TOP > ポンバル太郎 > 第179回 柳行李

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Vol.179 柳行李

 夏草を茂らせていた荒川の土手に、赤い花が点々と咲いている。
 川面をわたる涼しい風は茜色の夕陽を浴びる曼珠沙華を揺らせ、彼岸の頃を感じさせた。週末の堤防ランナーたちの足取りも、どこかしら軽やかに思えた。

 今しがた目にした初秋の光景を、カウンター席に座った高野あすかは純米吟醸の冷やおろしを口にしながら回想していた。今夜のポンバル太郎は5種類の冷やおろしが入荷し、それと合わせる肴に“落ち鮎の甘露煮”、“秋茄子の田楽”など、滋味たっぷりの癒し系メニューを太郎は用意している。しかし土曜の夕刻だけに、客はあすかを含めて二人だった。
「夏バテも来ちゃったし、今夜は静かに“重陽の酒”ってとこかな」
 メニューボードにつぶやいたあすかは、ふと視線を感じ、カウンター席の隅へ目を向けた。
 七三分けにした髪の生え際を白くしている男が、蛇の目の盃を手にしていた。五十代後半とおぼしき男は、レッテルのない茶色の四合瓶を手元に置いていた。
「良かったら、いかがですか。これ、限定品の冷やおろし純米酒です」

 男はあすかの“重陽の酒”に興味を示したようだが、あすかも男が発した“限定品”の言葉に惹かれた。
気が合いそうな二人の間へ、太郎の手が伸びた。指先には、琥珀色の酒を満たす蛇の目の盃が握られている。
「あすかちゃん。こちらは、茨城県の大洗町で蔵人をしている里見次郎さん。中之島の師匠から紹介されて、うちに来てくださったんだ。なかなか旨い、山廃純米の冷やおろしだよ。でも、生産量が年間200石の小さな蔵元だから、都内に売り先は少ないそうだ」
 太郎の声を耳にしながら、あすかは微かに音を立てて蛇の目を啜った。蔵元の娘らしい、丁寧な利き酒の仕方だった。
 そのようすへ感心する太郎に、あすかの素性を察した里見は口元に緊張を浮かべて言った。
「でも、私は蔵人になって、まだ4年目です。だから、たまたま出来のいい冷やおろしになったんでしょう。実は、ある手法を使って……」
と続ける里見を制するかのように、あすかが問わず語った。
「昔、これとよく似た、冷やおろしを造る人がいたわ……二十歳の頃に私が実家の高野酒造で初めて口にした、秋上がりの山廃純米酒。旨味と酸味のバランスが、とってもすばらしかった。その冷やおろしは副杜氏が瓶貯蔵して、ユニークな方法で常温熟成させていたの……その人、うちを辞めてから、仙台の宮城酒造でも酒造りをしてたけど、もう70歳を過ぎたはず。どうしてるかなぁ」

 通常、常温熟成は酒蔵の中でも風通しの良い、涼しくて暗い場所を選んで行う。高野酒造では、代々の当主が育てた杉の巨木が陰を落としている蔵の片隅で貯蔵していたが、副杜氏はさらに、柳行李の中へ一升瓶を寝かせたとあすかは語った。
「柳行李って、籐製の籠だろ? 昔のバスケットケースだよなぁ。あれに、そんな熟成効果があんのかな?」
 柳行李の形を頭に描く太郎にあすかが答えかけた時、玄関先から耳慣れた声が飛んだ。
「柳行李は風通しがいいし、柳の皮の肌ざわりもヒンヤリして、中の熱を冷ます作用があるんですよ。なにより、日本酒の敵である紫外線を上手く遮断できますからね」
 饒舌な右近龍二がカウンター席にやって来ると、あすかの蛇の目を物欲しげに覗き込んだ。
 ニンマリと目顔で酒をねだる龍二に、あすかが
「この冷やおろしは、そちらの里見さんからのお裾分けよ」
とカウンターの隅へ視線をうながした。だが、里見は唖然とした顔であすかを見つめている。

「ほ、ほらぁ、龍二君が図々しいから、呆れちゃってるわよ」
 あすかは気まずげに声を低くしたが、里見の反応はちがっていた。
「あ、あの……さっき言ってた高野酒造の副杜氏って、伊達金吾さんじゃないですか?……だったら、東日本大震災の津波で亡くなってます」
 今度はあすかが、思いがけない言葉に目を見開いた。
「えっ! そうです、金吾のおじさんです。でも、そんな! 亡くなったなんて、私、まったく知らなかった!」
 その場が、一気に静まった。里見の冷やおろしを期待していた龍二の喉が、ゴクリと唾を飲み込んだ。
 里見が重たげに、口を開いた。
「実は……この冷やおろしも、金吾さんと同じ手法で、私が柳行李の中で熟成させたのです。と言っても、私は金吾さんから直接、それを教わったわけではありません。東日本大震災から半年たった頃、大洗町の海辺に柳行李が打ち寄せられていました。その中に、一升瓶が数本入っていた。柳行李の浮力で酒は半年間海を漂って、大洗町に打ち寄せられたのです」

 当時、里見は津波によって大洗町に暮らしていた弟が行方不明になり、半年かけて捜索していた。日本酒好きの弟は宮城酒造の銘酒がお気に入りで、金吾の柳行李を発見した時、里見は弟からのメッセージを受け取った気がした。翌朝、弟の遺体が発見されたと語った。
「偶然とは思えず、弟の霊前に金吾さんの酒を供えました……レッテルも何もない一升瓶でしたが、王冠のマークで宮城酒造の酒と分かり、その後、蔵元を訪ねました。蔵元は金吾さんの柳行李の冷やおろしだと驚かれ、私に彼の罹災と死去を教えてくれました。定年退職した私は、弟を偲んで、いい年をしながら、金吾さんとの御縁に感謝して酒造りの道へ入ったわけです」
 つまり柳行李に入った酒瓶は、冷えた海流に揺られ、太陽の光を通さず、じっくりと熟成したのだと里見は繰り返した。
 真剣な表情で聞き耳を立てる龍二の隣で、あすかは薄い唇を噛みしめ、目をつむっていた。

 太郎が里見の一升瓶を手にして、ゆっくりと頷いた。
「……そんなふうに熟成した酒なんて、世界に一つしかありませんよ。その手法を使った大切な酒をわざわざ、ありがとうございます」
「いえ、これも御縁と思います。金吾さんが、ご無沙汰をしていた高野さんにご挨拶にいらしたのでしょう」
 里見は上着のポケットからガラ携を取り出すと、あすかに画面を見せた。薄汚れ、朽ちた柳行李が写っていた。大洗町に漂着した、金吾の柳行李を写した画像だった。
「……そ、そう。これ、見覚えがあります。私の実家の蔵でも使っていた、金吾さんの柳行李です」
 そう答えるあすかが目頭を潤ませた時、玄関の鳴子が音を響かせた。
「おう、龍二とあすかもいたのか。ちょうどいいや! 味見をしてくんな。太郎さんよう、宮城沖で上がった初物のサンマでぇ!」
 トロ箱を担ぐ威勢のいい火野銀平に、しんみりとしていた店内が明るくなった。
「ふっ! おあつらえ向きに、宮城の魚が登場したか。あのサンマ、金吾さんが呼んだのかも」
 ニンマリとする太郎が里見とあすかに一升瓶を傾けると、龍二がつぶやいた。
「もうすぐ、彼岸ですしね」

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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