TOP > ポンバル太郎 > 第175回 呑み切り酒

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Vol.175 呑み切り酒

 猛暑続きの都心では昼前に35℃を超える毎日で、数年前の電力不足など忘れたかのように駅ホームのエアコンがフル回転している。デパートのビヤガーデンは中国人旅行者のネット予約が殺到し、サーバーがダウンするほどだった。その一方で、下町の居酒屋は、暑さのせいで年配の常連客の足が遠のいている。
 それでも、ポンバル太郎だけは例外だった。

「太郎さん、嬉しいですねぇ、早出しの“呑み切り酒”が飛ぶように売れるとは、予想もしませんでしたよ」
 平 仁兵衛は、蔵元が半年かけて冷貯蔵した青森県の山廃純米酒のグラスを飲み干して、目尻をほころばせた。常温貯蔵ではなく、1℃以下のサーマルタンクで冷熟しただけに、洗練された香りと旨みのふくらみは絶妙のバランスである。
 その呑み切り酒に酔い、知ったかぶりで平へ頷いている築地・やっちゃ場の誠司に、隣の右近龍二がわざと突っ込んだ。
「誠司さん、呑み切りの酒って意味を知ってんの?」
「えっ!……あ、その、一気飲みしてグラスを空っぽにするぐれえ、うまい酒ってことじゃねえんですか」
 しどろもどろの誠司に、旬のハモの梅肉おとしを差し出す太郎が
「まあ、まちがいじゃねえけどよ……その答えじゃ、銀平と五十歩百歩だな」
とたしなめた。

 粗忽者で、まだまだ日本酒は素人の誠司だが、頻繁にやって来ては、食い入るように龍二や平など常連客の会話に耳を傾けている。その姿を、太郎は少しずつ気に入っていた。
 兄貴と慕われながら誠司をいじくる火野銀平も、存外、かわいい奴と目を細めているのを太郎は感じている。今夜もおっつけやって来て、誠司と酌み交わすはずである。
 粗野な若者だが、ポンバル太郎のホープになる可能性を秘めていると平も目を光らせていた。
 そんな面々の耳を引きつける東北訛りが、カウンターの隅から聞こえた。
「だども、その“じょんから山廃純米”は、青森の呑み切り酒にしては味が薄っぺらだ。俺の故郷の弘前の呑み切り酒は、もっとコクがあってぇ、辛ぇけども旨ぇかったべさ。青森は“ねぶた祭り”、弘前じゃ“ねぷた祭り”。ひと文字ちがえば、祭りの屋台や酒の味も変わるんだ」

 声の主の男は鬚を剃った跡が白く、垢抜けしない身なりで、銀平が納めた鰺ヶ沢産のホウボウの刺身をつまんでいた。くたびれたジャケットに相反して、やけに自信ありげな津軽弁が店内の客たちの視線を惹きつけると、男は誰ともなく
「俺は、ねぷた職人の黒石公平ちゅう者だ。新宿のデパートへ、ねぷたイベントに来てるのさ……実家は以前、弘前で蔵元をやってたの」
と盃を飲み干して名乗った。飲む酒は、弘前の本醸造である。
 黒石が問わず語りを始めると、厨房の太郎は包丁を止めた。龍二と平も興味津々の表情を見せ、誠司が真顔になって耳を傾けた。

「呑み切りは、造り酒屋の大事な行事だぁ。貯蔵タンクの下にある呑み口の栓を切って開けるから、“呑み切り”なのさ。つまり、タンクにひと夏封印してた熟成酒を取り出すわけだ。昔は国税局の偉ぇ先生さ、蔵へ来てもらって呑み切り酒の味を評価してもらった。俺が若ぇ頃は、祭りでねぶたを曳いて汗かいたら、呑み切りのドッシリした酒を浴びるほど飲んだでなぁ。だげど、最近の青森のねぶた祭りは、県外から来る若ぇ者がハネトさやるもんで、あいつらが好きな甘ぇ味の生原酒が増えてるべさ」
 黒石が口にしたハネトとは、青森市で8月に催されるねぶた祭りの踊り手のこと。「らっせーら! らっせーら!」の掛け声でピョンピョン飛び跳ねる祭りで知られるが、一晩中飛び跳ねれば滝のような汗が噴き出すと、ほろ酔いの黒石は体を揺すってみせた。

