TOP > ポンバル太郎 > 第139回 黒アワビ

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Vol.139 黒アワビ

 暖冬のはずが奥多摩に初雪が降った夜、都心の温度も一気に10℃を下回っていた。山手線のホームでは、駅蕎麦の券売機前に行列ができている。

 ポンバル太郎では小鍋やおでんなどのアツモノを肴に、燗酒を頼む客たちが顔を上気させている。にぎやか過ぎるほどの店内は、熱燗向きの辛口本醸造の売れ行きがいい。

 声高に会話する常連たちの表情も、湯気の中でほころんでいた。久しぶりにやって来た菱田祥一は、牡蠣の土手鍋。平 仁兵衛はてっちり。高野あすかは、目ざとく見つけた海鮮鍋を注文した。

「へぇ、三陸産の黒アワビがたっぷりなのね! 肉厚なのだと、いいなぁ!」
 カウンターに頬杖を突くあすかが、メニューを見ながら待ち遠しげに熱燗の盃をあおった。

「あたぼうよ! 俺が目利きした気仙沼産の黒アワビだ! 放射線もヘチマも一切ねえ、すこぶる上物だぜ」
 赤ら顔の火野銀平が、黒アワビのバター焼きと山廃純米酒を飲りながら胸を張った。だが、冷蔵ケースの黒アワビの数からして、売れ行きはイマイチのようだった。
「じゃあ、俺は海賊焼きを頼むか。与和瀬、醤油だけで焼いてくれないか」

 太郎へ注文する菱田も山盛りで残っている黒アワビを気にした時、肩越しに右近龍二の声が響いた。
「それ乗った! 太郎さん、僕も海賊焼きをお願いします」
 騒がしい店内に玄関の鳴子が掻き消され、龍二の気配を誰も感じなかった。隣に立っている連れの大男は、店内の客たちからいっせいに視線を浴びている。

 190㎝近い男を見上げる平が、感心してつぶやいた。
「こちらさんは、黒アワビ1個じゃ、量が足りませんなぁ」
「いえ……俺、黒アワビは結構です。ほかの物を頼みますから」

 30代半ばとおぼしきスーツ姿の男は、メニューの三陸産の文字に顔をしかめた。どことなく、沈痛な面持ちだった。

 男の口調に高野あすかの顔が曇ると、酔った銀平が文句をつけた。
「何でぇ、三陸産だからダメだってのかよう。これはよう、俺が見込んだ気仙沼の海女が素潜りで獲ってる上物でぇ! おい龍二。おめえの連れなら、火野屋のネタの良さをキッチリ教えてやれよ!」
 口さがない銀平に、龍二が男へ気まずげな笑みを浮かべた。

「いや、そんなわけじゃないですよ。だって、こちらの小川さんは宮城県の出身だし。それに魚屋の銀平さんにだって、好き嫌いはあるでしょ」
 諌める龍二の目が、いつになく怒っていた。龍二の言葉使いから、どうやら小川は得意先らしいとビジネスマンの菱田はすぐに気づいた。
「よしなよ、銀平さん。初めてのお客さんに対して、行儀が悪いぜ。黒アワビを押し売りする気なら、俺も海賊焼きは取り消しだ。食わねえよ」

 菱田が聞こえよがしに言ったのは、厨房から太郎を呼び出すためだった。悪酔いした銀平の暴走を止めるのは、太郎しかいない。

 菱田の声に、銀平があすかの表情を覗き見た。それに気づいたあすかは、長いため息を吐いた。
「まさか銀平さん、『あすかの気持ちを考えろ』なんて言わないでね。私は、この黒アワビを食べたいから食べるだけ。誰にも、とやかく言われる筋合いはないわ」
 福島県の純米酒の冷酒グラスを、あすかは勢いよく飲み干した。重苦しい雰囲気が続いたが、太郎はまだ現れない。

 ふいに小川はカウンター席へ腰を下ろし、問わず語った。太い声音が、常連たちの頭上から落ちてくるようだった。
「俺、気仙沼の黒アワビは大好物でした……でも、あの3月11日以後、口にできなくなりまして。放射線や環境問題のせいじゃありません。俺の惚れていた女性が、気仙沼の津波で亡くなりました。彼女は、黒アワビの素潜り漁をしていました。だから黒アワビを見ると、どうしても思い出していまいます」

 小川の言葉が途切れると、待っていたかのように太郎が海賊焼きを右手にして現れ、菱田の前に置いた。左手は、なぜか週刊誌を握っていた。

 古びたその表紙が、2011年1月号と記している。
「小川めぐみさん、だったね。その女性は、若手海女のリーダーだった。そして、あんたは仙台市出身で元・バレーボール日本代表の小川彰一さんだろ。どこかで見た気がしてね」

 太郎が開いた週刊誌の写真に、ゼッケン3を背負った長身の男と海女姿の可愛らしい女性が写っていた。キャッチコピーは“東北をアピールする、若きリーダー”と書かれていた。確かに写真の男は、目の前の小川らしき面ざしを残している。小柄でにこやかな女性は、男の胸ほどの背丈しかなかった。

