TOP > ポンバル太郎 > 第181回 煮はまぐり

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Vol.181 煮はまぐり

 神宮の森からヒグラシの声が消え、外苑の噴水周りにはアキアカネが群れをなしている。そこは雑踏と人いきれが充満する都心とは、別世界。日本の秋を偲ばせる憧憬に、訪れた外国人観光客たちは「ピュア ジャパン!」と目を細めていた。

 秋めいた気配は、ポンバル太郎にも感じられる。旬の日本酒は燗酒の種類が増えて、合わせる肴にも煮物や小鍋が登場していた。
 玄関を開ければ、今夜の目玉商品「煮はまぐり」の甘辛い香りが誰もの酒欲をそそった。プックリと太った天然物で、いわば出来立ての佃煮風である。
「ふうっ! たまんねえや。このしっかりした剥き身の歯ごたえ、最高じゃねえか!」
 煮はまぐりをツマミにして二合の純米酒をぬる燗で飲んだ火野銀平が、上機嫌で隣の右近龍二に酌をした。ドヤ顔になるのも当然で、大ぶりのはまぐりの剥き身は火野屋が納めた羽田沖で獲れた上物である。
「そりゃ、銀平さんが目利きしたんだから、うまいに決まってるけど、僕は太郎さんの味付けに技ありを挙げたいな。この味は、老舗佃煮屋の煮方にも負けてないですよ」
 感心する龍二に、一つ席を置いている平 仁兵衛が
「うむ、銚子醤油にショウガと山椒の風味が、絶妙に効いていますねぇ」
と相槌を打った。三人の会話に取り入ろうとする端っこの八百甚の誠司も知ったかぶりで頷いたが、どこか腑に落ちない表情に銀平が突っ込んだ。

 近頃、兄貴と慕われる銀平としては、同じ築地の連中に不評ではメンツが立たない。
「なんでぇ、誠司! 太郎さんの味付けが、気に入らねえってのかよ? それとも、うちのはまぐりかよ! おめえ、返事しだいじゃ、ただじゃおかねえぞ!」
「ち、ち、ちがうんでぇ、銀平の兄貴! 俺ぁ、煮はまぐりってのは、築地の場外にある江戸前の寿司屋でしか、食ったことがねえからよう。これとは、姿恰好がちがうんでさぁ。なんてぇか、もっと身が柔らかくって、甘ダレを塗って食うじゃねえすか」
 額に浮いた冷や汗をおしぼりで拭く誠司に、銀平は「……言われてみりゃ、そうだな」と言いよどんだ。結局、どちらも寿司屋の煮はまぐりしか知らないのかと平が苦笑した時、カウンターの隅から声が聞こえた。
「それは、しぐれ煮に似てます。もともとは、桑名や伊勢で作っていた三重県の伝統的な佃煮ですよ」

 声の主は身なりのきちんとしたグレースーツの男で、経営者然とした物腰が五十歳前後に見える。男の隣には今しがたまで連れの男がいたはずだが、すでに帰ったのか独酌を楽しんでいた。三重県の純米酒を飲んでいたが、彼の手元に煮はまぐりはなかった。
「なんでぇ、三重へ肩入れするわりには、はまぐりを食ってねえのかよ」
 酔ったせいか聞こえよがしにつぶやく誠司へ、銀平もしかめっ面で「だよな」と盃を飲み干した。
 太郎が厨房から銀平たちを睨んだが、龍二と平は男を凝視して「どこかで、見た人だなぁ」と口を揃えていた。
 その時、玄関から聞き慣れた大阪弁が飛んで来た。
「こりゃ、“はま新”の新藤さんやないですか! わしです、大阪の中之島ですわ、お久しぶりでんなあ!」
 中之島のしゃがれた声に、振り向いたカウンター席の男が
「おお! これは中之島さん。奇遇ですねぇ!」
と興奮気味に目を丸くすると、イチャモンをつけていた銀平と誠司は酒を喉に詰まらせ、咳き込んだ。予想もしなかった新藤と中之島のつながりに、平が「世の中は、狭いですねぇ」と銀平たちを皮肉った。

 立ち上がって中之島を迎える男に、龍二が両手を打って
「そう! 銀座七丁目にも店を出している、はま新の新藤社長だ」
と声音を高くした。
 店内の客たちも「おっ! しぐれ煮、知ってるよ」「行列ができてる店だ!」と口々につぶやいた。それに頷く中之島は、新藤社長とは二十年来の友人と紹介しつつ、桑名に本社のある“はま新”は四百年続く佃煮の老舗で“はまぐりのしぐれ煮”が看板商品だと語った。
「なるほど、だから太郎さんの煮はまぐりを注文しないわけかよ」
 そう腐す誠司をよそに感心しきりの客たちに新藤は恐縮して会釈を返したが、中之島が後ろに連れている老爺だけは、無作法に鼻をクンクンと動かしていた。どこか違和感のある人となりの老爺を、中之島はカウンターの隅へかばうように座らせ、新藤と並ばせた。
「新藤はん、偶然ながら、この人もあんたと同業や。江戸前の佃煮店“富士見屋”の塚口 明会長。もっとも、三年前に認知症にかかって、引退されましたけどな。自分が老舗佃煮店の四代目ちゅうことも、もう憶えてない。可哀想なのは、昔、生き別れになった一人息子のことも忘れてる……そやから今日は、わしが塚口はんの世話役になって、ちょいと飲み歩きをしてまんねん。それに、太郎ちゃんの煮はまぐりを、塚口はんに味見してもらおうと思うてな。記憶は薄れても、佃煮を味わう舌は、そう簡単にボケへんで」
 中之島が塚口の肩に手を置くと、世話役を買って出た気持ちを斟酌した太郎は
「願ってもねえことです。塚口会長、ありがとうございます!」
と威勢のいい声をかけた。それでも老いた塚口の反応は薄く、中之島へ返す新藤の愛想笑いも引き攣っていた。

