TOP > ポンバル太郎 > 第183回 薬膳酒

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Vol.183 薬膳酒

 イワシ雲からこぼれる茜色の夕陽が、東京駅のレンガ色の駅舎を色濃くした。構内へ向かう人たちの足元には、植え込みを彩るコスモスが揺れている。
 東北の錦繍はまだ聞こえていないが、ようやく杜氏や蔵人が酒蔵へ入り、神棚に新しい酒造りの無事と繁盛を祈願したとポンバル太郎へ各地の便りが届いていた。カウンター席に並べた封書と手紙に嬉しげな高野あすかの横で、ジョージは真剣なまなざしで筆書きをデジカメ撮影している。
「読むことができなくても、これは、すばらしいアートです! アメリカでは、日本の手紙文化がブレイクしてます!」
 きっちりとした行書や流れるような草書体など、個性的な蔵元たちの筆致に、ジョージは興奮気味にシャッターを切った。その音に、ぬる燗の純米酒を傾ける平が目尻をほころばせた。
「アメリカ人の方が、よっぽど芸術志向ですねぇ。人工知能やSNSだのとうるさい昨今ですが、やはり手書きの文字には癒されます。私のようなオヤジには、夏の疲れも、ほっと和んでくるようですよ。しかし、近頃の日本の若い人たちは、筆どころか、ボールペンだって持たなくなってるそうですねぇ」
 二席離れてスマホばかりいじっている築地・八百甚の誠司は、バツが悪そうに指先を止めた。平の隣に座らないのは、追っ付け、火野銀平がやって来るからである。
「私も、耳が痛いな。面倒な時は、ついタブレットに頼ってしまうもの」
 あすかは、ライターだけに走り書きのメモを取るのだがと、ペロリと舌を出した。同様とばかりに、ジョージもカメラを止めて苦笑いした。すると、カウンターの端に座っていた若い女性が、静かになったシャッター音にほっとした顔を覗かせた。
 メガネをかけた女性は上燗した三陸の純米酒とサバの味噌煮をじっくりと味わい、時おりメモを取っているようすにあすかは気づいていた。誠司は、垢抜けてないが素朴に可愛い女性をチラチラと覗き見ていた。

 ジョージもカウンター席に座ると、厨房から出てきた太郎が手紙の主である蔵元たちの秋向けの酒を冷蔵ケースから取り出した。
「俺にとっての秋の癒しは、燗酒だよ。ひと夏、じっくりと熟成した旨味をいろんな温度で飲み比べながら、肴もそれに合わせて変えてみる……そんな体にいいコンビメニューを、この秋は用意しようと思ってる」
 太郎がそう言って取り出した一升瓶のひとつに、カウンター席の女性が「あっ……気仙沼のお酒」と洩らした。誠司が「へっ?」と眉をしかめ、女性を凝視したあすかの声がうわずった。
「あっ! あなたは、気仙沼にある鮫島旅館のお嬢さんの光代さんじゃない? 私、一年前にフカヒレの取材で伺った高野あすかです!」
 とっさに女性はメガネを押し上げて、顔を紅潮させた
「思い出しました! その節は、ありがとうございました! おかげで、東京のお客様がうちのフカヒレ料理を食べにいらしてます。ようやく、気仙沼の漁港も復興して活気づいてきました……ただ、まだ不足しているんです。これっていう、セールスポイントが欲しいんです」
 光代は、もちろん旅館の屋号を看板にしたフカヒレのさめじま煮やさめじまスープなどは人気を得ているが、食べ飽きしやすい。繰り返し気仙沼までやって来るには、今一つ、魅力あるメニューが必要で、そのために週末は東京都内の人気店を食べ歩いていると問わず語った。

「こりゃ、光栄ですね。うちは大したことねえ日本酒バルだけど、お客さんはユニークで、アイデアもいっぱいだよ」
 謙遜する太郎へ平が首を横に振ると、あすかは光代を手招きした。
「初めまして!」と握手するジョージに誠司は出し抜かれたとばかり口を尖らせ、聞こえよがしに声を投げた。
「お、俺は、誠司ってんだよ。気仙沼のフカヒレって言やぁ、香港や台湾へ大量に輸出されてんだろ。やっちゃ場の俺でも、それぐれえは知ってるぜ!」
その時、玄関の鳴子が響いて、疲れ気味の江戸っ子言葉が響いた。
「気仙沼の乾燥フカヒレは、火野屋でも扱ってるぜ。値が張るが、肉質がすこぶるつきにいいからよう、赤坂や麻布の高級中華には欠かせねえ。だが、そんな一流店のメニューを真似したって、気仙沼の旅館じゃ、似合わねえな」
 にべもない言いぐさの銀平をあすかは「もう、デリカシーないし!」とにらみ、光代を気遣った。夏バテを引きづったままの銀平は、近頃、投げやりである。
 誠司は隣に座る銀平へ愛想笑いを浮かべながらも、光代の沈んだ表情を気にした。

