TOP > ポンバル太郎 > 第124回 SAKEスキットル

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Vol.124 SAKEスキットル

 都内の街路樹が蝉しぐれに包まれる季節、増上寺や回向院などの名刹へ香華をたむける人が増えていた。山手線やメトロでも、花を手にした老夫婦を目にする。

 8月15日が間近だった。

 早めの盆休みや海外旅行へ出かけたビジネスマンのせいか、ポンバル太郎は閑散としていた。9時を回ってもカウンター席に並んでいるのは、火野銀平と平 仁兵衛だけだった。
「ジョージはアメリカ向けの終戦特集の記事で、盆休みもねえって言ってたな」
「そうらしいね。昨日、元・アメリカ軍人ってお祖父ちゃんと一緒に来てたよ。だけど銀平さん、そもそもアメリカに盆休みはないじゃんか」

 手持ちぶさたな銀平を、夏休みに入って店を手伝っている剣がたしなめた。6年生の夏、背丈もずいぶん伸びて170㎝の銀平を脅かすほどになっている。

 客待ちの間、剣は新聞の終戦70年記事を食い入るように読んでいた。
「龍二の奴、今頃は皿鉢料理でこの酒をやってんだろうな。ちょいと羨ましいぜ」

 明日から盆休みの銀平は、土佐の生貯蔵酒と酒盗でほろ酔いだった。酒の銘柄は、今朝から帰省した右近龍二のお気に入りである。
「平 先生は能登に帰って、お墓参りをしないんですか? 戦争で亡くなった家族とかは、いないの?」

 新聞をたたんだ剣に、独酌する平の手が止まった。一瞬、顔を曇らせたが、薄い笑みで表情を消した。
「北陸新幹線は、凄まじく混んでますからねぇ。それに、私の妹夫婦が墓守りをしてますから。両親や戦死した私の伯父には申し訳ないですが、秋の彼岸まで待ってもらいますよ。お盆は、伯父が好きだったこの奥能登の酒を家でしんみりやります」

 平が飲む酒瓶のレッテルには、能登名物の見附島が描かれている。
「ふ~ん、戦争で伯父さんが亡くなったんだ……どこでなの?」
 と剣が平に近寄ると、太郎が目で差し止めた。以前に聞いた伯父の惨死に、平の心中を斟酌していた。

 いつになく険しい顔の太郎に剣が黙り込むと、平はそっと肩へ手を置いた。
「いいんですよ、剣君。戦地で行方不明の方は、まだ何万人もいらっしゃる……硫黄島で伯父の平 仙太郎は亡くなりました。でも、遺品も見つかってないんです」

 それを聞いて、銀平が冷酒グラスをカウンターに戻した。硫黄島での戦いを知っているらしく、返す言葉を失くしていた。

 平はおだやかな表情のまま、訥々と話を続けた。仙太郎は能登を愛する男で、都会へ憧れることなく棚田や青い海を愛した。彼が20歳で徴兵された昭和19年、平の父は16歳だった。平自身、まだこの世に生まれていなかったが、仙太郎は平の父に「平家の跡取り息子は、お前が作れ」と言い残し、硫黄島へ向かった。
「もう生きては帰れないと、分かっていたのだろう」

 父は青年になった平にそう語り、珍しい形の酒器を手渡した。尻ポケットに入る平らな陶器で、酒好きの仙太郎が造った蓋付き徳利だった。
「いわば日本酒のスキットルで、伯父が好きだった棚田の絵が描かれてました。もう一つの作品は、伯父自身が戦地へ持って行ったそうです。軍備のために鉄や銅は召し上げられ、材料がないから土で焼いたのでしょう。私の陶器好きは漆器家だった父よりも、伯父に似てるのかもしれませんなぁ。実際、顔も私によく似ていたらしい。ただ、スキットルは実家に置いてたのですが、残念ながら8年前の能登地震で割れてしまった」

 平は憶えているスキットルの容姿を、身振り手振りで伝えた。その気丈さが、太郎と銀平の胸に堪えた。

 だが、ひとしきり話を聞いた剣は、弾かれるように客の忘れ物を入れた籐かごへ走った。
「こ、これって! 陶器のスキットルじゃないの? それに、仙って文字が焼かれてるよ」

 声を震わす剣に、椅子から腰を上げる平が吸い寄せられた。

 太郎は、その陶器の忘れ物を知らなかった。ゆるやかに湾曲した水筒は素朴な土の色合いに釉薬がほどこされ、見附島の絵が描かれていた。
「こ、この色合いは、伯父が残してたスキットルとそっくりだ……偶然、落款も同じ。いったい誰がこれを!」

 水筒を受け取って愕然とする平に、剣の顔がみるみる蒼ざめた。
「ばっか野郎! お前、どうして黙ってたんだ!」

 窓ガラスを震わせるほどの、太郎の怒鳴り声だった。
「だって、ジョージさんたちの帰った席にあったから、また来た時に返せばいいと思ったんだよぉ」

 珍しく剣が泣きべそをかくと、事を呑み込めた銀平は背中を抱いてやった。

 平がもういいと、太郎に目顔で答えた。むしろ、しゃくり上げる剣へ感謝するかのように平は何度も頷き、指先で見附島の絵をなぞった。

 もどかしげな銀平が、しびれを切らした。
「俺、ジョージに電話して呼び出すぜ! あいつが連れて来た元軍人は誰で、どうしてこのスキットルを持っていたのか、訊き出そうじゃねえか」
「ああ、それがいい。平先生、ひょっとすると伯父さんの行方を知る手掛かりになるんじゃないですか」

 動揺を隠せない太郎へ、平はおもむろに陶器のスキットルを差し出した。
「いえ、それよりも、ここに奥能登の酒を入れてくれませんか。せっかく帰ってきた伯父と、一杯やりたいんです……不思議にも、今日は伯父の誕生日なんですよ。70年経って、伯父の方から私に逢いに来てくれた」

 ほころんだ平の目尻が、うっすらと光っていた。平らしい心根に、太郎は我に返って剣へ命じた。
「剣、心を込めて酒を入れろ」
「は、はい!」

 奥能登の酒がスキットルを満たすと、平は隣の席に置いてつぶやいた。
「お帰りなさい。あなたの甥っ子です。すいぶんと老いた子になってしまいました。この店とのご縁のおかげで、伯父さんと再会することができましたよ」
 独り言ちる平の後ろで、玄関の鳴子が音を響かせた。
 ジョージの「こんばんは! この前、忘れ物をしちゃって」に続いて「SAKEのスキットルです」としゃがれた声が聞こえた。
 現れた白髪の外国人に太郎と銀平が目をしばたたくと、平が剣にほほ笑んだ。
「ほら、伯父が彼を呼んでくれましたよ……今夜は、長い夜になりそうだ」
 平と顔を見合わす外国人が、「オウ マイ ゴッド! あなた、仙太郎!?」と叫んで腰を抜かしかけた。
 スキットルを手にした剣が泣き笑いすると、平は満面の笑みを浮かべた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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