TOP > ポンバル太郎 > 第112回 猩猩(しょうじょう)

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Vol.112 猩猩(しょうじょう)

 霧島つつじの紅色が、上野公園の植え込みを彩っていた。

 その花を金色に輝かせる夕陽はもう初夏を告げていると、アメ横帰りの平 仁兵衛が太郎に話した。

 今しがた隣に座った高野あすかも、額の汗をハンカチで拭きながら頷いた。あすかは京都で催された葵祭の取材から帰ったばかりで、混雑する八重洲口がやたら蒸し暑かったとぼやいた。

 その手には、太郎から頼まれていた京漬物の樽を手にしている。
「忙しいのに、錦市場まで行ってもらってすまなかったな。御礼に、珍しい酒をサービスするよ。これ、全国新酒鑑評会に出品した岐阜県の蔵元の大吟醸だ」

 太郎が手にする四合瓶のラベルに、汗でアイラインのにじんだあすかの目が細くなった。何の変哲もない茶瓶だが、貼られたレッテルには歌舞伎の連獅子のような絵が描かれている。
「これって、猩猩(しょうじょう)じゃない? 今どきレトロなレッテルね」

 嬉しげなあすかの声の抑揚に、平がぬる燗の盃を口元に止めた。
「その猩猩とは、何ですか……見たところ、子どものようですね。なるほど、銘柄は酒童子(さけわらべ)ですか」

 平がレッテルへ瞳を凝らすと、あすかが瓶を押し出して答えた。
「想像上の生き物なんです。猿のオランウータンに似てて、赤い髪を伸ばしてるの。大酒飲みの妖怪で、能面にもあったはず。男の子の顔を赤く塗った面なの」

 身振り手振りで解説するあすかに、平だけでなく太郎も感心した時、玄関の鳴子が軽やかな音を響かせた。
「いらっしゃい。おっと、お久しぶり! 松村さんに塚田さんじゃないですか」

 すこぶる驚いた太郎は、あすかのグラスへ注ぐ酒をカウンターにこぼした。確かに、松村和也は三か月ぶり、塚田哲也とは去年の秋から逢っていない。

 しらふの二人は居酒屋マチコからのはしご酒ではないようだったが、塚田の顔色がすぐれない。奥飛騨で暮らす山出しの鬚面は変わらないが、太郎には少し痩せたように見えた。
「ちょうどいい所に、いらっしゃいましたね。今、岐阜の珍しい大吟醸の封を切ったばかりですよ。そう言えば、塚田さんがいる奥飛騨の蔵元じゃなかったかな」

 二人にカウンター席を勧める太郎の前で、あすかが塚田に笑みを浮かべた。昨秋、塚田がポンバル太郎へ持って来た鹿肉の礼を言いたかった。

 しかし塚田だけでなく松村の視線も、太郎が手にする四合瓶へ止まっている。
「そ、それって、酒童子じゃないですか。俺、探してたんですよ、真知子さんも手に入らなくて……まさか、ここにあるなんて」

 塚田がカウンター席へ前のめりになって座ると、松村は見知った顔の平に小さく会釈して問わず語った。
「実はそれ、塚田の住む町の蔵元が今季から造っている大吟醸なんです。でも、そもそもは隣町の銘柄だった。三百年続いたその蔵元の経営が傾いちまって、何とか酒銘だけでも残そうとしたそうです」

 塚田は茅葺職人として地元の蔵元を修繕している縁から両者をつないだが、譲り受けた蔵元もわずか200石の出荷量らしいと、松村は声を尻すぼみにした。
「なるほど、消えかけた奥飛騨の銘酒を塚田さんが守ったのですか。それは美談ですねぇ」

 平が酒童子を飲みたそうに盃を飲み干すと、塚田は重たげに口を開いた。
「でも受け継ぐ蔵元だって、そんなに楽じゃないんです。零細企業だから。今年、初めて醸した新しい大吟醸が都会でどう評価されるのか、僕はいてもたってもいられず上京したんです。それに、気になるのは銘柄のことです」

 あすかの隣に座った塚田が、太郎の置いた瓶のレッテルを真顔で指さした。
「銘柄を酒童子じゃなく猩猩にした方がいいと、僕は蔵元に言った。理由は、廃業した蔵元から猩猩がいなくなったって噂を、そこの蔵人から聞いたんです。いつも蔵の中を横切る赤い影がいたんだけど、廃業する少し前に見なくなったって」

 真剣に語る塚田の横へ、ため息を吐きながら松村が座った。そして頬杖をついたまま、顔を見合わせる平と太郎に「とうとう、オカルト話ですよ」と眉をしかめた。
「おいおい、猩猩って空想上の生き物だろ。それじゃ、何かい? 猩猩は酒童子って呼び方に飽きちまったから、出て行ったとでも言うのかい?」

 鼻白む太郎に、平も苦笑いを浮かべた。だが、黙っていたあすかが口を開いた。
「私、信じます。うちの実家にも、そんな逸話が残ってた。東北の座敷童(ざしきわらし)って、知ってるでしょ。あれがいなくなると、家が没落するって言われてるの。猩猩も同じで酒蔵の座敷童みたいな存在だけど、自分たちは子どもじゃなくて大人の神様だと思ってる。だから、子ども扱いしちゃいけないって父に聞かされたわ」

 大酒飲みの猩猩が蔵に居つくから繁盛するのだと言い足すあすかに、塚田は何度も頷いた。
「う~む。かつての蔵元の娘さんが言うのだから、これは信憑性がありますねぇ。さて、どうしたものでしょうねぇ」

 いい大人が妖怪話で盛り上がるのを楽しむかのように、平が酒童子の瓶を盃に傾けた。

 その時、店奥の階段を降りて来る足音に塚田と松村がふり向いた。
「父ちゃん、どう? これ、卒業式のパフォーマンスで歌舞伎の連獅子をやるんだけどさ。僕、似合ってる?」

 突然と現れた剣の姿に、全員があっけにとられた。和紙で手作りしたらしい朱塗りの羽織と袴に、赤いビニール紐を束ねた長髪のカツラをかぶっている。
「し、し、猩猩だ! ビックリした!」

 椅子から転げ落ちそうな松村の叫び声に、あすかは目を丸め、剣のパフォーマンスを知らなかった太郎も茫然として見つめていた。

 はっとした塚田が、酒童子の瓶を手にして剣に駆け寄った。そのレッテルを目にした剣も
「あはは! これ、僕に似てるじゃん。酒童子って、珍しい銘柄だね」

 と嬉しげに絵柄を指でなぞった。

 一人だけ、落ち着いて盃をなめている平が言った。
「塚田さん、良かったじゃありませんか。いなくなった猩猩が、戻って来ましたねぇ。これなら酒童子のままでも、きっと売れますよ。もうしばらくすればマチコやほかの居酒屋にも、きっと並ぶでしょう」
 笑顔を取り戻す塚田に、あすかが言葉をつないだ。
「そうよね。酒神の申し子みたいな剣君がいるポンバル太郎は、特にたくさん売ってくれなきゃね」
「がってんでぇ~! ねえ、父ちゃん」
 剣は歌舞伎さながらに見栄を切って、赤いかつらをグルリと振り回した。途端に、カウンター席で笑いがあふれた。
「やべえなあ、今から酒飲みの神様になられちゃあ、将来がおっかねえよ」
 苦笑いする松村に、剣はもう一度、頭を振っておどけて見せた。それを目にする塚田には、レッテルに描かれた猩猩が笑ったように思えた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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