 本格的なフカヒレ料理を知らないジョージは、スマホで“フカヒレの姿煮”を検索しながら、平へレシピを訊き込んでいる。
 途方に暮れる光代へ、あすかは酒を勧めようとした。それを制するように、太郎の手が燗した錫のチロリを差し出した。
「さっきまで光代さんが飲んでいた上燗より、少しぬる目です。脂ののったサバは冷めてくると苦味も感じるから、ぬる燗のキレがよく合うんです。こんなふうに地元の酒をいろいろな温度に燗して、鮫島旅館のいろんなフカヒレ料理に合わせるってのは、どうですかね?」
 光代は、ぬる燗に冷えたサバの味噌煮を合わせると、はっと表情を変えた。
 それを目にして落ち着かない誠司に、太郎は苦笑しながら、同じぬる燗の酒とサバの味噌煮を出してやった。
 銀平が穿った目つきで、誠司に詰め寄った。
「なんでぇ、おめえ。あの光代ってのに、ひと目ぼれかよ?……くっ、くく」
 真っ赤になる誠司に、銀平が笑いを噛み殺した。よせばいいのにと平が顔つきを変えた途端、あすかは青剃りした銀平の頭を引っ叩いた。
「な、何しやがんでぇ! こちとら、疲れてんだからよう、いちいち俺に絡むんじゃねえよ」
「絡む!? 冗談じゃないわよ! そっちこそ、光代さんを傷つけてるじゃないの!」

 一触即発の二人に、傍観していた店内の客たちが迷惑げな視線を向けた時、またもや玄関の鳴子が音を立てた。
「もう、そのへんにしときいな。二人とも、夏バテとストレスが取れてへんなぁ。この中華の薬膳料理、食うてみるか?」
 赤ら顔の中之島哲男が、手土産を振りながら入って来た。都内でも知る人ぞ知る薬膳料理店の包み紙に、あすかも目を止めた。
 平がほろ酔いの中之島をカウンター席へ誘うと、太郎がパンッ! と両手を打った。その勢いに、誠司は椅子から転げ落ちそうになった。
「そうだ! 薬膳ってのがあるぜ! 光代さん、フカヒレはそもそも漢方食材だったでしょう。だったら、キクラゲとか冬瓜、スッポンとか、ウイキョウなどを使って、滋養強壮になるフカヒレメニューを考えちゃどうだい。東京で疲れた心身を癒す、気仙沼ならではの薬膳フカヒレ料理だよ」
 口早な太郎だったが、光代はあすかと顔を見合わせて、お互いの手のひらを合わせて喜んだ。ジョージは平から太郎の案を解説され、「オウ! それ、私も食べたいです! ポンバル太郎でも、やってください!」と興奮した。

 蚊帳の外になった銀平が、ふてくされて誠司にぼやいた。
「ちぇっ、俺たちゃ薬膳なんて食わなくたって、大丈夫だよ。なぁ、兄弟!」
 だが、隣に誠司の姿がない。見れば、両手に錫のチロリを持って、光代の傍に立っていた。
「こ、こっちは、油で炒めたフカヒレ料理向きの山廃純米酒の上燗でさあ。こっちは、冷めたフカヒレの煮こごりに合う、本醸造の人肌燗。まっ、どっちもさっき、太郎さんに教えてもらったんだけどよ」
 はにかみながら光代に酌をする誠司に、銀平が「あっ、あの野郎!」と歯ぎしりすると、あすかがアッカンベェを返した。
 カウンターのドタバタを見つめる中之島と平は土産の薬膳料理を開き、チロリをさしつさされつしながら、口を揃えた。
「まぁ、このポンバル太郎のにぎやかな居心地は、わしらにとって薬膳みたいなもの。秋の燗酒も、格別な百薬の長ですな」

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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