TOP > ポンバル太郎 > 第14回 はじけ酒

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Vol.14 はじけ酒

 カラン! カラン! とけたたましい振り鐘の音が、朝まだきの築地市場に響いた。
血まなこでセリに臨む仲買人や、運搬車のハンドルを切り回す若い衆に人いきれする場内では、迂闊によそ見をしていると怒鳴りつけられてしまう。
その活気の中に、太郎の姿があった。右手には、小さなクーラーバッグを提げている。
ようやく梅雨明けが間近になり白南風がそよぎ始めた先週、油断をした火野銀平は夏風邪をこじらせ、臥せってしまった。
高い発熱で足元のおぼつかない銀平から、太郎へ詫びの電話があった。
「面目ねえ。魚は火野屋を一緒に経営してる従兄弟が目利きして、きっちり納品するからよ」
と低く枯れた声が携帯電話から聞こえた。
火野屋に全幅の信頼を置いている太郎からすれば、仕入れには不安のかけらもないが、それよりも銀平の容態が気になった。
「それなら見舞いがてら俺が築地へ行って、直接目利きするよ。厄払いにうまい酒も持って行ってやるぜ。何がいい?」
と太郎が訊くと、一瞬口ごもった銀平から耳を疑う声が戻ってきた。
「あのさ……活性酒の500mlか300mlで、できれば女性に人気の低アルコールの酒がいいな」
「おいおい、鬼の霍乱かよ? 低アルコールって、お前には寝酒にもならねえぜ!」

 太郎が念を押して訊くと、病み上がりだの、腹の具合がイマイチだのと、銀平は言葉を濁した。原酒派の銀平らしくない豹変ぶりに、太郎はわざと生返事を返し、その理由を確かめようと築地へやって来たのだった。

 合点のいかない追憶を、威勢のいい声が掻き消した。
「あんた、邪魔だよ! どいて、どいて!」

 太郎が振り向いた途端、小山のようにトロ箱を積んだ台車が真横をかすめた。その瞬間、上段に乗せていたサワラの箱が横滑りして、太郎の前に飛んで来た。
「うぉっと! あっ、あぶねえ!」

 間一髪、トロ箱を抱きかかえた太郎の視線が、チッっと舌打ちして後ろを振り返る女の姿を捕らえた。歳の頃は、三十路に入ったばかりに思えた。
ポニーテールに結わえた濡れ羽色の髪、一重まぶたの目元と鼻筋から顎までの細面が、いわゆる日本美人的だった。化粧っ気のないスッピン顔に柳眉を寄せながらも、うなじの白い肌が小気味良い色香を放っていて、ゴム長越しの脚は店に立っている魚匠たちの視線も集めていた。
「兄さん、ありがとうよ!」

 女は無造作に太郎からトロ箱を取り上げると、脇目も振らず台車を押して行った。

 返す言葉を忘れている太郎の後ろから
「まったく、いい女だぜぇ! 銀平の野郎が、羨ましいや」

 と魚匠たちのぼやく声がした。

 太郎は耳を疑いながら、小走りで去る女に瞳を凝らすと、彼女のTシャツの背中には銀平と同じ火野屋のロゴが入っていた。
「あっ、銀平の野郎! これで、活性酒と低アルコールの理由が判ったぜ!」

 太郎はしてやられたと思いつつも、無意識にほくそ笑む自分の口元が嬉しかった。

 考えてみれば、火野屋は銀平とその従兄弟で切り盛りする商店で、男っ気ばかりの職場だった。父の死後は、母の和代が店先で勘定箱を守っていたが、彼女も二年前に他界している。今も惜しまれるのは、和代と妻のハル子はお互い意気投合する間柄で、火野屋との取引も二人の出逢いから生まれたのだった。

 ポンバル太郎の開店前、築地で魚匠の店を物色していたハル子は火野屋に座る和代に呼び止められた。魚介類の仕入れを任せたい匠の店を探していること、ポンバル太郎の開店、そして将来の夢まで熱く語るハル子へ和代は聴き入ると、二つ返事で快諾し、銀平に取り引きを始めさせた。

 実は和代も日本酒好きで、風呂上りには半合の酒を「天の美禄、百薬の長、ありがたや」と合掌して、毎晩のように嗜んでいた。
在りし日の和代を想いつつ、太郎は火野屋に向かう足取りがどことなく弾んで、
「銀平も、これで年貢の納め時か」
と独りごちていると、顔見知りの海老商の旦那が呼び止めた。
「太郎ちゃん、火野屋に行くのかい?」
「ああ、おはようございます。そうすよ、久しぶりに築地に来たもんで。ちょっとばかり、銀平を冷やかしてやろうかと思いましてね」

