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Vol.190 都都逸(どどいつ)

 落葉シーズンを迎え、最終の見頃となったみちのくの錦繍に中国人観光客が殺到しているとテレビニュースが報じていた。
 今しがた東北新幹線で東京駅に帰ったらしきツアー女性客はつづら折りの山道に大型バスが数珠つなぎだったと、ポンバル太郎のテーブル席でうんざりしている。中でも、パーキングエリアで、ご当地グルメを食べ漁る外国人たちの行列に圧倒された文句が多かった。だが、しらふのまま立て板に水のように喋りまくる熟女たちには、中国人も顔負けである。

 店奥の男性客は耳ざわりだと言わんばかりに、愚痴の止まらない一団へ顔をしかめている。カウンター席のサングラスをかけた男は純米酒のグラスを手にしたまま、素知らぬふりで飲んでいた。壁際には、楽器ケースが立てかけてある。
 一団に飽きれ顔の右近龍二へ、ぬる燗の盃を置いた平 仁兵衛が声を低くした。
「東北は米どころですからねぇ、竈で炊いた新米の匂いをかいだら、米が主食のアジア人は辛抱できないでしょ。でも、あの方たちも、かなり召し上がったのじゃないですか。まん丸とふくよかですし」
 平の声は、中心人物らしき女性の高笑いで龍二に聞こえにくかった。しかし、グループの端にいた三十歳前後の女性が、平に目尻を吊り上げた。
「ちょっと、オジサン。それって、セクハラじゃない?」
 女性の声に、ほかのメンバーも正気に戻ったように表情を硬くした。

「い、いや、ちょっと待って下さいよ。セクハラなんかじゃ、ありませんよ。美味しい物をたくさん召し上がった皆さんが、とっても羨ましくって。ねぇ、平先生」
 誤魔化すのが下手な龍二に、平もタイミングのずれた相槌を打つと、リーダーらしき女性がゆるんだ右腕の贅肉を揺らせながら平を指さした。
「あなたのような戦後世代の男性は、どうかすると女性を見下す癖があります。それに、すぐに酔っぱらって、セクハラまがいな言葉を吐く。今のひと言だって、そうでしょう」
 五十路とおぼしきリーダーは、派手な赤いイヤリングが不似合いだった。おまけに、キツイ香水の匂いが、龍二の飲んでいる純米大吟醸の風味を邪魔していた。
 彼女に負けず劣らず、周囲の女性たちも尖った視線を平たちに向けた。

 声のない龍二に、見かねた太郎が厨房から現れて助言した。リーダーの香水は、敏感な太郎の鼻腔も突いた。
「お客さん、悪気はないんですよ」
「悪気があろうとなかろうと、一度、口にしたことは簡単に取り消せないでしょ。私は雑誌の編集長をしてる青山と言います。立場柄、はいそうですかと見過ごすわけにいかないわ」
 青山を含めた女性たちは、婦人雑誌の取材や編集を担当していた。

 箸を荒っぽく置いて腕ぐむ青山に、普段は温厚な平が表情をこわばらせて立ち上がった。
「……平先生、落ち着いて」
 太郎と龍二が不安げに声音を重ねると、平は腰を折って青山に頭を下げた。初めて見せる白髪頭のてっぺんに、薄くなっている地肌が覗いた。
「酔いにまかせて、つい失言いたしました。ごめんなさい」
 予想外の平の詫びに女性たちがたじろぐと、不意打ちを食らったように青山は言いよどんだ。
「そ、それで承知できるほど、私は甘くないわ。それに謝ったってことは、非を認めたってことでしょ」

 あくまで強気な青山を太郎が諫めようとした時、カウンター席の隅から音が響いた。店内の客たちの視線が、三味線を抱える長髪にサングラスの中年男へ注がれている。
 爪弾いた弦の余韻は、女性たちを黙らせた。
「ちょいと、あんた。そんなに意地ぃ張って、年寄りいじめをして、おもしれぇかい? 酒席の舌禍は、ご愛敬と笑って許すのが吉だ。それによぅ、冗談の一つもなきゃ、酒はうまくねえ」
 べらんめえな言い草を、男は三味線の音色に乗せて流暢に唄った。独特の節回しに、青山は「端唄?」とつぶやいたまま口を開けていた。

 ポカンとしている女性たちに龍二がほくそえむと、平が
「ほう、都都逸(どどいつ)ですか。粋ですねぇ」
と男のしなやかな手首の動きに見とれた。
 すると女性たちの中の一人が、青山に向かって声を上げた。
「あっ! 浅草の演芸場に出ている、柳家 琴之介(やなぎや きんのすけ)だ! 編集長、私が先月取材した江戸三味線の師匠ですよ」
 琴之介は頬にニンマリと愛想笑いを浮かべて、サングラスをはずした。

 演芸会では酒好きなイケメン芸人として聞こえ、日本酒のPRにも三味線を弾きつつ起用されているだけに、客席からは拍手も起こった。
「いやぁ、店で三味線を弾くなんて、ちょいと出過ぎた真似をしやした。ご主人、野暮を許しておくんなせえ。だが、江戸の文化を受け継ぐあっしは、これだけは言っておきてぇ。今も昔も、世の中は同じように窮屈だったんでさぁ。だから、せめて酒の席だけは堅っ苦しいのはなしってのが、江戸っ子の心意気よう。せっかくのうめえ酒と肴だ、皆さん、仲良くやりやしょう。ついでに、もうひと節、やらせておくんなせぇ」
 琴之介が目尻をほころばせると、期待する客たちの顔色に、太郎はコクリと頷いた。琴之介の語りと雰囲気にのまれた青山は、渇いた唇を薄く開けたままだった。

♪ 智に働けば角が立つ。情に棹せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角この世は住みにくい。四角四面の毎日だけど、まるい心で酒を飲みゃ、きっといいことあるはずさ ♪

 夏目漱石の草枕の冒頭を、琴之介は都都逸で奏でた。三味線の音色はポンバル太郎の玄関先にも届き、行き交う人たちの足を止めた。琴之介が唄い終えると一流芸人の酒脱な技にやんやの拍手喝采が巻き起こった。
 その歓声の中、青山は柔和な表情を取り戻して平に歩み寄った。
「ごめんなさいね、年配の方に恥をかかせてしまって……大人げないふるまいでした。伝統文化を扱う婦人雑誌なのに、もっと気持ちに潤いのある編集者でなきゃいけないですね」
 自戒する青山に、龍二は平の隣席を譲った。ゆっくりと腰を下ろす青山に、平が新しい盃を渡して、お銚子を差し出した。
「よろしければ、献盃と返盃をやってみませんか。江戸の男女の粋なたしなみですよ」
「ええ、遠慮なく頂戴いたします」

 さしつさされつする二人に女性たちがホッと表情をゆるめると、青山の酌の手を後押しするように琴之介の三味線が動き始めた。
「都都逸か……俺のまわりには、こんな才のある奴はいねえな」
 惚れ惚れと音色へ聞き入る太郎に、龍二が笑った。
「口三味線なら、得意な人がいますけどね」
「ちげえねぇ。築地じゃ、それで通ってるらしいからよ」
 その時、玄関の鳴子が響くや、火野銀平がクシャミを連発した。
「うう、冷えてきたぜ。ど、どいつでぇ! 俺の噂をしてやがるのは」
 太郎と龍二が、顔を見合わせてハモった。
「やっぱり、そっちのど、どいつか!」
 二人の爆笑と都都逸の三味線の音色に、銀平はきょとんと突っ立っていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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