TOP > ポンバル太郎 > 第182回 錦鯉

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Vol.182 錦鯉

 冷え込んだ都内の夜気に、スカイツリーにかかる満月が輝いて見えた。長引いた今年の暑さを忘れるかのように、一気に秋は深まっている。
 ポンバル太郎の通りでも、街灯に浮かぶ銀杏並木がうっすらと黄ばんでいた。その下に並ぶ料理屋や居酒屋には「新米、入りました」の幟が立っている。今年は、全国的に稲の育つ夏場に台風が少なく、猛暑と豪雨の繰り返しで、一等米以上が増えていると農水省も発表していた。
 ポンバル太郎でも、新米のコシヒカリを炊くうまそうな匂いに、〆のご飯物を待っている店内の客たちは気もそぞろといった表情である。
 カウンター席に並ぶ平 仁兵衛と菱田祥一も、厨房から漂う湯気に鼻先をひくつかせた。
「菱田さん。久しぶりに来て、魚沼のコシヒカリの新米とはラッキーですねぇ」
 肌寒い今夜は上燗を頼んだ平が、菱田にお銚子を差し出した。
「そうなんですよ。ふた月ほどベトナムへ出張してインディカ米ばっかり食ってたもんで、日本の米が恋しくって。でも、聞くところじゃ、日本の米の自給率って三割ほどらしいですね。いくら国産米が高いからって、それじゃあ農家の方たちは大変ですよ」
 菱田の答えに、テーブル席のビジネスマンが「俺も、マレーシアの米は飽きちまったよ」とつぶやくと、同席の男たちも口々に海外での米のまずさを愚痴った。
 その時、玄関の鳴子が軽やかに響いて、聞き慣れた声がした。
「これからは少子化だし、中年族もハンバーガー世代ですから、米を食べる回数は確実に減りますよ。しかも、糖質制限食も流行ってますしね。だから、飯米から酒米作りへ切り替える農家が全国的に増えているんです。実際、人気の高い山田錦や雄町米は、年々、足りなくなってきましたから」

 しゃべりながら菱田の隣へ座る右近龍二を、カウンターの隅に座っている若い男が凝視した。日焼けした顔にショートカットの髪が似合い、薄手のリブセーターの下は引き締まった体をしている。男は新潟県の純米酒を上燗で飲みながら、佐渡産の柳がれいの干物をツマミにしていた。
「糖質制限が流行りゃ、日本酒もうちの商売もお手上げだな」
 苦笑いで炊き上がったコシヒカリの握り飯を運ぶ太郎に、視線が集まった。ピカピカつやつやの米粒へ「うまそう!」と龍二が声を高くすると、カウンターの男が口を開いた。
「マスター。そのコシヒカリは、どこの物ですか?」
 男は客席の表情とちがって、冷静な顔で訊いた。菱田と龍二が、怪訝な表情を見合わせた。
「新潟の山古志村ですよ。もうマスコミも口にしなくなったけど、中越地震で被害を受けた棚田の集落で作っている新米です」
 小千谷市にある蔵元の紹介で仕入れたと答える太郎に、平がカウンターへ盃を置いた。
「そうですねぇ……私もすっかり、忘れかけてました。確か、錦鯉の里でしたね」
 錦鯉の言葉に菱田が「そうそう」と相槌を打つと、テーブル席の客たちが
「地震で錦鯉の池ごと、流れちまったんだよな」
 と口走った。
 ぐっと唇を噛み締めた男が、顔をしかめてつぶやいた。
「うちの池も、やられました……棚田も崩れてしまって、地震から丸一年は、農業どころじゃなかった。荒れ果てた田んぼや畑を前にして、両親とため息ばかり吐いてましたよ。俺は稼がなきゃならないので、それから東京の建設現場に出て10年になります。棚田が元通りになって、米作りは両親で細々とやってますが、錦鯉はやめてしまった」

 店内が水を打ったように静まると、純情そうな男に太郎は握り飯を出した。
 男は恐縮して諸橋 良と名乗り、長岡あたりによくある苗字だと言った。
 冷蔵ケースから四合瓶を取り出す音がして、平の声が続いた。長岡の純米酒だった。
「山古志村は、沢水が豊かなのでしょう? 酒米もそうですが、山の雪解け水で育つ新潟のコシヒカリはすこぶる上物です。そんな水を引いた池で育つから、錦鯉も美しくなるのでしょうねぇ」
 四合瓶を差し出す平へ、諸橋は嬉しげに頷いた。
 菱田が感心して、お流れ頂戴とばかりに盃を手にした。
「なるほど、そういうわけか……諸橋さんの家のコシヒカリ、食ってみたいなぁ」
「ありがとうございます。実は、山古志の錦鯉は棚田に助けられたんです。地震の後、養殖池から流された錦鯉を、父は無事だった棚田へ水を入れて、鯉を放って助けました。養殖池はダメになったので、最終的に、鯉たちは長岡の業者へ引き取られましたけど」
 悔しげに語った諸橋が冷酒を飲み干すと、太郎がはっとして
「それって、この話じゃないかな。“錦鯉を復活させた、幻の山古志米”って書いてるよ」
と厨房から米の袋を持ち出した。

 そこには赤黒の錦鯉と米の籾が描かれ、絵の下に並ぶコシヒカリの紹介文を菱田と龍二が読み上げた。
「……錦鯉は棚田の中で、底に落ちていたコシヒカリを口にして命をつないだ。その錦鯉は全国鑑評会で最優秀賞に輝いた。山古志の沢水とコシヒカリが生み出した、傑作の錦鯉だった……神秘的だな」
 声を揃える二人の傍に、諸橋が立った。そして、日焼けした指で鮮やかな錦鯉の絵をなぞりながら言った。
「こいつも復活したんだから、俺も山古志で、やり直せると思うんです」
 郷愁を帯びたまなざしに、平がもう一度、四合瓶を傾けた。
「山古志へ、帰るつもりですね……沢水とコシヒカリがあれば、きっと大丈夫ですよ。頑張ってくださいね」
「ぜひ、酒米作りにも、挑戦してもらいたいな」
 龍二も諸橋の思いを察して、盃を掲げた。それを目にする菱田が、太郎に握り飯を注文した。
 コシヒカリの白い湯気の中で、錦鯉の絵がはねていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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