TOP > ポンバル太郎 > 第211回 イイダコ

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Vol.211 イイダコ

 暖かな光かがよう隅田川に、お台場へ往来する屋形船が波をけたてている。川風はすっかり温もって、勝鬨橋のたもとには潮の匂いが遡っていた。
 夕刻の銀座や新橋を行くビジネスマンは、心地よい夜気に混じる居酒屋の煙りに誘われて足取りが早い。気持ちはもう、ほろ酔い気分である。

 ポンバル太郎の通りでは、地元の商店街が春の旬キャンペーンと銘打って、網焼きのサザエや車エビ、ホタテ貝に、生ビールを露店で販売している。 そこで一杯引っかけた客には地酒のサービス券を配り、近辺の酒場を巡ってもらおうという狙いだ。
 協賛したポンバル太郎でも新顔の客たちがズラリとカウンター席へ並び、銀平と誠司は窮屈そうに肩をくっ付けている。
「見かけねえ奴らが、でっけえ面して飲んでやがる。しかもサービス券でしか、日本酒を飲んじゃいねえ。当たり前に酒を飲まねえなら、せめて肴ぐれえ、上等な品を頼みやがれってんだ。こちとら、今日はキャンペーンがあるってんで、上物の刺身を納めてんだからよう」

 やかましい店内にウンザリ気味なのは、銀平と誠司だけでなく、先にやって来ていた右近龍二も同じで、厨房に逃げ込み洗い物を手伝いながら純米吟醸のぐい呑みみをあおっていた。
「まあ、日本酒人気のせいで、都内じゃ似たようなキャンペーンが増えてますが、その実、蔵元じゃ、オーナーが変わったり、廃業やむなしの決断も起こってんだよなぁ」
と俄か日本酒ファンたちを目の当たりにして、独りごちた。

 太郎は答えず、足元でブクブクと空気ポンプを動かしているトロ箱の水槽を持ち上げながら、洗う手が止まっている龍二をせかした。
「ついさっき、活きたタコが届いたんだが、こいつを俺が下ごしらえする間に行平鍋を洗っといてくれねえか」
 活けダコと聞いて、龍二はつまみ食いできるかもと期待しながら、二度頷いた。それを耳に挟んだ銀平が、腑に落ちない表情で太郎に訊いた。
「活けのタコって、そのエアー付きのトロ箱で送って来たのかよ? いってぇ、どこから仕入れたんだよ? まさか、今日うちの水ダコを断ったのは、それが理由かよ。超高値の明石の活けダコじゃねえだろうな?」

 明石ダコと聞いて、カウンター席の一見客がいっせいに銀平へ振り向いた。その勢いに、純米酒のグラスを口にしていた誠司がむせ返った。
「そうじゃねえよ。中之島の師匠が送ってくれた大阪は泉州産のイイダコだ。マダコよりずっと小せえ、手のひらくれえの奴だよ」
 太郎の答えに、銀平は「なんでぇ、イイダコちゃんかよ」と納得したが、カウンターの端に立つ若い女性客たちが「イイダコって、どんなの?」だの、老いた親爺は「ありゃ、西日本の奴らが食う、しみったれたタコじゃねえかよう」と江戸っ子言葉で腐したりで、言いたい放題である。

 それでも、四国の土佐育ちの龍二はイイダコが地元の味覚で、子どもの頃は串に刺したおでんがおやつ代わりだったとカウンターの客たちに自慢した。
「確かに、関東じゃ東京湾の真ダコが定番だし、新潟や北海道で獲れる大物の水ダコも好まれますね。でも、イイダコって小さいから、串物や天麩羅に一匹丸ごと使えるんですよ。だから、酒のツマミにピッタリなんです」
 龍二がスマホでイイダコの画像を見せながら説明すると、知らなかった客たちは「小っけ!」と驚いた。彼らのほとんどは水ダコ好きな東北出身者のようで、言葉の訛りが強かった。

「驚いたぜぇ、イイダコを知らねえ東京人って、案外多いもんだな」
 呆れ顔の銀平に、誠司も目を丸くして「でやすねぇ」と続けた。
 すると、カウンターの後ろで歓声が巻き起こった。ド派手な金ラメのジャケットにヒョウ柄のマフラーを巻き、パンチパーマの頭へ45度の眼鏡をかけた男に、客たちは「あれ、ポコ太郎じゃねえか!」と興奮している。
 近頃、ユーチューブで大ブレイクした人気芸人にそっくりだが、その低すぎる背丈を龍二が訝った時、男は太郎へ凄むように訊いた。

