TOP > ポンバル太郎 > 第198回 分司(ふんじ)

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Vol.198 分司(ふんじ)

 北海道から北関東までをスッポリ覆ったシベリア寒気団が、隅田川にボタン雪を霏々と降らせている。東京の新成人たちを鮮やかなネオンで祝うスカイツリーは、さながら雪灯籠のようだ。
 うっすらと化粧していく居酒屋通りをポンバル太郎の窓から眺める平 仁兵衛は
「東京で雪見酒とは、オツですねぇ」
と上燗の生もと純米酒を口にしつつ、悦に入った。

「そうですねぇ! 俺も、今夜はお燗酒がめっぽう美味しく感じまさぁ」
 今しがたやって来て、平からのお流れ頂戴に冷えた体を温める八百甚の誠司がブルッと震えた。それでも、この大雪で野菜相場が高騰するのではと、明日の築地のやっちゃ場を気にしている。
 通りを行き交う人たちは、頭に乗っかる雪をしきりに手で払っていた。

「だけど、このようすじゃ、明日の朝がおっかねえな。アイスバーンで事故る車や、転んでケガする人が続出しそうですね。東京人は雪をなめてかかってるから。今夜は、閉めた後に店先を雪掻きしとかねえとマズいな」
 ほの白くなっている路面に太郎が瞳を凝らすと、誠司が「雪掻きねぇ……」と壁に掛かっている大きな鋤のような物に目を止めた。
「俺、あのスコップみてえなヤツで、手伝いやしょうか?」
 日本酒の勉強はまだこれからの誠司だけに、それが酒造りの道具だとは知らない。古びた杉材の道具は、太郎が昵懇にしている蔵元から贈られた品で、発酵して固まった麹米の山を崩す分司(ふんじ)である。
 引退した酒蔵の杜氏が長年使い込んだ物で、先は薄くなってちびている。
「あのよう、誠司。うちに飾ってる道具なら、酒造りに関わる物だってことぐれえ、ピンとこねえのかよ。それによ、こんな杉製じゃ、積もった大雪なんて掻けねえよ。要るのは、鉄のスコップだ! おめえがやるってんなら、倉庫から出してくるぜ」

 二人の会話を耳にしたテーブル席の女性客は、不安げにハイヒールへ視線を落とした。ピンヒールではないが、いささか踵が高い。
 すると、カウンター席の隅で独酌していた白髪の男が、薄い笑みを浮かべて言った。
「ハイヒールの方が雪に突き刺さるから、かえって滑りませんよ。長靴だからって高を括ってると、転んでしまうんです」
 新顔の男はイケる口らしく、米沢の純米酒を冷やで三杯飲んでいた。

 男の自信ありげな声と濃い眉に女性たちが得心顔を見合わせると、平が相槌を打った。
「なるほど、足の裏全体に体重をかけて歩くと、凍った雪は滑りやすいわけですか。長靴を過信してる都会人は、油断禁物ですなぁ」
 平の言葉に男が目尻をほころばせた時、玄関の鳴子が暴れて、ドシンと大きな音が響いた。
 床が揺れるほどの衝撃に、女性客が「キャッ!」と叫んだ。
 振り向いた誠司は
「おっ! 地震? じゃねえや。ぎ、銀平の兄貴、大丈夫ですかい!」
「痛ってえな、こんちくしょうめ。びしょ濡れの築地場内だって、滑ったこたぁねえのによ」
 見事な尻餅をついた火野銀平は、立ち上がりざま、悔し紛れに雪塊を蹴飛ばした。だが、勢い余って、またもや雪の上へ大の字にひっくり返った。

「長靴だと、ああなるわけですねぇ」
 絵にかいたような銀平のドジに平がつぶやくと、笑っちゃいけないと肩を震わせていた客の数人が堪え切れずに吹き出した。玄関へ走り寄った誠司は起き上がろうとする銀平の背中の雪を払いながら、客席に向かって息巻いた。
「おうおう! 何を笑ってやんでぇ! 派手に転んだら、ちったぁ心配するのが人情ってもんだろ」
 ところが、にらみを利かす誠司の頭を銀平が一発張った。
「うるせえ! 派手にってのは、ひと言余計なんだよ!」
 血の気が多い二人に顔見知りの男性客は苦笑したが、女性たちは「何よ、あれ」と眉をしかめた。

 平は、大丈夫らしい銀平を隣の席へ手招きしながら、隅っこの男へ声をかけた。
「それにしても、雪に慣れてらっしゃるようですね。失礼ですが、北国のご出身ですか? 言葉に、訛りはないようですけど」
「いや、生まれ育ちは都内の板橋です。昨年まで山形に住んで、酒造りをしていました。米沢に行った当初は、雪で転んで青痣ばかり作ってました。雪掻きのやり方も分からず、苦労しましたよ」
 もみあげが白髪混じりの男は照れくさそうに、酒で赤らんだ鼻先を掻いた。酒造りをしていたと打ち明けた男に、太郎は純朴さを感じた。

