TOP > ポンバル太郎 > 第197回 鴨ネギ

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Vol.197 鴨ネギ

 年明けから乱高下している円相場が兜町にたむろする投資家だけでなく、外国人観光客の財布にも影響していた。そのせいか、銀座の老舗に並ぶ欧米人はやけに少なく、中国やアジア系の客ばかりだった。
 ポンバル太郎では、ニューヨークから戻ったばかりのジャーナリストのジョージが株式市況のことを、あらばしりのグラスを手にして論客ぶっている。
 カウンター席で新酒を味わう平 仁兵衛や店内の客たちは、ジョージが批評するトランプ政権の動向に興味津々である。

「ねぇ、ジョージ。日本酒の輸出にも影響があるの?」
 店を手伝う剣の大人びた質問に、テーブル席の男たちが驚きの顔で頷いた。
「そうですね。関税やTPPがどうなるか次第でしょう。私も、すごく気になります」
 はっきり答えず口を濁すジョージに、寒ブリの刺身を盛り付ける太郎が
「ヤンキーのおめえに、そんな日本人じみた曖昧な答えは似合わねえよ」
と平と目を合わせて苦笑した。駐在3年目のジョージは、すっかり日本人気質が板についている。

 客席から、日本酒だけでなくさまざまな日本製品の先行きを心配する声が聞こえ始めた時、玄関の鳴子が威勢よく踊った。
「おうおう! 新年早々、お寒い話をしてんじゃねえよ。トランプが自国の内需ってのを優先するなら、こちとらだって、負けちゃいらんねえや。俺たちでたらふく飲んで食うのが、本筋だろ。今夜は、あったけえ鍋と燗酒が一番だぜ」
 今日が築地の賀詞交礼会だった火野銀平が、赤ら顔でカウンター席へドッカと腰を下ろし、本醸造の上燗を注文した。後ろに連れた八百甚の誠司は、青々としたネギらしき物を背負っている。その鮮やかな色と、扉から銀平たちを追っかける冷気が、店内の沈んだ空気を動かした。

「おおっ、これは変わった形のネギですねぇ。どちらの産ですか?」
 酔った目を細くする平に、誠司は茎と葉が太くて短いネギを1本折って自慢した。
「群馬産の下仁田ネギでさぁ。昔は、別名“殿様ネギ”って、江戸にいた大名も好んだそうです。鍋にするとめっぽう旨くって、すき焼きに入れりゃ、甘辛いワリシタが太い茎にしみて、濃厚な群馬の地酒とバッチリでやしょう」
 誠司が下仁田ネギを振ると、ツンとした青ネギの匂いが広がった。ズングリムックリな下仁田ネギに、客席からは「あれ、高級品なんだぜ」と物欲しげな声が洩れ聞こえた。

 初めて目にしたらしいジョージは手を伸ばして
「アメリカのリーク(太ネギ)に、似ていますね」
と生のまま下仁田ネギをかじったが、途端にむせ返って吐き出した。色白な顔は、トウガラシのように火照っている。
「オウ! ホット! か、辛いですう」
 唖然とする客たちの中、誠司がしてやったりとばかりに声を上げた。
「あっははは! 引っかかりやしたねぇ。その辛さが熱を加えることで甘くなるってのが、下仁田ネギのおもしろさなんでさ」
 誠司が銀平の両肩に手を置くと、二人そろって高笑いを響かせた。今しがたのトランプ政権の悲観論を、客たちはすっかり忘れて笑った。

 ただ一人、剣だけが笑いもせず、下仁田ネギを見つめながらつぶやいた。
「僕、すき焼きのネギはダメなんだ。子どもの頃、よくネギを食べ残して、父ちゃんに叱られた……だけど、母ちゃんも苦手だったし。この下仁田ネギも、美味しそうだけどダメだな」
 神棚のハル子の遺影に視線を向ける剣へ、こんなに辛いなら当然だとジョージが鼻をかみながら相槌を打った。

 すると、誠司が慮るように近寄った。
「へぇ、そりゃ初耳だ。大丈夫だってぇ! 下仁田ネギはありきたりな青ネギとちがって、とろけるみてえに甘ぇんだから、食ってみなよ。下仁田ネギの旨さは、お江戸の頃から大人の男にしか分からねえんだ。剣ちゃんも、そろそろ食っときなって」
 世話焼きな誠司にすれば、剣は可愛い弟のような存在である。無理にでも、食わせてやろうと意気込んだ時、またもや扉の鳴子がやかましく響いた。

「そら、すき焼きやのうて、なんちゅうても、旨いネギを食うなら鴨鍋やで。京都の九条ネギと琵琶湖の鴨は抜群の相性や! 群馬の下仁田ネギやったら、やっぱり霞ケ浦や印旛沼っちゅう関東産の鴨やろな」
 つややかな正絹の羽織袴で現れた中之島哲男に、店内がどよめいた。久しぶりに会ったジョージは、思わず駆け寄り「オヤッサン!」と叫んでハグをした。
 正月明け、初めて来店した中之島は、カウンターの太郎たちへ深々とお辞儀して
「遅うなったが、明けましておめっとうさん」
と後ろ手にする紙袋を差し出した。そこには、濃い緑色の九条ネギが入っていた。以前に、誠司が嫌っていた京野菜ブランドの一つである。