 火野屋と親しい海老商だけに、今しがたの女のことも知っているはずと太郎は小指を立てた。
「ちがうんだよ……ありゃ、銀平の従姉妹で、玲子ってんだ。銀平が倒れちまった間だけ助っ人に来てんだが、肝っ玉の据わった女でよ。まるで、俺がガキの頃に見てた、あねご肌の和代さんにソックリだ」

 玲子が子どもの頃、時折築地へ遊びに来ていたのを記憶しているが、見違えるほどの別嬪になっている。しかし和代の血を引いてか、つい二日前も朝から酔っ払った観光客が火野屋でクダを巻いてると、市場からつまみ出したと旦那は太郎に耳打ちした。
「だからよ……銀平のコレなんかじゃねえんだよ」

 その時、ささやく旦那に海老屋の店先からしゃがれた声が飛んで来た。
「あんた! いつまで油売ってんだい! さっさと海老をさばいちまいな!」
「うへっ! うちのかかあも、和代さんの弟子みたいなもんだったからな。じゃあな、また寄ってくれ」

 愛想笑うしかない太郎だったが、そそくさと引き上げる旦那の後姿がやけに可愛く思えた。

 太郎の脳裡に、ふとハル子と初めて来た日の築地市場の記憶が甦った。ど素人扱いされながらも、魚匠に笑顔を振りまいていたハル子を頼もしく思ったのが、つい昨日のことのようだった。
「女は強えな、ハル子……築地の裏方にも、一流の女性たちがいるんだぜ」

 太郎は活性酒の瓶をクーラーバッグから取り出しながら、銀平の気持ちを斟酌した。
「玲子さんを好きなんだろ、銀平……お前、マザコンだしなぁ」

 そうつぶやいた声を呑み込むと、太郎は火野屋の店頭で声を高くした。
「いよっ! 久しぶり。銀平は生きてるかい!」

 途端に、さばいた魚と氷をトロ箱に詰めていた玲子が振り返り、「あらっ? さっきの!」
と真顔になって口走った。
「ふっ、ご縁があるね、玲子さん。よろしく頼むぜ!」

 キョトンとする玲子の後ろから、下まぶたにクマを作った銀平が現れた。

 銀平は戸惑う玲子をいなしながら、かつて和代が座っていた古びた椅子に太郎を誘うと、手にした活性酒の小瓶を見て
「すまねえな。その酒は……」
とはにかんだ。
「銀平、築地は広いようで狭い……いろいろと聴いちまってよ。玲子さん、お前のおふくろさんに似てるな。 まあ、お前にはもったいねえ女だけどよ」

 太郎の意味ありげな口調は、玲子と自分が血縁であることを知った上と銀平は察した。
「おふくろが亡くなる前に、『このはじけ酒は、うまいねぇ。あたしゃ、生まれて初めて飲んだけど、この酒みたいな女のままで死にたいよ。いきのイイ、小股の切れ上がった娘みたいな酒だねぇ』とほろ酔いだった。だから、玲子に飲ませてやりたくなってさ」

 聞こえてないのか、わざと聞かぬふりか、玲子は額に汗しながら配送用のトロ箱を黙々と台車に積んでいた。
「お前のおふくろさんも、よく動く人だったよなぁ。だから、活性酒の持ってる炭酸ガスと、プチプチのノド越しが好きだったのかもな」

 太郎は揺らした活性酒の瓶の中に立ち昇る泡を見つめて、銀平に笑った。
「ああ……きっと玲子もその小瓶、ラッパ飲みするだろうな。おふくろがやってたみたいに」

 その時、瓶の泡粒の向こうに、ふっと見慣れた顔が現れた。
「やっほ~、奇遇だね! 今日は、築地で唯一の女セリ師の取材で来たの!」

 抜群のスタイルで声を弾ませる高野あすかに、辺りの店の男衆が視線を奪われていた。
「また一人、来やがったよ……強ぇえ女が」
「う~む……こりゃ、一升瓶のはじけ酒が必要だったぜ」

 太郎と銀平の笑い声が、賑わう築地市場の喧騒の中に吸い込まれていった。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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