TOP > ポンバル太郎 > 第150回 懐剣

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Vol.150 懐剣

 宵闇を裂く冬の稲妻が、スカイツリーの避雷針に落ち続けている。凄まじい轟音は亀戸や向島の下町に響きわたり、工場の職人たちの家路を急がせた。

 ポンバル太郎には、突如として降り始めた生温かい雨から逃げるかのように火野銀平と右近龍二が飛び込んで来た。
「いってぇ、どうなってやがる! 新宿御苑じゃ梅の花が咲いたってえし、寒の戻りもねえまま、いきなり春の嵐が来たみてえだぜ」
 窓ガラスを震わせる雷鳴に、テーブル席の客たちがどよめいた。その一方、カウンター席の平 仁兵衛は、どこ吹く風といったようすでぬる燗の純米酒を味わっている。肴は、秋田産ハタハタの干物だった。
「平先生、肝が据わってるなあ。まさに、魚へんに雷のハタハタにピッタリの夜ですね」
 感心する龍二が平の隣に座りながら、太郎へ同じ酒と肴を注文した。

「これしきの稲妻は、冬の日本海じゃ日常茶飯事ですからねぇ」
 余裕の表情でハタハタをつつく平に、テーブル席の若者が
「秋田の冬の嵐って、ハンパねえからな……以前、羽越線の列車もブリザードで吹き飛ばされちまったじゃん」
 と蒼ざめた顔で頷き合った。その言葉を追うように、カウンターの隅からしゃがれた声が聞こえた。
「そんげ、おっかねえ土地だから、必死でうまい酒さ、秋田人は造るべさ……しっかし、こいつらの出来は良ぐねえ」
 苦い顔の男が、薄くなった五分刈りの白髪頭を横に振っていた。その前には、三つのグラスが並んでいる。ざわつく客席に動じず酒を飲み比べていた男を、銀平たちは気づいてなかった。

 しかし早い時刻から飲んでいた平は、男がやって来るなり
「店にある秋田の酒を、一盃ずつ飲ませてくれ」
 と太郎へ無理を言った時、彼の風貌を探った。取って付けたようなグレーの背広に、白いタートルネックのセーターが垢抜けしなかった。指先はしなやかで白いが、関節は太く、掌の肉付きは厚かった。

 ひと目で蔵人、いや、杜氏かもと感じたのは、平だけでなく太郎も同じだった。蓋麹をていねいに造り、仕込みタンクへ櫂棒を揮う匠ならではの雰囲気を漂わせていた。
「お客さんが飲まれた酒は、最近人気の無濾過生原酒ばかりですよ。今、火入れした本醸造は在庫が切れてましてね。だから、昔ながらのコクのあるどっしり辛い秋田酒とはちがいます」

 素人へ話すような太郎の口調に、平と龍二は男を試していると察した。
 途端に、男はプライドを傷つけられたとばかり憤るかと思いきや、むしろ落ち着き払った穏やかな笑みを浮かべた。
「いいや、わしが言うのは、そうじゃねえ。これは糖化酵素を添加して、甘く調えた酒だべ……もちろん、糖化酵素を使うのは悪いことじゃね。だども、それに頼ってばかりじゃ、いつまで経っても本来の酒造りはでぎねえ。わしが良ぐねえってえのは、これからの若っけ蔵人たちが、そっちの方向ばかり向いちまうことだべ。楽な手を先に考えて、命がけで本物の酒さ造る覚悟がなくなるのが一番ダメなんだ」

 水を打ったように静まるカウンター席で、男の右手がジャンパーの懐をまさぐった。
 現れたのは、黒漆の鞘におさまった短刀だった。おそらく刃渡り30cmはあろう懐剣に銀平はたじろぎ、テーブル席の客たちも息を呑んだ。
「心配しねえでも、銃刀法所持の免許は持ってる。でも、こいつはほれ、錆びだらけで切れもしねえナマクラ刀だ……若けぇ蔵元が求める新しい酒造りには使えねえ、今のわしみたいなもんだ」
 男が抜いた赤錆びた懐剣は、鞘に“山内(さんない)杜氏 久保田 誠”と朱色の彫りが残っていた。秋田を代表する杜氏流派だった。

「く、久保田さん……てのか。あんた、そんな物騒な物を腹に仕込んで酒を造ってるのかよ!?」
 声をうわずらせる銀平に、太郎が飽きれ顔を横にふった。
「バカ! 現場に持ち込むわけ、ねえだろ! 隠し持ってんだよ」
「また、銀平さんの不勉強が露呈しましたね」
 龍二もため息を吐くと、平が久保田の隣に席を移して、鞘の黒漆に見入った。輪島塗の家元の血が、両眼に鋭い光を宿した。

