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Vol.129 アキアカネ

 都心で姿を見なくなっていたアキアカネが外苑の植え込みに群れ飛んでいると、LINEやfacebookで噂になっていた。

 ヒートアイランド対策に、丸ノ内のビルが屋上へ植え込みを増やした成果じゃないかと、コメントの多くは嬉しげなスタンプを押していた。

 虫が苦手な高野あすかも、ポンバル太郎のカウンター席でスマートフォンを覗きながら、これには同調した。テーブル席の客からは「アキアカネ」の単語が洩れ聞こえている。

「ようやく秋の予感ね。でも、こんなに残暑が続いてちゃ、蔵入りする杜氏さんは心配だろうな。今年の酒米のできばえが、気になるなぁ」
 いささか声高なあすかの冷酒グラスは、すでに3杯目だった。ほんのり赤らんだ横顔を、平 仁兵衛は扇子を揺らせながら見つめている。

 あすかが早めに来店した理由は、3年前に太郎からの口利きで取材した岩手県の蔵元から、蔵入り前の杜氏がポンバル太郎へやって来るためだった。

 東日本大震災で半壊した蔵元だったが、その半年後には復活するほど元気だった。

 老練な杜氏は酒造り60年目を迎えた南部流の匠で、インタビューした日の「だっぺ」や「んだな」のネアカな方言をあすかは思い出した。その裏に感じた罹災を物ともしない忍耐強さに、自身も被災者だったあすかは惹かれた。

「やけに、ご機嫌じゃねえか。彼氏でも待ってるのか? なんてね。おめえには、絶対ありえねえよなぁ」
 汗だくで現れた火野銀平のTシャツが、薄白い塩の波紋を背中に描いている。

 カウンター席に横並んだ途端、しとどな額の汗にあすかが顔をしかめた。
「ああん、もう! いい思い出を邪魔しないでよ。同じ禿げ頭でも、こっちは暑苦しいんだから」
「こ、このやろう! 俺は禿げてんじゃねえ! 剃ってるんでぇ……ん? 待てよ。さっき通りで追い抜いた親爺さん、みごとな禿げ頭だったぜ。あれが、お前の待ち人かよ?」

 眉間の皺に大粒の汗が流れた時、玄関の鳴子が響いた。

 厨房から顔を出した太郎が「いらっしゃい! 相場の親爺さん!」と声を弾ませた。どうやら太郎も、心待ちにしていたようである。亡きハル子と昵懇だった81歳の相場が二戸酒造の名杜氏であることを、太郎は銀平と平に教えた。

 だが、相場の返事はなかった。うつむきかげんの表情に、胸苦しさが読み取れた。
「まさか、熱中症じゃないでしょうねぇ。あすかさん、相場さんに仕込み水を差し上げましょう」

 平の声に、相場が胸をさすりながら無言で頷いた。銀平も立ち上がり、相場に手を添えてカウンター席へいざなった。

 仕込み水で喉を潤し、ひとごこちついた相場は、太郎から受け取った保冷剤で頭を冷やすと長いため息を吐いた。
「いやぁ、まいったべ。おっかねぇ残暑だなや。危うく、あの世さ行っちまうとこだったべ。わしには、まだまだ、やらねばなんね仕事があっぺさ」

 火照りが冷めたのか、ぶ厚い相場の唇に饒舌さが戻った。そして、あらためて太郎とあすかに挨拶を交わし、初対面の銀平と平には「御親切に、ありがとがんす」と丁寧にお辞儀した。あすかが待ち侘びる相場の人となりに、平は得心顔で頷いた。
「あのう、相場さんのやらなきゃならねえことが、俺は気になるんですがね。今年で81歳と聞きやしたが、無茶はいけませんぜぇ」

