TOP > ポンバル太郎 > 第212回 一寸そら豆

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Vol.212 一寸そら豆

 銀座の老舗パーラーにさくらんぼの“佐藤錦”をふんだんに使ったパフェが登場して、中国人観光客に人気を呼んでいる。
 あまりの高値に目を丸くする日本人の客は、やせ我慢してイチゴのパフェを注文するしかないと、当の本人の高野あすかが太郎へ愚痴った。仲のいいようすに、カウンター席で生貯蔵酒の小瓶を傾ける平 仁兵衛が目を細めている。

 ポンバル太郎の冷蔵ケースにも、5月が旬の高知産アスパラガスや宮崎産のゴーヤが並んでいる。青々と光っている野菜は八百甚の誠司が目利きした上物で、太郎の好みをようやく読めるようになった。
「南国は、もう初夏ですねぇ。すっきりした爽酒に合う、野菜が増えてきました。私は、その大きなそら豆を焼いてもらいましょうか。いい色つやで、唾がわいてきますねぇ」
 平 仁兵衛が選んだ大きな鞘のそら豆も、誠司がイチオシした上物である。
「平先生、ちょいと要りようなんで、2本だけでいいですか? 熊本産の無農薬のそら豆で、誠司が言うには、丸ごと焼くのがオススメだそうですよ」

 出し惜しみする太郎へ、平が不審げに訊ねた。
「こんなにあるのに……何かの材料に使うわけですか?」
「ええ、実はマリさんが先週退院して、今夜、来るんですよ。酒も我慢してたし、病院食に飽き飽きしてるから、うまい地酒と旬の物を用意しろって電話してきましてね。でも、病み上がりですから、一品目は風味が良くて食感が柔らかいそら豆のスープにします。マリさんの故郷の物ですしね」
 太郎の答えにハッと思い出した顔の平へ、あすかが続けた。
「平先生、マリさんの腰痛はヘルニア寸前だったそうです。少し痩せて体重を落としたら楽になるから、これからヘルシーな食事に変えていけるよう野菜料理で快気祝いすることにしたんです。それで、誠司君が張り切って、そら豆や野菜を納めてくれたわけです」

 恥ずかしながら忘れていたとばかり平が赤面すると、太郎は荒塩で焼けば旨味が引き出せるとはぐらかした。すると、カウンター席の隅から耳慣れない声が聞こえた。
「焼いて食べるだけやなか。その一寸そら豆の鞘は、天麩羅や煮込み料理も美味しいばい。豆粒が一寸(約3.3センチ)もあって、収穫期にはまるで畑にキュウリがなっているようたい。少しだけ、加熱する時間を長くするたい」
 九州訛りの声の主は、白髪混じりの男性だった。目鼻立ちがハッキリした色黒な肌は、髪の毛と対照的だった。スーツの袖から出ている手の甲も、陽に焼けている。

「……そら豆にお詳しいようですが、農家の方ですか。失礼ながら、言葉使いから九州のご出身とお見受けしますが」
 平らしい丁寧さで同年輩の男に訊ねると
「その豆を作っとる、肥後もっこすばい。生産農家の欄に、私の名前がのっとると」
とはにかんだ。箱の右隅に熊本県玉名市の住所と、赤星 五郎の名前があった。
 平とあすかは、おそらく赤星は八百甚の仕入れ先で、誠司からポンバル太郎を紹介されたと察した。一寸そら豆に限らず、無農薬の野菜農家とおぼしき赤星は健康そのものに見えた。

 食のジャーナリストでもあるあすかが、目を輝かせて言った。
「無農薬だから安心だし、鞘を捨てずに使うのは節約になりますね。そら豆の鞘って食物繊維が多くて、便秘にいいの。それに疲労回復のビタミンB1がたっぷり! だから女性の美容にイチオシなの。カリウムは、むくみの予防に効くしね。マリさんに、ピッタリだわ」
 あすかの声に赤星の表情が感心すると、テーブル席の女性客は太郎の手にある一寸そら豆を物欲しげに見つめた。

「赤星さん。できれば料理の方法を聞かせてもらえませんか」
 頼んだ太郎が一寸そら豆の鞘を大事そうに手で磨くと、赤星は目尻の皺をほころばせた。
「よかですよ。私は、子どもの頃から鞘ばかり食べちょったけんね。豆は売り物やけん、家の者は食わんばい。昭和半ばの農家は、貧乏やったけん。ばってん、かき揚げはご馳走たい」
 赤星は鞘を野菜の切れ端と乱切りにし、ネギや小エビを入れて揚げるかき揚げが赤星家の贅沢な料理だったと懐かしげに語った。テーブル席の女性は腕や顎のむくみを撫でながら、聞き入っている。

