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Vol.146 木魚

 初売りのデパートの福袋へ、外国人客が殺到している。浅草や深川は初春の骨董市が人気を呼び、地下鉄やJRには大きな箱を手にする中国人客の姿もちらほらしていた。

 毎年、その骨董市へ出かける平 仁兵衛はくたびれ顔でポンバル太郎へやって来ると、大きな風呂敷包みをカウンターへ置いた。
 二人分の席を占めるサイズに、宝船の初夢を見たと自慢していた火野銀平が新酒のグラスを口元へ止めた。

「平先生、また骨董市で変わった物を仕入れたんですかい? 去年は確か、大正時代の七輪コンロ。あんなに煤けてちゃ、オブジェにも使えなかったでしょ?」
「あれはねぇ、万年青(おもと)の植木鉢にしました。なかなか、味がありますよ……今回は、太郎さんにあげようと思って買いました」

 平の広げた風呂敷から、飴色の木肌を光らせる魚の彫り物が現れた。片隅に木槌が掛けられ、それで叩いたのか魚の腹は大きくへこんでいた。
「な、何ですか。こいつぁ?」

 どぎまぎする銀平とは対照的に、太郎がカウンター越しに身を乗り出した。
「木魚か……こりゃ珍しい。しかも、江戸時代の物じゃないですか」

 やぶ睨みする太郎の目が、木魚に刻まれた“弘化弐年”の字に止まっている。初めて木魚の言葉を耳にしたテーブル席の若い客も、腰を浮かせて覗いた。
「へっ? 木魚って、寺の坊さんが読経する時に叩いてる丸い物じゃねえの?」
 不審げな銀平が、割り箸を振りながら念仏を唱える格好をした。

「お行儀悪いわね。バチが当たるわよ」
 銀平の箸を取り上げたのは、いつの間にかやって来た高野あすかだった。口を尖らせる銀平を無視して、あすかは木魚に近寄った。
「平先生、裏返してもいいですか?」
 笑顔で頷く平の前で、あすかが木魚をひっくり返すと、そこにも叩いたような痕が残り、“多聞院”と墨字が浮かんでいた。

「平先生、これを見て買ったんでしょ!」
 興奮するあすかに銀平と若い客は首を捻ったが、太郎は得心顔である。
「ご名答。さすがは、蔵元の娘さんですねぇ。骨董商いわく、これは奈良県の僧坊酒を造った興福寺の木魚だそうですよ。まあ、真偽のほどは分りませんけどね」

 平は木魚を立てると、木槌で魚の腹をカーンと叩いた。そして、二度目は裏面を叩くと、最初とちがった音が店内に響いた。
 驚く客たちに平がお辞儀して侘びた時、玄関先から右近龍二の声がした。
「平先生、寺の庫裏、つまり台所では食事ができた時に木魚を叩くのですが、僧たちは裏を叩いて酒造りの進み具合を知らせたそうです。寺のお坊さんが酒を造るのは、宗教上、大っぴらにできませんからね。般若湯の呼び名も、そのためでした」

 興福寺の多聞院には室町後期から江戸前期に書かれた日記があり、多門院日記と呼ばれている。多聞院の院主・英俊の記録で、文明10年(1478)から元和4年(1618)まで書き綴られた46冊は、戦国時代から江戸初期までの政治・社会・文化の貴重な史料で、特に、酒造りの方法として、すでに火入れの技術が使われていたことも紹介されていると龍二は語った。

 感心しきりの客たちに、銀平はおもしろくなさげに木槌で木魚を叩いた。すると、木魚の底がコロコロと鈍い音を響かせた。
「バカ野郎! おめえ、壊したんじゃねえか!」
 太郎の声にほろ酔いの銀平が一気に青ざめると、飽きれ顔のあすかは木槌も取り上げた。
「まったくもう、大人げないわね。スネるくらいなら、日本酒の勉強をもっと真面目にやりなさいよ」
「平先生、すみません……面目ねえ」

 坊主のような禿頭を掻く銀平に太郎とあすかはため息を吐いたが、龍二は脇目もふらず木魚の底へ手を伸ばした。
「いや、壊れたんじゃないと思います……もし、この木魚が本当に多聞院の物だったならね」
 思わせぶりな龍二の言葉に、平の視線も木魚の底へ釘付けになった。

「龍二君、何か、仕掛けでもあるのですか?」
「ええ、多門院の木魚には伝説があって、酒造りの秘伝が中に隠されているそうです。もしかすると、この底部分じゃないですかね」
「て、てぇこたあ! スゲエお宝じゃねえですか、平先生!」

 初夢が叶ったとばかり小躍りする銀平にあすかは眉をしかめながらも、龍二の手元が気になった。木魚の腹にある切り込みを外すと、木製の小さな筒が平の前へ転がった。
「ふ~む、巻物でも入っていそうですねぇ。本物なら、これは重要文化財かも知れません。そうなれば、多門院へお返ししましょう」

 平だけでなく太郎とあすかも真顔に変わり、客たちは固唾を飲んだ。
「おい、龍二。俺が叩いたおかげで見つかったんだから、その筒を開けさせろ!」
 さもしい口ぶりの銀平にあすかがゲンナリすると、渋々、龍二は小指ほどの筒を手渡した。

 店内の騒動に二階から剣も降りて来て、古めかしい木魚に見入った。
 蓋を取った筒から、色褪せた巻紙が現れると「おお!」っと歓声が沸き起こった。
 得意満面で開いた銀平の表情が、見る間に、こわばった。
「これは、道玄坂 割烹 多門院の看板です。見つけた方は、ご連絡ください……だと。こんちくしょう、バカにしやがって! 誰が持ってくもんか」
 途端に剣が吹き出すと、全員が大爆笑した。

「あら残念、初夢は散ったわねぇ。でも、よかったじゃない。その割烹に木魚を返せば、取引先になるかも」
 あすかが木槌で木魚をカーンと叩くと、客席がどっと沸いた。
「惜しいですねぇ、興福寺の逸品だと思ったのですが」
 盃にぬる燗の純米酒を注ぎながら平がつぶやくと、剣が問わず語った。

「でもさ、この道玄坂の多門院って興福寺で修業した元・お坊さんがやってる、知る人ぞ知る名店だよ。だから、この木魚は興福寺に関係があるんじゃない」
「さすが剣君! よく勉強してるなぁ。それなら、本物の可能性が高いね!」
 昂ぶる龍二の声に、銀平が目の色を変えた。
「おお! そうかよ! じゃあ、さっそく俺が返しに行くぜ」
 またぞろ豹変する銀平の頭を、太郎が木魚のように叩いた。
「鈍い音だな。お前みてえな酒の勉強もロクにしねえ偽坊主じゃ、多門院の主人に失礼だ。剣に返しに行かせるよ」
「そ、そんなぁ。お宝の初夢が!」
 銀平は、思わず剣にすがりついた。
「はい! お後がよろしいようで」
 剣の叩いた木魚が、笑うかのように高い音を響かせた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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