 銀平は言葉で気づかうだけでなく、冷蔵庫に覗く相場の醸した純米酒も太郎に注文した。それを見つめるあすかの赤い目尻が、ゆるりとほころんだ。

 相場も、同じ酒を太郎へ頼みながら答えた。
「蔵に酒の神様を呼べるまでは、けっぱらねばなぁ……震災から立ち直ったうちの蔵は、やっと3年目の造りに入るのさ。だがら蔵の中さ安定してきて、土地のいろんな菌が棲みついてくれてる。酵母も乳酸も、目に見えねえ力が、いっぺえ住み始めるのが3年目だっぺ」

 それは、太郎もよく耳にする話しだった。酒だけでなく、醤油や味噌、酢など発酵物を扱う蔵元には、必ずと言っていいほどそんな鉄則がある。そして、杜氏や蔵人は新しい蔵に酒の神がやって来る時まで、いろいろな微生物へ畏敬の念を持たなければならないと、著名な発酵醸造学者さえ述べていた。

 神妙な面持ちで、銀平がつぶやいた。
「……眉唾な話とは思えねえ。築地の市場にだって、魚を美味しくする神様がいるって言われてるからよう」

 腕組みしている銀平から、相場が店内の客席に視線を移した。

「なるほど、だがら皆さん、うまそうに魚を食ってるだなや! うむ、ここには、もう神様が宿ってるなぁ……ひょっとしだら、おめさん方がそうかもな」
 ほほ笑む相場は、自分の醸した純米酒を口にすると問わず語りを続けた。

 酒の神様は神無月の10月には出雲の国にいるが、11月になると福の神を連れて蔵へ帰って来るものだ。それまでに、杜氏や蔵人は神棚や仕事場を清めて、蔵元を豊かにしてくれる七福神を待つのだと言った。

「なるほどですねぇ、ポンバル太郎の七福神ですか。さしずめ、魚屋の銀平さんは恵比寿様ですか。弁天様はもちろん、あすかさんだ」
 平の褒めそやしに、あすかの表情がさらに赤くなった。
「あら先生、嬉しい! 平先生は福禄寿ね。布袋様は、姿がそっくりな中之島の師匠。毘沙門天は、ちょっとイケメンな龍二君かな」
「大黒様は、金融マンの菱田さんか。おいおい、寿老人ってマリさんかよ。『あたしゃ、年寄りやなか!』って、ブチ切れちまうぜ」

 苦笑する銀平に、太郎も「ちげえねえ」と笑いを返した。

 あ・うんの呼吸で盛り上がる面々に、相場が口を開いた。
「太郎さんと息子さんを、いつの間にか、こんな七福神様が守ってるとは……そう言えば、ハル子さんがポンバル太郎を開いて、ようやく5年だすなぁ」

 感慨深げに盃を飲み干す相場に、太郎が答えた。
「ええ、ちょうど3年経った頃、今の常連さんたちが揃ったんです……あるんですね、やっぱり」

 聞き入るテーブル客たちも口をつぐんでいると、玄関の鳴子がまた響いた。
「遅くなりました! 相場杜氏さん、来てますか!?」

 不躾な言葉遣いのジョージが、汗をぬぐっていた。数日前、相場がやって来ると聞いて、ぜひインタビューしたいと意気込んでいた。
「おおっ! もう一人、新人の神様を忘れてましたねぇ」
「う~む、でもアメリカの黒船と宝船は、ちょいとばかり、わけがちがいますぜ」
 平と銀平の掛け合いに、笑いが巻き起こった。
 ジョージがキョトンとしていると、開いたままの扉から赤い物が飛び込んだ。
「あっ……アキアカネ」
 あすかがつぶやくと、アキアカネを目で追う相場が言った。
「酒の神様の使いだっぺ。ハル子さん、お久しぶりだなやぁ」
 それに答えるかのように、赤い胴体は相場の酒瓶にスイっと止まった。
「どうやら今年こそ、酒の神様はうちの蔵さ、来てくれそうだ」
 満面の笑みを見せる相場と客たちに、アキアカネがブブンと羽根をふるわせた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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