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Vol.110 筍

 梅雨を飛び越し、一気に真夏が来たかのような昼間の暑さが、夕刻の大手町のアスファルトに余熱を残していた。上着を脱いで会社を出るビジネスマンたちは、誰もが冷えた生ビールを頭に描いている。

 まだ五月半ばながら、銀座のビヤホールは連日満員である。ポンバル太郎でも、汗をぬぐいながらやって来る客たちが生ビールと枝豆を注文した。だが、あいにくと太郎は丹波産の黒枝豆しか用意しない。その旬は、まだまだ先である。

 太郎が詫びながら付き出しの若竹煮を差し出すと、新顔のテーブル席の客たちは不服そうな顔をした。その一方で、カウンターの隅に座る坊主刈りの中年男は、つき出しの小鉢に両手を合わせて、“いただきます”をしている。

 両者を見比べる火野銀平が、ようやくシーズンになった純米生貯蔵酒をなめて、つぶやいた。
「まったく、同じ客でも、こうもちがうかねぇ。ありきたりな居酒屋じゃねえんだからよ。太郎さんのセンスと食材の滋味ってもんがいいんじゃねえか。旬を分からねえ、バカ舌な奴らが増えちまったぜぇ」

 右隣りでは、右近龍二が苦笑いを浮かべて若竹煮をうまそうに食べている。だが、反対側に座るジョージは、腕組みをしたまま小鉢を見つめていた。
「なんでぇ、ジョージ。難しい顔をしてんじゃねえか。その筍が、どうかしたのかよ?」
「はい、実は筍を初めて見ました。もちろん食べるのも……これ、アメリカではbamboo Shoot(バンブーショット)と言いますが、ほとんど誰も食べませんよ」

 確かにアメリカの筍料理など聞いたことはないと、銀平と龍二は訳知り顔で頷いた。

 筍の茎穴を訝しげに覗くジョージに、皮をかぶった筍を手にする太郎が言った。
「こいつは京都で朝掘りされた、名残り筍だよ。旬の最後を楽しむ上物だ。ジョージ、そんな食わず嫌いじゃ、日本食のジャーナリストなんて失格だぜ」

 しょげ顔のジョージが、金色の眉毛をゆがめて箸を動かした。ワカメと木の芽を添えた若竹煮を口にすると、その表情が一変した。
「オウ! これは香りが素晴らしい! ワカメの磯の香り、木の芽の草の匂いが、とってもステキです。やさしい薄味が、日本酒にピッタリですね……だけど、困りました。実際に食べないと、この若竹煮の感動は伝わらない。私のレポートには、それを具体的に表現する方法が必要です」
「それって、難しいなぁ。だって筍だけじゃなくて、アメリカ人にはワカメや木の芽だって、ピンとこないだろうし」

 龍二の答えに、ジョージは思案顔で箸に刺した筍の茎穴を覗き込んだ。すると、穴の向こうのカウンター席で、行儀のいい坊主頭の男が笑みを浮かべていた。
「アメリカンジョークなら、伝わるのではないですかな。よろしければ、私がおもしろい話しを進ぜましょう」

 男は埼玉県にある行徳寺の僧侶で、足立春慶と名乗った。背広姿なのは都内で宗派の会合があったためで、いつもは袈裟姿だとはにかんだ。

 人懐っこい春慶にジョージが目をしばたたいていると、銀平が口を開いた。
「確かに、筍ってのは精進料理の筆頭だぜ。それにお坊様の説法なら、文化的だしよ。こいつぁ、俺たちも聞かせてもらおうじゃねえか」

 龍二と太郎も、春慶に注目した。テーブル席の客たちは若竹煮につけていた箸を置いて、聞き耳を立てた。
「私が勤める行徳寺には大きな竹藪がありまして、この季節、ひと雨ごとに筍がいっせいに伸びます。まさしく、雨後の筍です。私の祖父が住職だった昭和の戦後、筍を盗む人たちが殺到しましてな。その折、一人の泥棒を捕まえた祖父が、彼とトンチの掛け合いをしたそうです」