 太郎の現れるのが遅かったのは、その雑誌を探していたせいかと菱田は察した。

 小川は食い入るように、週刊誌に見入った。常連たちが目を丸くして、小川の表情と週刊誌を見比べた。テーブル席の客も、小川の横顔を凝視している。

「……あの日以来、俺はめぐみの写真を避けていました。皮肉にも、気仙沼の黒アワビが再会させるとは。この週刊誌の取材で初めて逢って、俺は彼女に一目惚れしました。以来、彼女の獲る黒アワビを食いに、気仙沼へ通っていました。春には、正式に交際を申し込むつもりでした。震災の日も東京での俺の試合に誘い出すつもりが、チャンスを逃した。俺が誘っていれば、彼女は助かっていたでしょう。“アワビの片想い”のままに、願いは通じませんでした」
 小川の話しは龍二も初耳だったらしく、カウンター前で茫然と立ち尽くしていた。

「右近君。だから俺は会社のバレーボール部や日本代表も引退して、普通の社員になった。今は、単なる営業マンだ」
 海賊焼きの白い湯気が、小川の低い声を包みながら換気扇へ消えて行った。

 店内の客が押し黙る中、平は太郎へ気仙沼の純米酒を頼んだ。
「その酒を、小川さんへ差し上げてください。菱田さん、その黒アワビの海賊焼きも彼に召し上がってもらって、よろしいかな? 」

 菱田がはっとして頷くと、隣りのあすかが殻ごと炙った海賊焼きを小川の前に押し出した。濃い醤油の匂いに、小川がつぶやいた。
「これ、仙台の醤油ですね……風味で分ります。めぐみも、この食べ方が一番だと言ってました」

 箸でスッポリ外した大きな黒アワビの身に、小川はかぶりついた。これまで辛抱していためぐみへの想いが、むさぼるような食べ方に顕れていた。

「いいですねぇ。今どきの男は草食系なんて言われますが、愛はそれぐらい旺盛じゃないといけません。それじゃあ、小川さん。黒アワビの殻を持ちましょうか。叶わなかった、めぐみさんとの固めの盃ですよ」
 口いっぱいの黒アワビを呑み込もうとする小川に、平が冷酒グラスを差し出した。どうやら空になった黒アワビの殻に、純米酒を注ぐつもりのようである。

 小川が戸惑いながら殻を差し出すと、グラスの酒が注がれた。途端に、殻に開いた穴から純米酒が洩れ出した。
「おおっ! し、しまった!」
「おなたの大きな手で、黒アワビの殻の穴をふさぐんです」

 平の声に小川が素早く反応すると、あすかがおしぼりを手渡しながら言った。
「バレーボールは上手でも、女性には不器用みたいね。でも、もう二度とチャンスを逃しちゃだめですよ。“黒アワビの片想い”も、二つ目からは両想いになるでしょ」
 次の恋は必ず実らせてと、あすかの目が小川を励ましていた。

「いや、俺はめぐみ以外の女性は……」
 口ごもる小川の背中を、しばらく口を閉ざしていた銀平が勢いよく叩いた。
「大丈夫でぇ。この黒アワビはよ、実は、めぐみちゃんの妹が2年前に高校を卒業して、海女になって獲ってんだ。めぐみちゃんに瓜二つの美人でよ。一度、逢いに行ってみな。ただし、両想いになるかどうかは、あんたの腕しだいだぜ」

 スマートフォンを取り出した銀平が、写真を見せた。海女姿の女性は、雑誌のめぐみとそっくりだった。

 我に返った小川が銀平にお辞儀をして黒アワビの殻の酒を飲み干すと、嬉しげな龍二が「海賊焼き、おかわり!」と太郎へ注文した。

 太郎が、銀平を褒めそやした。
「お前、たまには、いいこと言うじゃねえかよ」

 銀平が剃った頭を掻きながら、カウンターの雑誌を手にした。
「面目ねえ。この記事を見ても、すぐに小川さんとめぐみちゃんの事に気づかなくってよう。つい酔っぱらっちまうと、俺の目は節穴になっちまうんでぇ」

 苦笑いする銀平を、あすかがイジくった。 

「あら、銀平さんは節穴じゃなくて、笊みたいに穴だらけじゃない。だから、日本酒の知識だって、ちゃんと憶えたためしがないもんね」
「こ、こんちくしょう。おめえこそ、いつまでも誰かさんに、“アワビの片想い”じゃねえかよ!」
 あすかをくさす銀平の視線が、厨房に戻る太郎の背中へ止まった。
「な、なによ! ほっといてよ、大きなお世話よ!」
 またぞろ始まった内輪もめに、平が小川の手にする黒アワビの殻へ二杯目を注ぎながら言った。
「実は、ポンバル太郎も片想いばかりでしてねぇ」
「銀平はあすかに……あすかは与和瀬か。お互い、さっさと素直になればいいのに」
 飽きれながらも嬉しげな菱田に、小川が笑みをこぼして飲み干した黒アワビの殻を渡した。
 満たされる純米酒が、白い殻の中に虹色を輝かせていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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