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Vol.174 茶豆

 大型の台風3号は夜半に四国の足摺岬へ上陸し、進路予想では3日後に東京直撃と気象庁が発表していた。水不足に陥っていた高知県にとっては、まさに旱天の慈雨。「四国の水甕」と呼ばれる早明浦ダムをひと晩で満たした960ヘクトパスカルの暴風雨に、利根川流域では一年前の北関東の大洪水を警戒して、早々と避難勧告を始めている。
 それでも、嵐の前のフェーン現象と蒸し暑さに、都内の繁華街では生ビールが飛ぶように売れていた。ポンバル太郎も生樽や瓶ビールだけでなく、クラフトビールの小瓶まで在庫が切れかかっている。
 仕方なく太郎はカウンター席にやって来た右近龍二や平 仁兵衛に、今夜のビールは辛抱してほしいと詫びた。店内にあふれるビールジョッキへ苦笑いした二人は
「じゃあ、冷えたスパークリング大吟醸を一気飲みしますかぁ」
と破顔一笑した。
 むろん、火野銀平にも太郎は我慢しろと頼んだ。だが、渋々納得した銀平は客席に向かって毒づいた。
「なんでぃ! ちったぁ、生貯蔵酒や生詰め酒を飲みやがれ! 夏場は、日本酒メーカーにとっちゃしのぎが大変なんでぇ」
 とがめる火野銀平だが、自身も今夜の本音は生ビール。しかも、キンキンに冷えたジョッキで飲み干したかった。日焼けした口の端に悔しさをありありと残している理由は、おすすめメニューの“丹波産の黒豆”だった。

 真夏を迎えるこの時期、ポンバル太郎には、中之島哲男が兵庫県の丹波で自家栽培した黒い枝豆が届く。関西では最高級品の枝豆で、粒の大きさや実の甘味がすばらしく、スィーツにも使われる逸品である。平はいつも、これにビールではもったいないと山廃純米吟醸を合わせた。むろん、皿に盛られる量はごくわずかで、東京の健啖家が垂涎する旬のツマミなのだ。太郎が小皿へ盛った丹波黒豆に、銀平は口惜しげにつぶやいた。
「この黒豆の旨みには、コクのあるクラフトビールが抜群なんだがよう……まあ、次回の楽しみにするか」
「銀平さん。丹波黒豆の旬は8月いっぱいまで続くから、大丈夫すよ」
 龍二が慰めた時、カウンターの隅からボヤくような声が聞こえた。
「こんたな、ちびっとが枝豆だかね? やいやぁ、高っけぇツマミだねぇ」
 訛って間延びした声へ客たちが振り返った先に、風采の上がらない中年の男が薄汚れたGジャン姿で頬杖をついていた。傍には、小ぶりの段ボールを積んだ手押し車が置いてある。

「茶豆(ちゃまめ)の方が、絶対にうめえっさ」
 男は指先でつまんだ丹波黒豆を、にべもない口調で皿へ投げ戻した。
 その所作に龍二が冷や汗をかくと、案の定、銀平の肩は震えていた。新顔の客がポンバル太郎のメニューへ難癖をつけたら、銀平の癇癪玉が破裂するのはお決まりのコース。腰を浮かせる銀平を龍二が諫めようとした時、威勢のいいの別の声が隣の席から飛んだ。
「おう! 俺っちが納めた丹波の黒豆にアヤつけようってのかよ! あんたの言う茶豆ってのは、どんなシロモノでぇ。俺は築地市場で、そんな名札を書いたこたぁねえぞ」
 銀平の隣で鼻息を荒げているのは、京野菜の万願寺とうがらしの一件で揉めた八百甚の誠司だった。あれから誠司は、手のひらを返したように銀平を兄貴分と慕うようになっている。ちゃっかりポンバル太郎へ通い、銀平の肝煎りで太郎からの注文を取りつけていた。
 ただ、酔えば調子に乗る性格まで銀平に似ているのは頂けないと、太郎からいつも釘を刺されている。

 若気の至りで腕まくりする誠司を、厨房で魚をさばく太郎に代わって、平がとがめた。
「誠司さん。茶豆を知らないようじゃ、一人前の青果商とは言えませんねぇ。新潟が自慢する極上の枝豆ですよ。まあ、ほとんどが地元で消費されて、県外へは通販が多いそうですから、築地の扱いは少ないのでしょうね」
  誠司を腐すのではなく、諭すように平は言葉を続けた。茶豆は主に新潟市に近い黒埼町で栽培され、長い間、地産地消されていた伝統の枝豆である。昔は田んぼの畔道で、稲作の副業に栽培されていたが、旬の夏場に県外から新潟を訪れた人が口コミで広め、今では特産品に成長した。