 春慶が言うには、頻繁に行徳治の竹林で筍を掘り起こす泥棒を見つけた祖父は、彼の盗みを咎めた。だが、泥棒は反論した。
「盗んでおるのではない。この筍を、懲らしめておる。仏寺の境内に勝手に生えるなど不届き千番、けしからんではないか」

 泥棒の機転の利いた答えに、祖父の住職も切り返した。
「さようか。では、懲らしめた筍の亡骸は拙僧が供養するので、今一度、この寺へ戻されよ」

 つまり、すでに食べてしまった筍を持って来いと難題をふっかけたのである。すると泥棒は、悪びれもせず答えた。
「いやいや、お坊様の手を煩わすでもなく、こちらで亡骸は始末したので、纏っていた衣服だけを供養してもらいたい」

 翌日、泥棒は住職に山盛りの筍の皮を持参。見事に春慶の祖父をやり込め、警察に突き出されることはなかった。

 途端に、銀平と太郎が吹き出した。店内の客たちも、肩を震わせている。ただ一人、ポカンとしているジョージに龍二が流暢な英語で通訳すると、一歩遅れて感心した。
「それは、おもしろいです! アメリカンジョークとは、ひと味ちがいます。日本人らしい、ユニークで人情のある話ですね」

 手帳を取り出して熱心にメモを取るジョージに、春慶は嬉しげに話しかけた。
「当時の日本は食糧不足で、たくさんの避難者が東京から埼玉の僻村へ逃れて来ました。着物や指輪を米、野菜と交換しましたが、それすらできない人たちは野草や筍を口にするのがやっとだったようです」

 春慶の話しに、テーブル席の若い客が問わず語った。
「あの……実家は埼玉なんです。行徳寺さんって、近くにあるんですよ。今は住宅街だけど、当時は田畑に囲まれた集落だったってわけですか。知らなかったな」
「そうですか。私が子どもの頃は、寺の周辺には旬を感じる物がたくさんあったのですが……今じゃ、めっきり見えなくなりました。しかし、このポンバル太郎さんは、旬を大切にされていらっしゃる。変わらない日本の味を守っていますね。ごちそうさまです」

 春慶があらためて両手を合わせると、ジョージはすかさずスマホで写真を撮った。

 褒められた太郎が、春慶へ合掌を返して訊ねた。
「和尚さん。そう言えば、筍には“旬(しゅん)”って字が付きますね。それは、どうしてなんです?」

 ほくそ笑む太郎に、若竹煮を口にしかけた春慶はニヤリとした。ほとんどの客たちが、興味津々の面持ちだった。
「おや、これは御主人から私への禅問答ですかな?……私は子どもの頃、寺の竹林で遊んでいて麦わら帽を筍にかけ、そのまま忘れたことがある。翌朝取りに行くと、もう竹は私の背丈を越えていて、取ることができなかった。それほど成長が早いので、美味しい時期は短い。だから、旬の字が竹冠の下に付いているわけです」

 含蓄ある春慶の答えに、感心する声が店内に響いた。
 ふいにメモの手を止めたジョージが、春慶の手元を覗いて言った。グラスには、ウーロン茶が入っている。
「和尚さん、お酒は飲まないのですか?」
「はい、禅僧に酒は禁物です。葷酒山門に入るを許さず……しかし、それも名目ですがね」
 春慶が酒の冷蔵ケースを物欲しげに見つめると、今度はジョージがいたずらっぽい顔で皮のついた筍を手にした。そして二本の筍を、頭の両側へ角のように抱え上げた。
「これなら、和尚さんでも飲めますよね」
 筍を鬼の角に見立てるジョージに、銀平と龍二が両手を叩いて喜んだ。
「あっ! 般若湯ですね。なるほど、これはトンチで一本取られましたな」
 嬉しげに純米酒を頼む春慶の瞳に、若竹煮の小鉢が揺れていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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