 案の定、しかめっ面になる誠司に
「これは、ちと、ややこしい話になりそうですねぇ」
と平がつぶやいた。しかし、中之島は構わず、九条ネギの魅力を客席へ聞えよがしに続けた。ジャーナリストのジョージは、抜かりなくボイスレコーダーを差し出している。
「九条ネギは、生で食べても甘い。葉先にセルロース、ヘミセルロースとか、ネバネバが溜まって、ほんのりと甘い香りもしよる。なにより、京都の芸妓や舞妓ちゃんが広めたネギでな。伏見の女酒と同じく、淀(よど)の女ネギとも呼ばれてるで」

 中之島の解説によると、九条ネギの主産地は淀と呼ばれる地域で、祇園や先斗町、上七軒といった京都の三大花街のお座敷では甘くて美味しい九条ネギを芸妓たちも好み、徐々に評判になったそうだ。今も、京都で人気のスイーツやおばんざいには、彼女たちのイチオシが効いている。
 カウンターへ並んだ二大ネギブランドに、客たちが唾を呑んでいた。

「いや、中之島の師匠。お言葉を返すようですが、下仁田ネギは男のネギでさぁ。江戸っ子の剣にゃ、こっちでなきゃいけねえや。それに、酒は辛口でどっしりした上州の地酒がいい」
 中之島の口を差し止める誠司に、銀平は「おっ! やるじゃねえか、誠司」と口元をほころばせた。誠司も、親指を立てて応えた。

 中之島は平の隣へ座りながら新年の挨拶を交わすと、ほろ酔いで鼻息を荒げる誠司をたしなめた。
「そう、無気にならんでもええ……どっちゃみち、今夜は鴨肉がないようやしなぁ、太郎ちゃん」
 老眼鏡を掛けながらメニューを覗き込む中之島に、太郎が「ええ、生憎と切らしてまして」と答えた時、ゆっくり開いた扉から香の匂いが漂った。ふわりと揺れる着物の裾に、一瞬、白い肌が覗くと、客たちは視線を注いだ。

 居酒屋マチコの女将・真知子が紙包みを手にして、ほほ笑んでいた。見惚れるジョージは、手からボイスレコーダーを落としかけた。
「こりゃ、真知子さん。明けまして、おめでとうございやす!」
 真っ先に銀平が立ち上がると、誠司も目をしばたたいて直立した。ほころぶような色白のうりざね顔に客席からため息が洩れると、中之島と平がカウンター席へいざなった。

「あら、私は届け物に来ただけですの。太郎さん、これ、私の故郷の熊本から送って来た、野生の鴨肉。剣ちゃんって、今年から中学生でしょう。古臭いかもしれないけど、昔の元服と同じだから、鴨肉でお祝いして頂戴ね。あらぁ! お誂え向きに、いいネギがいっぱい揃ってるじゃないの!」
 真知子の上ずった声に
「兄貴、鴨って、元服の食材なんすか?」
と誠司が銀平に訊いた。当の本人である剣も知らないのか、銀平の答えを待っている。

「そ、そうなんだろうなぁ」
と生返事する銀平に代わって、ぬる燗の盃を飲み干した平が言った。
「私の故郷の能登には、源義経の元服膳が伝わってましてね。その中に、鴨肉とネギの煮物があります。その所以でしょうか、鎌倉時代以後、武士は鷹狩りで鴨をよく獲ったそうですねぇ」
 平の学識に感心する面々の中、鴨肉とネギを気後れして見比べる剣に銀平が囁いた。
「しかも、おめえの名前は剣だ。元服に、ピッタリじゃねえか。おっし、太郎さん。下仁田ネギも九条ネギも、どっちも使っちまおうぜ。剣が関東でも関西でも通用する、大人になれるようによ」

 ハル子の遺影へ銀平が片目をつぶると、太郎も二つのネギを両手にして頷いた。
「おもしれえ。それじゃあ、どっちにもイケるワリシタを、作らなきゃな。悪いんですが、中之島の師匠、真知子さん、お手伝い願えますか」
 その声の前に、もう中之島はタスキを掛け始めている。真知子も躊躇なく、手に提げた風呂敷包みからマチコに立つための白い割烹着を取り出した。
「そう頼まれると思った。剣ちゃん。お母さんにも、今日からネギ好きになってもらいましょ」

 脂身と赤身が美しい鴨肉をさばく太郎の隣で、真知子がネギを切り分けると、ダシにうるさい中之島がワリシタを作り始めた。三人の手際の良さに、いつしか店内から拍手が起こった。
「やっぱり、太郎さんの人徳にゃ、かなわねぇえな」
 悔しさよりも、嬉しさを口元に浮かべる銀平に、誠司が酌をしながら言った。
「向こうから幸せを持って来る中之島さんと真知子さん、まさに鴨ネギですね」
 その声を耳にしながら、剣がもう一度、神棚を見上げてつぶやいた。
「ううん、誠司さんも、銀平さんも、みんながポンバル太郎の鴨ネギだよ……ねえ、母ちゃん」
 暖かい包丁の音とワリシタの匂いに、写真のハル子が笑ったように見えた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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