネタを、白だしや醤油に漬け込むことで匂いを抑えた。そして、純米酒の力を使って魚の旨味を引き出した。こうすることで、旨味と酸味の濃いシャリと合うようになる。それにシャリに使った粕酢は、そもそも酒の副産物だから、身内同士で味がまとまるってわけだ」

 太郎の深い話しに店内は水を打ったように静まったが、マリの熊本弁がその空気をなごませた。
「いや~、銀平。あんた見直したばってん、いつもそげんこと言わんねぇ」
「へっ、まぐれも実力のうちって言うじゃねえか」

 メモを書き留めていたあすかは、真顔になって銀平を称えた。
「まぐれじゃなくて、DNAよ。たぶん銀平さんのお祖父さんの時代って、冷蔵庫なんてないでしょ。氷屋さんは当時たくさんあったけど、それだけじゃ魚介の鮮度は保てない。だから、残り物をまかない飯に使うため、醤油や酢、酒やダシに漬ける知恵を代々身につけてたのかも」
「ってことは、早寿司はシャリだけじゃなく、ネタにも粕酢や酒、醤油を隠し味に使ってたわけか……うむ、深いねぇ。やっぱり、ポンバル太郎に来るとおもしろいよ!」

 菱田の声に若い客たちも嬉々とした表情で、これから日本酒ファンになりそうだと語り合った。

 ふと太郎が振り向くと、カウンターの隅で、龍二が握り直した早寿司を味わっていた。龍二が、問わず語った。
「銀平さんのアイデアには、脱帽です。と言うか、さすが日本人の味覚を支えてきた築地の血ですよね」
「ああ……日頃は冴えないが、いざとなれば本領を発揮しやがる」

 二人のほころんだ視線に気づいた銀平が、厨房に向かって声を投げた。
「何、噂してんだよ」
「いや……“銀シャリ”って、時代劇でよく言うだろ。何だか、今日のお前みたいだなと思ってさ」

 太郎が返した言葉に、あすかが機敏に反応した。
「銀平とシャリで、銀シャリかぁ! それ、キャッチコピーに頂きます!」

 唖然としている銀平に、龍二が「いいとこ、持ってかれましたね」と声をかければ、マリが「また、いつものドン臭い銀平に戻ったばいねぇ」と客席の笑いを誘った。

 甘酸っぱい粕酢の匂いの中で、客たちの笑顔が揺れていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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