「おう、大将! 泉州ちゅうても、岸和田のイイダコやないとうまぁないぞ! わいのこのジャケットみたいに、金色の目をしたイイダコや! どや、そのブクブクの中にいてるけ?」
 大阪弁より一段とキツイ河内弁の男が明らかに本物のポコ太郎ではないと分かった時、龍二だけでなくカウンターにいる客たちのほとんどが顔色を変えた。

 男の右手には、小指がなかった。潮が引くように人垣は崩れた。
「なんや、わいの指見て、ビビッてもうたんか? けど、小指がないからちゅうて、このキャンペーンに参加できんわけやないやろ。なあ、大将?」
 しつこく太郎へからむ男に詰め寄ろうとする銀平を、誠司が必死の形相で止めた。
「兄貴、ヤバいっすよ! ありゃ、その筋の奴じゃねえですか!」
「だったら、どうだってんでぇ! 関西のハンパ者が怖くって、築地の鉄火場で働いてられっかよ」

 聞えよがしな銀平の声に、店内のざわめきが静まった。気づいた男の方が、銀平へ近寄った。
「ほう……タコみたいな禿げ頭の兄ちゃん、ええ根性しとるやないけぇ。おんどれ、築地の魚屋か? けど、ほんまにうまいイイダコを知らんようやな。わいの故郷の岸和田には、“蛸地蔵”っちゅう寺がある。本尊の地蔵菩薩は、中国からイイダコに乗って来たそうや。やから、岸和田の海で獲れるイイダコの目には、地蔵菩薩が持ってる錫杖の金の輪がついてるんや」

 ドスを効かせた男の言いぐさに、客たちが青ざめた。皿を洗う龍二とトロ箱を開く太郎が同時に手を止めて厨房から飛び出した時、別のくぐもった大阪弁が玄関から聞こえた。
「それでもイイダコの寿命は一年やし、小さいよって、ブクブクで届けてもすぐに鮮度は落ちていく。ゴタクを並べる前に美味しく食ってやるのが一番やろ、吉本 寛太! おまはん、10年前に行方をくらましたと思うたら、東京にいてたんか! しかも、まだ昔のまんま、しょうもないモノマネ芸をやっとんのかい!」

 言うが早いか、現れた中之島 哲男は声を失くしている男に詰め寄ると、短い小指を引っこ抜いた。客たちが驚く中、いびつな形だった指はかぶせ物で、その下から折り曲げた小指が現れると、寛太は周囲の客から「バッカじゃない!」や「ツマミ出しちまえ!」と罵倒された。
 赤っ恥をかいて逃げ出そうとする寛太の首根っこを、中之島がつかんだ。今しがたの寛太の強面は、中之島に素性をばらされ、どこかへ消し飛んでいた。
「どこへ行きまんねん? おまはん、あん時に大阪の芸人を辞めて、親父の跡を継いで岸和田で居酒屋をやるっちゅう約束やったな。わしが祝いにやった50万円、忘れたわけやないやろ。耳を揃えて、返してもらおうやないか」
「えっ、あっ、すんまへん。忘れては、おまへん」

 後生だからとばかりに手を合わせる寛太を、拍子抜けする銀平がなじった。
「なんだぁ? この野郎、中之島の師匠を騙しやがったんですかい! ふてぇ野郎だな。何なら、俺と誠司で縄かけて、駅前の交番へ突き出しちまいましょうか?」
 鼻息を荒げて取り囲む銀平や誠司に、寛太は人が変わったように平謝りすると、中之島に向き直って言いわけを始めた。
「嘘をついたんや、おまへん。わい、もういっぺんモノマネ芸で、東京に挑戦したかったんや。今は、浅草の場末の劇場で“ナニワのタコ太郎”ちゅう名前でピン芸人やってまんねん。もう8年になります。金を貯めて、いつか居酒屋をやろうと思うてますねん……けど、今さら岸和田に帰るのは、親父が爆発しそうで怖いんですわ」