 太郎が塚口へ出す煮はまぐりを、全員が固唾を呑んで見つめた。
「どないでっか、塚口はん……ええ、あんばいでっか?」
しかし、ひと口だけ箸でつまんだ塚口は、首を傾げたままだった。箸を置いた手が、そのままカウンター下の棚へ落ち着いた。
 太郎の煮はまぐりは、自分が求める味とちがうと、ゆがんだ塚口の横顔が語っていた。煮はまぐりのテリとツヤを見つめる新藤が、やるせない面持ちで小さくため息を吐いた。
「まぁ、見様見真似で仕上げたド素人の佃煮ですから、ご勘弁ください。面目しだいもありません」
 かしこまる太郎が煮はまぐりの皿を下げた途端、塚口がカッと目を見開いた。そして、カウンター下の棚から紙包みを取り出すなり、「こ、これじゃ! 毅の煮はまぐりじゃ」と叫んだ。
 唐突な声に、中之島だけでなく、平や銀平たちも、何が起きたのかチンプンカンプンだったが、どうやらカウンター下の棚へ忘れられていた物に塚口が興奮したらしい。

 塚口の手にある丸い紙包みは、あたかも扇のように繊細な折り方だった。その美しさにウットリする銀平と誠司の横で、龍二が平へ洩らした。
「あれ、手作業でなきゃ、あんな風にはできないですよ」
 平は芸術家らしく、頷きながら紙包みの折り目に見惚れていた。
塚口の手元を覗き込んだ新藤が、はっとして中之島へ言った。
「それは……うちのしぐれ煮。そうか、ついさっきまでこの席にいた、うちの職人頭が忘れていった土産の品です。これから、渋谷にいる友人を訪ねると言ってましたが……彼の名は、松本 毅。塚口会長が今おっしゃった毅と、関係があるのでしょうか」
 それを聞いた中之島はため息まじりに天井を仰ぐと、目を閉じたまま答えた。
「松本か……そうか、とうとう見つかった。塚口はんは、忘れてはならん古傷を持ってましてな。生き別れた息子っちゅうのは、塚口はんが富士見屋へ婿養子に入る前に作ってた、隠し子や。若気の至りとはいえ、富士見屋の当主はどうしても明はんが欲しいと、相手の女性と赤ん坊に手切れ金を渡した。婿入りした塚口はんが贖罪する日々の中、人知れず、二人は三重県に暮らしていると噂で聞いてたそうや。そして、息子は別れた妻の旧姓・松本を名乗り、同じ佃煮職人になって、自分が作った煮はまぐりを送って来たことがあったそうや。それは自分を捨てた父親への復讐やと、わしは塚口はんから聞いてた。しかし、新藤さんの“はま新”で職人頭をしてるとはなぁ。まあ、それすら塚口はんは、もう認知症で忘れてるはずやが、この煮はまぐりの紙包みに記憶が甦ったんやろう」

 新藤の瞳は焦点を失ったかのように、茫然としぐれ煮の紙包みを見つめていた。高級感あふれるはま新のしぐれ煮に、店内の客たちは目を背けた。
 すると、太郎へ目顔で三重の純米酒を注文した平が、塚口に近づいて言った。
「煮はまぐりも手作り。そして、紙包みさえも手作り。そんなすばらしい佃煮を生み出す息子さんの心に、もう、あなたへの恨みはないと私は思います。ましてや新藤さんが、恨みを抱えたままの職人に、はま新の煮はまぐりの味を任せるはずはありませんよ」
 無表情だった塚口の頬が、ピクリと動いた。そして、ゆっくり振り向くと、遠い目の中に平のおだやかな表情を映した。
 その時だった。玄関の鳴子が響いて、「す、すみません。忘れ物をしまして」と四十歳前後の男が駆け込んで来た。半時前までカウンター席で新藤と飲み交わしていた、松本 毅にちがいなかった。
 三重の酒を注文した平の読み通り、毅は帰って来た。
「あっ、社長。まだ、いらしたんですか? あのう、しぐれ煮は……はっ! もしや、そちらは富士見屋の塚口さん……どうして、ここへ?」
 老いても見覚えがあるのか、新藤は塚口の横顔に茫然として見入った。
「それは、私にも分からない……でも、佃煮の神様が、あなたたち親子を引き合わせたんじゃないかな。そして、少なからず、私も力になれたのかも知れんな」

 新藤はたじろいでいる毅に中之島を紹介し、その場のなりゆきと塚口の認知症のことを伝えた。
 毅をどこか懐かしげに凝視している塚口を中之島がテーブル席へ誘うと、新藤は泣き出しそうな毅の肩を抱いて、それに続いた。
 太郎は、平へ「さすが、平先生!」と会釈して、三重の純米酒と、はま新のしぐれ煮をテーブル席へ運んだ。
 生き別れていた親子の再会が始まると、客席から「よかったな」「乾杯しようか」とささやく声が聞こえた。
「はまぐりってなぁ、昔から、貝合わせに使われただろ。だから、いつか一つに合わさるようになってんだよ。あの親子みてぇによ」
 銀平が、目尻を潤ませている誠司へ兄貴風を吹かせた。
「今夜の銀平さんは、煮はまぐりみたいに、いい味してますねぇ」
 平が煮はまぐりと三重の純米酒を口にして、嬉しげにつぶやいた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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