 「私は10年ほど前に、新潟で頂きました。とっても甘くって、丹波黒豆に勝るとも劣らない、美味しい枝豆ですよ。ただ、ザルに山盛り出された時は、思わず絶句しましたがね。あんなにたくさんの枝豆が一人前の量なんて、東京じゃ、あり得ません。それと茶豆の名前は、豆粒を包んでいる薄い皮が茶色だからと聞きましたが、そうですかね? あなたの言葉、黒崎あたりの訛りでしょう?」
 平の穏やかな目元が、誠司からカウンターの隅の男へ移った。平の茶豆解説に目を丸めていた男は、見抜かれた素性が図星だったのか、何度も頷いた。
「そ、そんです。今は新潟市小平方と言いますが、俺は黒崎出身の斉藤幸太郎です。今も新潟で農業さ、やってます。うちの茶豆を、枝豆フェアに持って来た帰りです……ただ、その丹波の黒豆も含めて、全国から特産の枝豆が集まってたもんで、これだけ余っちまった。うちへ送り返しても日持ちが悪いもんでぇ、処分するしかねんです」

 斉藤の素直な答えにひとまず銀平は機嫌を治したようで、龍二は胸を撫でおろした。その吐息の隙間に、また誠司が口をはさんだ。
「けどよう、ザルに山盛りの枝豆を食うなんて、どんな神経してんだよ? 枝豆ってなぁ、あくまでツマミだろ?」
 性懲りもなく噛みつく若僧の誠司に、太郎の説教が飛んだ。
「あのよう。おめえ、やっちゃ場じゃ、まだハンパ者なんだろ。だったら、一人前の農家さんにタメ口を利いてんじゃねえよ、誰のおかげで商売やってられんでぇ」
 だが、誠司は納得がいかないとばかりに口を尖らせた。
「で、でも、食ったこともねえ茶豆の魅力なんか、俺、分からねえっすよ!」
 途端に、銀平の手のひらが誠司の剃り上げた頭をはたいた。
「この野郎、太郎さんに口答えするなんざ、百年早ぇんだよ!」

 店内がざわつくと斉藤が立ち上がり、太郎へ脇に積んでいた段ボール箱を開いた。
「ご主人。この茶豆を、皆さんに食ってもらいてぇ。茹でてもらえねぇすか?」
 箱の中は、緑の鞘をたわわに実らせた豆がギッシリと詰まっていた。草いきれのような匂いがカウンターに広がると、冷酒グラスの大吟醸を飲み干した龍二が嬉しそうに段ボール箱を覗き込んだ。
「あ~、田舎の匂いだ。土の香りもしますね。なんて言うか、僕には土佐の祖父や祖母の匂いって感じかな」
 すると、斉藤が立ち上がって、声音を高くした。
「そうだかね! そう感じるかね! まんず、昔の茶豆は年寄りのお茶うけや、酒のつまみだったのさ。新潟の祖母ちゃんたちは、ご近所の人たちとお茶を飲んでしゃべるのが日課でねぇ。長々と茶を飲みながら、茶豆をつまむのさ。祖父ちゃんたちは夕涼みの縁台で淡麗な冷や酒をなめながら、茶豆を肴に夏場の暑さをしのぐ。だっけぇ、どっちにしても茶豆の一人前は、ずいぶんと多いわけだ」

 現地人ならではの茶豆のこぼれ話に、平が両手を打って喜んだ。そして、太郎へ茹でた茶豆をどっさりザルに入れてくれと頼んだ。
 当初、胡散臭げに腕組みしていた誠司は、目にした茶豆の色・形や由来に感心し、斉藤へ頭を下げた。
「そうだったんですかい……茶豆は、新潟の人と人をつなぐ大事な糧か。こりゃ、その切り口で売り込めそうだ。斉藤さん、俺ぁさっそく、仕入れてみたくなったぜ!」
「てやんでぇ、誠司。おめえ、茶豆って字も知らなかったくせに、調子こいてんじゃねえよ」
 ひじ鉄する銀平だが、その表情はやけに嬉しげだった。内心、新しい弟分の手柄になることを喜んでいると龍二や平が察した時、太郎が皮肉った。
「銀平。それじゃあ訊くが、おめえは魚の名前をすべて書けるんだろうな。ちゃんと漢字でよ!」
「えっ、いや、そのう、築地じゃ、ひらがなが手っ取り早ぇんでよ。あはは……」
 鼻をひくひくさせる銀平の横で、誠司が「兄貴、頼みますよう」と茶豆をつまんだ。
 飛び出た茶豆が銀平の鼻の穴に飛び込むと、客席を爆笑が包んだ。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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