「これは、秋田の川連漆(かわつらうるし)ですね。秋田の湯沢で受け継がれる伝統工芸品です。確か、鎌倉時代に武具に漆を塗らせたのが、川連漆の始まりでした。山内杜氏らしい、立派な懐剣ですねぇ……さしずめ久保田さんは酒造りにしくじったら、いつでも、この刀で腹を召される覚悟で出稼いでいた……というわけですか」
 平の問いに、久保田がはにかむように懐剣を鞘に戻すと、赤錆びの粉がカウンターへこぼれ落ちた。もう刃は、使い物にならないようだった。

「わしが杜氏になった昭和の半ば頃は、蔵元と心中する覚悟がなければなんねかった。師匠から、そう教えられたわけじゃねえ。そう自分で悟る時代だった……先月、そんな昔話を興味津々で聴いてくれた青い目の取材ライターに、この店さ、教えてもらったんだ。アメリカ人のそいつが雑誌の取材で正月明けに秋田の蔵さ来た日、わしは今季限りで引退すると言ったら、『ぜひ、東京に来たら、ポンバル太郎へ行ってみて』と誘われてよ……そんだば良い店か、半信半疑だった。でも今日は、この懐剣の意味を解ってくれてるだけでも嬉しかったさ」
 久保田の声の余韻に、太郎はここ数年起こっている蔵元や杜氏の世代交代を実感した。
 徒弟制度や季節蔵人の消滅、新しい日本酒の品質追求、世界中に好まれる日本酒への変化……確かに、海外の料理店や若い世代のテイストにはまる白ワインのような日本酒も開発されている。しかし、それを久保田のような老練な杜氏が断固拒否している噂も耳にしていた。
 “老兵は去るのみ”。そう腹を決めた久保田ならばこそ、今しがたの伝統的日本酒の先行きを危ぶむ発言だと、太郎だけでなく平と龍二も悟った。

 懐剣を置いた久保田に、銀平が
「その青い目のライターってなぁ、もしかして」
と口走った時、玄関の鳴子が音を響かせた。

「オウ! 久保田のオヤジさん! 待ってましたよ!……あっ、取材で聞いていたハラキリの刀ですね。いやぁ、カッコイイ! その刀、私の勤める出版社で買い取りたいです。アメリカの本社のギャラリーへ、クールな日本酒と飾りたいのです」
 カウンターに歩み寄ったジョージは臆面もなくヤンキー気質をさらけだして懐剣をつかむと、ポーズを取って腹の前に構えた。

 久保田が困り顔で、はにかんだ。
「ふっ、これだもんなぁ。とにかくジョージの取材センスにかかると、わしがこの歳まで経験した苦労や辛抱も、あっさりカッコイイになっちまうだ。だども、この懐剣は俺の魂だから、アメリカになんぞやれねえ。むしろ、これからの若え者たちが日本酒の真髄を忘れねえ場所に残してえ」
 断りの声へジョージがガックリうなだれると、平は真顔で問わず語った。
「ならば、私に譲って頂けませんか。ただし、赤錆びを落として磨いても、真剣には戻しません。刃は潰して模造刀にし、このポンバル太郎へ私が寄贈します……太郎さん、あの神棚の隣に飾らせてもらえますかねぇ」
「望むところです。その懐剣がある限り、うちの店は本来の酒造りを頑なに守っている伝統酒を用意するし、久保田さんの持っていた覚悟をお客さんへ語りましょう」

「ありがてぇ話だべ……ならば、わしもポンバル太郎へ、たびたび邪魔するべな」
 店内の客たちが頷く中、ジョージは「仕方ないね」と肩を落とした。
「そりゃ、おめえみてえな日本にやって来たばかりのヤンキーに、切腹の覚悟なんて百年早えよ!」
 ようやく秋田の酒を口にした銀平が、ジョージをイジくった。
「ほう、そう言うおめえの覚悟は、どうなんだよ? いっこうに、日本酒の勉強はおぼつかねえな。切腹覚悟でやらなきゃ、そのうち、うちを出入り禁止になるかもなぁ」
 太郎が銀平に脅しをかけると、ジョージがその前に懐剣をゆっくりと置いた。
「ううむ……だけどよう。メタボな俺の腹は、錆びた刀じゃ切れねえじゃん」
 言い逃れる銀平に、久保田と客たちが思わず苦笑を洩らした。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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