 ポカンとする誠司の横で、聞き入っていた龍二が答えた。
「先日、テレビでも報道してましたよ。東日本大震災後、青森でも東京へ出る若者が増え、地元は少子高齢化がねぶた祭りにも影響しているって。ハネトをやる若者も、ツアーで呼び込んでいるそうですね」
「そんだよ……まんず、困ったもんだべさ」
 黒石が今しがた空けた盃に顔をしかめると、平はタイミングを図ったように、じょんから山廃純米の四合瓶を差し出した。
「実は、この山廃純米酒を醸した蔵元・じょんから酒造は、私の陶器を気に入ってくれましてね。社長は婿養子に入った方で、奇遇にも、旧姓があなたと同じ黒石なんです。青森には、黒石の姓が多いのですか? それに、ねぶた祭りが大好きな男だった。ですが、残念なことにねぶた屋台の事故で、5年前に亡くなったのですよ」
 平の打ち明け話に、黒石はビクリとして冷酒グラスを倒した。カウンターを濡らす酒の上で、職人らしい太くて長い指が小刻みに震えている。

「おっ、おう! 酒の一滴ぁ、血の一滴だろ。蔵元の血筋が、なんてヘマしやがる」
 誠司の苦言も黒石は耳に入らないようすで、まばたきひとつせず平へ詰め寄った。
「その男は、南部順平だなや……元の名は黒石順平。俺の実の兄貴だ……実家がじょんから酒造に吸収合併される時、兄貴は婿養子になったの。俺はねぷた職人の道を選んだども、祭りの呑み切り酒の味についちゃ、お互い譲らねえままでな。20年間、縁を切ってたのさ……バカッタレが、俺と決着つけねえまま、あの世さ、いっちまったべ」
 話を続ける黒石は、兄の順平が仕込み水に苦労していたと語った。土地の造成で青森市内にある蔵は、井戸に引き込む伏流水が劣化していた。そのため、上水(水道水)をRO水に変えて使っていたことを打ち明けた。

「なるほど、そこが兄弟喧嘩の発端ですか」
 太郎が厨房から現れて頷くと、誠司が龍二へ怪訝な顔で訊いた。
「あ、RO水って、なんだよ?」
「水道水を、純粋な水に還元するシステムさ。都会や近郊地域の蔵元は土地の造成とかで水質が劣化すると、酒の品質や味わいに影響するだろ。だからRO(Reverse Osmosis)膜ってフィルターを使って、水道水を濾過するんだ。逆浸透膜とも呼び、0.0001ミクロンの超微細孔のフィルターで、不純物を取り除くわけさ」
 龍二の整然とした解説に平が感心すると、店内の客席から
「へぇ、水道水で仕込んでる酒もあるとは、知らなかったよ」
と声が洩れた。

「てぇことは、極めてクリアな仕込み水ってことか……それなら問題ねえじゃんかよ、黒石さん」
 誠司が問いただすと、客たちも相槌を打った。だが、黒石はしばらく黙した後、つぶやいた。
「俺は、RO水を拒んでたんじゃねえ。兄貴に言い残した、水のことがあるのさ。それを使えば、きっと、ねぶた祭りにふさわしい呑み切り酒ができるってよ」
 悔しさを押し殺す黒石の両手は、こぶしを握っていた。誰もが斟酌するかのように口をつぐむと、太郎が黒石の前の四合瓶をクルリと反転させた。
「お兄さんは、それを分かっていますよ。この山廃純米の呑み切り酒の仕込み水、もうRO水じゃなくなってます。黒石さん、知らなかったでしょ」

 太郎の見つめる裏ラベルに、黒石が前のめりになった。
「あっ! し、白神の天然水……てことは、兄貴は白神山地に井戸を掘っただか! 俺が伝えたかったのは、まさに、その方法だ!」
 平が黒石の空いているグラスへ、もう一度、四合瓶を傾けた。黒石がようやく、じょんから山廃純米の呑み切り酒を受け入れると、平が口を開いた。
「弘前の南にそびえる世界遺産の白神山地は、ブナの森に覆われて、軟水の宝庫と聞きました。順平さんの思いも、あなたと同じだったんでしょうねぇ。当初はRO水を使った酒でも、いつか、弘前の呑み切り酒の味へ戻したかったんでしょう」
 得心した龍二がパチンと指を鳴らす横で、誠司が
「ふぇ~、そう来たか。蔵元って、やることがスゲエな」
と目を丸くした。

 なみなみと注がれた呑み切り酒に、黒石は潤んだ瞳を映しながら口にした。
「うむ……コクがあって、うんめえべ!」
 店内から歓声が起こると、鼻先を赤くしている誠司が叫んだ。
「ええい、順平さんとの喧嘩の思い出なんざ、それこそ、白神の水に流しちまいな! あんたが呑み切り酒を口にしてくれて、きっと天国で喜んでいるぜ」
 ほほ笑む龍二と平が、口を揃えた。
「まったく、似てきましたねぇ、兄貴分の銀平さんに」
 その時、玄関の鳴子が景気よく響き、銀平がクシャミしながら現れた。
「ハックシュン! ハックシュン! だ、誰でぇ、俺の事を噂してやがるのはよう!」

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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