「じゃあ、あんたは山形で、雪道の上手な歩き方を会得したってわけかよ」
 まだ痛むのか、尻をさすりながらカウンター席に座る銀平が口を挟んだ。
 男は、冷酒グラスの純米酒をひと口含んで頷くと
「私、この酒を造ってたんです。山形の冬の空気みたいなキレと澄んだ味わいが、米沢の暮らしを思い出させますよ」
と懐かしげな面持ちで問わず語りを始めた。

 名前は、遠山 茂。いい歳をして、門前仲町の居酒屋で働いていると自嘲した。大学を出て全国展開する飲食チェーン店に入社後、マネージャーまで経験したが、日本酒の魅力に憑かれて、40歳になった冬に米沢の酒蔵へ飛び込んだ。妻子を東京に残しての単身赴任だった。
 遠山に対して不審げだった銀平が、表情をゆるめて言った。
「あんた、根性入ってるじゃねえか。独り暮らしは、大変だったんじゃねえの?」
 その質問に、平と太郎も頷いた。

 遠山は一瞬、息を止めて、太郎へ酒のお代わりを頼むと、ためらいながら答えた。
「旅行で訪れるのと、現地での暮らしは大ちがいでした。雪が深い冬の毎日は東京育ちの私にはキツく、大雪の朝、アパートの駐車場から車を出すのに1時間がかりで、スコップを持つ手は凍えて動かなくなった。ようやく会社に着く頃には腰がふらふらで、肝心な酒造りを覚えるどころか、現場の足手まといでした。『おめえ、さっさと東京さけえった方がいいべ。母ちゃんも、待ってるなや』って、蔵人にたしなめられましたよ」

 冷え切ったアパートに帰れば、効かないエアコンと小さな電気こたつが孤独感をなおさら煽った。驚いたのは、地元の社員が二重サッシで完全床暖房の家に暮らし、厳冬期でも室内でTシャツに半パンツで過ごしていることだった。
 遠山は、軽い装備で雪国暮らしに入った自分の浅はかさに腹が立ち、と同時に、よそ者扱いされている気がして、やけ酒を浴びては酒造りへ身が入らなくなった。
 そして、ひと月半。終わりが見えない雪掻きに精根尽きかけた頃、降り積もる雪のせいで音ひとつしない朝まだきに、うるさいほどの金属音が響いた。
 何事かと振り向いた雪まみれの遠山の前に、厚い鉄製のスコップを手にして工事用ブーツを履いた男たちが立っていた。遠山が酒造りを教わっている、蔵人たちだった。

「ポカンとしている私に、現場を仕切る頭(かしら)は『茂よう、おめ、腰つきがまったくなってねえべ。なんだぁ、そのヘッピリ腰は! そんげなことじゃ、分司だって扱えねわ。甑(こしき)で蒸した酒米だって、まともに掘れねえぞぉ』とハッパをかけました。そして、蔵人たちがいっせいに雪掻きを手伝ってくれたんです。彼らは、麹米造りで寝ずの番をした朝なのに……頭だけでなく、みんな、口には出さないけど、自棄になっている私を心配してくれていたんです。その日から、私は平身低頭して雪掻きと分司の使い方を教わりました」
 ひとしきり話した遠山が冷酒グラスに手を伸ばすと、聞き入っていた客たちは肩で重い息を吐いた。

 平が咳払いをひとつして、口を開いた。
「私、能登人です。雪国の人は芯が強くて、都会者には負けないって意地を持ってますからねぇ。土地と同じで、人間関係も雪解けまで時間がかかるけど、いったん解け出すと暖かくなるのは早いんです」
 初めての客である遠山を気遣う平自身、それが如実に表れていた。

 銀平が嬉しげに平へ酌をして、遠山へ話しかけた。
「あんたがよう、山形でギリギリどこまで辛抱できるか、蔵人たちは気にしてたにちがいねえ。それをなかなか口に出さねえのが、米沢人らしくって、いいじゃねえかよ」
 今しがたまで銀平を腐していたテーブル席の女性客は、「純な東北人の優しさね」と口を添えた。店内の客たちも、頷き合っていた。
「あの時の雪掻きと分司のおかげで、私は、20年間、酒造りに生きることができました……ご主人、あの分司を持たせてもらってもいいですか?」
 遠山が壁に飾っている分司を指さすと、太郎は
「もちろん……その分司を使っていた杜氏さんも、喜びますよ」
と取り外した。

 飴色の分司を握り締めた遠山は、麹を切り返す仕草をして見せた。そして、酒造現場の酒造り唄も口ずさんだ。渋みのある声音に、客たちは盃やグラスを傾けながら酔いしれた。
「雪見酒に酒造り唄まで聞けるとは、今夜は、最高に贅沢ですねぇ」
 遠山の背中に目尻をほころばせる銀平が、誠司に酒を注げとばかりに盃を差し出した。
「おめえ、遠山さんに分司の使い方を教わってみろよ」
 分司を動かす遠山に見惚れる誠司は、首を横に振って答えた。
「俺は、スコップで雪掻きする方が性に合ってまさぁ。さぁてと。太郎さん、そろそろ外へ行きやすよ」
 雪掻きを買って出た誠司を応援するかのように、遠山のさばく分司が舞っていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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