TOP > ポンバル太郎 > 第208回 奉書焼

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Vol.208 奉書焼

 皇居の周りに、Tシャツ姿のランナーが増えてきた。陽だまりには、桜の枝から落ちた新芽をついばむスズメが踊っている。外苑の植え込みは赤や紫の霧島ツツジがほころび始め、ミツバチやモンシロチョウが花弁を覗き込んでいた。

 築地市場に春を告げるのは宮崎や鹿児島で揚がった一番ガツオだが、今年は、冬の寒さが響いたのか、海水温が低く、昨年に較べると入荷がふるわない。ポンバル太郎へやって来た火野銀平は、浮かない顔だった。
「年々、のぼりが減ってやがる! この調子じゃ、伊豆沖や千葉の勝浦あたりに来る群れは、小せえにちげえねえ。太郎さん、面目ねえが火野屋に上物が入ってくる時期は、ちょいと遅れそうだぜ」
 苦虫をつぶした顔で詫びる銀平に、厨房から太郎の淡々とした声が返った。
「かまわねえよ。近頃は初ガツオだからって、売れに売れる時代じゃない。それより、セイゴの上物を、手に入れてくれねえか」

 セイゴとは、大型魚のスズキの幼魚である。60㎝以上に成長するスズキは“出世魚”と呼ばれ、「セイゴ」、「フッコ」、「スズキ」と変わり、太郎の欲しがっているのは20㎝前後の小物である。
 太郎の頼みに胸をそらせる銀平の横顔を、カウンターの隅に座る若い男がまばたきもせず見つめていた。七三分けの髪にロイド眼鏡が似合う男は、小ぎれいな身なりだった。
「なんでぇ、いっそのこと、東京湾で揚がる上物のスズキを半身で納めてやるぜ。ここんところ、値下がりしてるからよう」

 それに乗ったとばかりに、隣でぬる燗の純米酒に桜鯛の塩焼きを合わせる平 仁兵衛が相槌を打った。悦に入って傾ける平盃は、桜柄をあしらった手作りである。
「いいですねぇ。スズキの洗いを辛口の純米酒でやるのは、江戸時代のオツな楽しみ方なのですよ。でも、太郎さん。セイゴじゃ、身が小さすぎませんか?」
 平の問いにテーブル席で刺身盛りと大吟醸を口にしていた女性たちが、物欲しげな顔で相槌を打った。刺身が好物らしく、箸の動きはおしゃべりに負けず忙しい。

「いや……ちょいと、わけがありましてね。丸ごと一尾で、奉書焼を作りたいんですよ。それには、セイゴが一番いいサイズなんです」
 太郎が口にした奉書焼の言葉に、平は「あっ、なるほど」と答えたが、銀平はテーブルの女性と同じく、不審げな面持ちだった。
「あのよう……奉書焼って、どんな物なんでぇ?」
 銀平が訊くと、カウンター席の若い男はため息まじりに盃を落としかけ、呆れ顔の太郎がなじった。

「まったく、築地の魚匠が聞いて呆れらぁ。奉書焼ってのは、究極のスズキ料理じゃねえかよ。日頃の勉強不足が、尻尾を出しやがって……」
 頭を掻く銀平へ声音を下げる太郎がカウンター席の男を一瞥した時、そこから声が聞こえた。
「太郎さん。ご存じなくても仕方ないですよ……今じゃ、松江の若者にだって、奉書焼は忘れられつつあります」

 目線を落として語る男は、落ち込んだ表情をはぐらかすように手元の冷酒グラスを口にした。飲んでいる酒は島根県の純米吟醸で、深刻そうな声音にテーブル席が静かになると、平は口を開いた。
「わけありとは、彼のことですか? 二十歳そこそこの年頃に見えますが、お上品な印象ですねぇ。それに、どことなく山陰の訛りがありますねぇ」
 高齢者ながら地獄耳の平だけに、かすかな言葉尻も聞き逃さなかった。驚き顔の男は、
「は、はい、図星です。私、益田 清右衛門と申します。松江市の生まれ育ちで、今は都内に暮らす大学生です……祇園の小料理屋“若狭”の女将さんからポンバル太郎さんを紹介して頂き、不躾なお願いがあって参りました」