 赤星の熱のこもった口調と身ぶり手ぶりに、あすかも貴重なデータになるとスマホの録音アプリを押した。
 その解説を聞きながら、太郎は手先を動かして調理を進めた。菜箸でといた天麩羅のタネができ上がると、刻んだそら豆の鞘と野菜に小海老の紅い色が映えた。ごま油のいい匂いと揚げる音が響く中、平が
「かき揚げをご相伴に与る御礼に、一献、お注ぎさせて下さい」
と生貯蔵酒を赤星へ差し出した。
「これも、御縁です。遠慮なく、もらいますばい」
 赤星が、手元の鞄から布包みを取り出した。中から現れたのは、水玉模様が入った盃だった。
「あら、ドット柄の盃なんて、赤星さん、オシャレじゃないですか」

 あすかが苦笑する盃に、テーブル席の女性たちも「カワイイ!」と声を上げた。確かに、紺色に白い水玉をあしらった盃はオヤジ系の赤星と不釣り合いだった。
 だが、平だけは「ほお~、これは懐かしい」と老眼鏡を鼻先にずらして、感心した。
「えっ……平先生、この盃って昔からあったんですか?」
 平成生まれのあすかが知らないのは無理もないと、平は腑に落ちた顔で答えた。

「昭和40年代、どこの家庭にもあったはずですよ。私の父も、晩酌に使っていましたしねぇ。それにしても赤星さん、さすがに倹約家です。物を大事にされていますねぇ」
 まんざらでもなさげに、赤星は答えた。
「これは熊本じゃ、“豆盃”と呼ぶばい。豆作りが得意やった親父は、この柄がお気に入りで、春には一寸そら豆の鞘ば食べながら、この盃で熊本の日本酒ば飲むのが楽しみだったけん。私も、これを持ち歩いとるばい」
 赤星が、飲み干した豆盃を平へ手渡した。その杯を平がしみじみと見つめた時、玄関の鳴子の音とともに、聞き慣れた熊本弁が聞こえた。

「熊本の言葉が聞こえちょったや、なかね。しかも、懐かしか、豆盃たい! 今夜はツイとるばい!」
 久しぶりにやって来た手越マリが、赤星の面立ちをまじまじと見つめて
「こちゃ、まちがいなく、肥後もっこすたい!」
と破顔一笑した。

 マリの屈託のない口ぶりと人懐っこさに、テーブル席の女性たちは圧倒された。あきれ顔のあすかにハイタッチするマリへ、赤星が冗談めかして答えた。
「そりゃ、こっちのセリフばい。熊本の女性は、口うるさかけんね」
 賑やかなムードに包まれる中、太郎のかき揚げがマリの鼻先に匂った。
「それも、熊本名物の一寸そら豆のかき揚げやなかね。あたしの好物ばい! 太郎さん、たっぷりもらうけん、じゃんじゃん揚げてくれんね。お客さんも、一緒に食べるたい」

 のっけから赤星に近づいたマリは豆盃を平から取り上げると、一杯注いでくれとばかりに手を伸ばした。
「そげん豆盃を気に入ったなら、あんたに、あげるたい。うちには、まだ残っとるけん」
「あらぁ! どうも、だんだん(ありがとう)ねぇ」
 会話に拍車がかかっていく中、あすかが赤星の素性を紹介すると、マリは太郎と平に目をみはって大喜びした。そして、二次会は銀座の自分の店「手毬」へ行こうと、赤星と意気投合した。

「大阪は食い倒れ、京は着倒れと言うばってん、熊本は “付き合い倒れ” たい。人情ば大事にするお国柄やけん。それにしても赤星さんは、この店によう来たとね」
 赤星はマリが手にする豆盃に酒を注ぎながら、嬉しげに言った。
「八百甚の誠司君。あん若いもんは、なかなかの男たい。私が商談に築地へ来るのを今日に指定して、夜はここへ来たらうまい酒と料理が楽しめると教えた。ばってん、それはマリさんが肥後の女じゃから、私に合わせるのが、養生に一番よかと思うたにちがいない。一寸そら豆と豆盃のことを、誠司君は以前から知っとったけんね……そろそろ、やって来るはずたい」
 それを聞いて声を止め、涙をあふれさせるマリは、カウンター席へ尻もちを搗くように座り込んだ。

 その時、玄関の鳴子が軽やかに音を立てた。
「おう、マリさん! ようやく鬼の霍乱は終わったかよう。一寸そら豆と一緒に鯛の子を煮つけりゃ、滋養もいっぱいだぜ。この熊本産の天然鯛は、俺からのプレゼントだ。もっとも、こいつが提案したことだがよう」
 トロ箱を得意げに掲げる火野銀平の後ろから顔を出した誠司が、照れ臭そうに頭を掻いた。
 臆面もなく声を上げて泣き始めたマリに、銀平や誠司だけでなく、全員が吹き出すと、赤星がもらい泣きする眼を拭いながら、「火の国の女は、熱いたい」とつぶやいた。
 銀平に肩を組まれる誠司に、平がニンマリとして太郎へ言った。
「いい男に、なってきましたねぇ」
 一寸そら豆をかき揚げる油の音が、温かい春の通りにも聞こえていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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