 寛太の恥知らずな言葉を、酔いのまわった誠司が嘲笑った。
「適当なことを言ってんじゃねえぞ。親父が怖いってかよ。笑っちゃうぜ! そんなの自業自得だろ!」
 周りの酔客たちも当然と頷いて、銀平は腐した。
「イイダコみてぇな、チンケな野郎だぜ!」
 すると、うつむいていた寛太が頬と耳たぶを紅潮させながら河内弁を返した。

「ちょっと待てぇ……イイダコは、ちんけなタコとちゃうど。泉州が自慢する、酒の肴や。俺の親父がやっとった岸和田の居酒屋には、その典型的なイイダコ料理があった。あんたらが食うたことない、ビックリするようなイイダコの煮つけ」
 寛太の悔しそうな声に銀平や誠司が眉をしかめる中、中之島が思い出したかのように顔つきを引き締めた。
 すると、江戸っ子言葉の老爺が口を挟んだ。 
「けっ! まだ、負け惜しみかよ。だったら、そいつを食わしてみな。イイダコなら、そこにあんだろう?」
 老爺とカウンターに並ぶ客たちの視線は、太郎が開けたトロ箱に注がれた。

 エアーポンプの音が響く中、寛太は口を濁した。
「い、いや……その料理は、獲った時のままのイイダコそのものやないと、あかんのや。活きてるイイダコやったら、何でも、ええっちゅうもんやないねん」
「ふん、ごたくを並べるのが好きなやろうだぜ。できねえなら、素直にできねえって……」
 いたぶる老爺の肩に中之島が分厚い手のひらを置いて、ちょっと待てと制した。
「寛太、そのトロ箱のイイダコは、わしが目利きした。岸和田の砂底の海で獲れたまんまの姿かっこうや。おまはんの親爺譲りのイイダコ料理、やってみいや」

 中之島は寛太に顎で指図すると、ほくそ笑むような口元を太郎へ向けた。トロ箱を覗いた太郎が
「なるほど! こりゃ、おもしれえや!」
と破顔一笑した。途端に、客たちが前のめりになってトロ箱の水槽を覗き込んだ。

 中に入っていたのは、大きなハマグリの貝殻に隠れている小さなタコだった。
「えっ!? あれって、生きてるの?」と女性客が目を丸くすると、イイダコを小馬鹿にしていた老爺も「粋なことをする、タコじゃねえか」と凝視した。
 そんな声を背中に受ける寛太を、太郎は厨房に受け入れ、トロ箱を手渡した。

 龍二が用意した皿に、寛太が懐かしげにハマグリを置いた。そろりそろりと貝殻から足を出すイイダコを見つめながら、寛太が言った。
「泉州のイイダコ漁は、今もハマグリだけやなくて、サザエやアワビの貝殻に紐を通した小型のタコ壷を使いますねん」
 なるほどねぇと、手のひらを返したように感心する客たちに、中之島と太郎が目顔で笑い合った。

 寛太は、動き出したイイダコを貝殻から引っぺがすと、茹でる前にまず墨を取り除き、ひとつかみの塩でもみ洗いし、ぬめりを取って熱湯に足元から入れた。
「こうすると足が四方に広がって、形良く茹で上がりますわ。その後で、醤油と味醂で薄めに味付けたダシで、15分ぐらい煮る。ほんでもって、ここに棲み家やったハマグリの貝殻も入れて、ひと煮立ちさせます。貝の風味も合わせますねん。仕上げは、貝殻の中に煮たイイダコを盛りつけて、泉州イイダコ煮のできあがりですわ」

 行平鍋を使いこなして、あっという間に寛太のイイダコの煮物は完成した。
 その手際の良さに、思わず龍二が洩らした。
「さっきのモノマネ芸より、料理の方がよっぽど玄人はだしじゃないすか。タコ太郎の名前は、伊達じゃないですね……あっ、失礼!」
 苦笑する寛太にカウンター席からパラパラと拍手が起こり、それはしだいに大きくなった。
 盛り付けられたイイダコと貝殻に、中之島が目を細めて言った。
「これを土産に、岸和田の親父の店へ行こうやないか……わしに、任せとけ。その前に、このイイダコと泉州の地酒で乾杯や」
 金色に光っていたイイダコの目元が、ほんのりと赤くなったように見えた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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