 益田の端正な面立ちや言葉遣いと裏腹な、古臭い“清右衛門”の名前に、女性客がクスリと笑いを洩らした。すると、銀平は不機嫌になり
「立派な名前じゃねえか。俺たちみてえな有象無象たぁ、重みがちがうぜ」
と聞えよがしに声を高くして、益田をかばった。

 女性客の箸が止まると、気まずい雰囲気を変えようと太郎は益田の素性を紹介した。
「益田君は、都内の美術大学で和紙の研究をしている。実家は、松江藩の時代から続く出雲和紙の老舗で、製品は皇室にも献上されているそうだ。彼のお祖父さんで無形文化財の益田 清太郎さんは得意先が多い京都へよく通い、若狭の常連だった。でも、先週、都内の病院で大きな手術を受けたんだ」
 人となりを知って客たちは顔色を変えたが、益田本人は太郎の紹介に力ない声を続けた。

「祖父は、すでに余命半年と宣告されています。手術は、本人の気休めに過ぎません。それでも、最期まで挑戦する人でした……最後の作品は書のための出雲和紙ではなく、かつて松江藩主が口にした宍道湖のスズキの奉書焼を復活させる和紙でした。当時の奉書紙の原料であるコウゾやミツマタの文献を山積みにして調べ、仕上がった直後に祖父は倒れました」
 一流文化人の清太郎だけに最高峰の都内の病院で手術を受けたが、誠に無念だと清右衛門は声を詰まらせて若気を覗かせた。

「せめて逝かれる前に、清太郎さんにスズキの奉書焼きを食べさせてあげたい……それが清右衛門君の望み。そこで美江さんに相談し、東京の太郎さんへ、たっての依頼があったとわけですねぇ」
「恐れ入りました。また、図星です。宍道湖のスズキの奉書焼は脂ののった大物ではなく、たんぱくなセイゴを使うほど紙の香りが移って美味しいのです……ですが、東京で宍道湖のセイゴを手に入れるのは、私には難しくて……」
 清右衛門の切実な思いが伝わったのか、聞き耳を立てていたテーブル席の女性たちは両手を膝の上で握り締めていた。

 腕を組んだ平は目をつむったまま天井を見上げ、何かを考えているようだった。
 顔を火照らせた銀平が、清右衛門の隣へ動いた。頬の赤さは、酔いのせいではなかった。
「宍道湖のセイゴ、この火野屋に任せてくんねえか。必ず、最高の物を仕入れてみせっからよう」
 胸を叩いた銀平に、平が続いた。
「私は、奉書焼を乗せる皿を焼かせてもらいましょうかねぇ。出雲の出西窯(しゅっせいがま)に友人がいますから、地元の土を分けてもらいます。ただし、清太郎さんが、私のような凡人の焼く皿でよろしければですけど」
 思いがけない平の提案に、清右衛門は
「滅相もありません! お願いいたします!」
と声を弾ませた。

 客席から歓声が聞こえると、テーブル席の女性たちが立ち上がって清右衛門へ頭を下げた。
女性の一人が、気恥ずかしげに言った。
「あの、私たちにも、お手伝いさせてもらえませんか。その奉書焼を清太郎さんと一緒に食べて、グルメ派の女性の舌で感じた美味しさの感想を伝えたいんです……なんて、本音は奉書焼を食べたことがないので」
 はにかむ清右衛門を、ご機嫌な太郎の声が後押しした。
「それじゃ、清太郎さんの外出許可が下りたら、うちで奉書焼パーティをやりますか。お客さんたち、飛び入り参加も大歓迎だよ! 必ず、うまい奉書焼にしてみせる、秘訣は、島根の地酒をセイゴの身に塗って、宍道湖の旨味を引き出す下ごしらえだ」
 清右衛門が飲んでいる純米吟醸の瓶を取って張り切る太郎の誘いに、店内から次々に手が挙がった。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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