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Vol.214 遊興盃

 ゴールデンウィークに観光客で人いきれの絶えなかった浅草は、ようやく落ち着きを取り戻していた。銀座や秋葉原でショッピングを楽しむ外国人観光客も、ひと頃よりは少な目だった。むしろ、最近は大都市よりも地方の町へ旅する嗜好が高まり、在来線を上手に使う外国人の姿が全国各地で目につく。
 それでも、今夜のポンバル太郎はアメリカからのゲストで熱気に満ちていた。カウンター席を占めている30代とおぼしき女性3人、男性3人のメンバーは、ジャーナリストのジョージが連れて来ている。旺盛な食欲と饒舌なグループに、店内の客たちも気を取られがちだった。

 中でも、丈の短いちんちくりんな着物に下駄を履いた大男は、立て続けに3杯の大吟醸を飲み干した。でっぷりとした腹回りと2m近い体躯は、隣の平 仁兵衛が見上げるほどの座高だった。どうりで古着の裾丈が足りないわけである。
「一升瓶もラッパ飲みしそうな勢いですねぇ。ワイングラスがシェリーグラスみたいに見えますよ。これじゃ、盃も小さすぎますねぇ」
 呆れ顔で口走った平の言葉をジョージが通訳するかと思いきや、男はおおよそ意味を理解したのか、「イエス、ドンブリが欲しいね」と片目をつぶった。日本語に通じているらしく、男は「大将! ネクストの酒をお願いします」と太郎に向かって大きな手のひらを合わせた。

 そのしぐさを真似する他のメンバーに、太郎が苦笑して「オーライ」と親指を立てた。
 平にお銚子を傾けていた右近龍二も
「ぎこちないしぐさだけど、嬉しいなぁ。ジョージのおかげだね」
と褒めれば、鳴子を響かせた玄関から江戸っ子言葉が飛んで来た。

「築地にやって来るヤンキーよりも、ずいぶんと行儀がいいじゃねえか。だけどジョージ、そのでっけえ体にゃ、両国辺りの関取の着物じゃねえと合わねえよ」
 火野銀平が例えた関取サイズに、店内の客はどっと沸いた。
「まったく、とんでもねぇビッグサイズでやすねぇ。ジョージさん、彼の酒量は“歩く酒樽”ってなもんだ」

 銀平と八百甚の誠司の声を今度はジョージが通訳すると、大男はニンマリして「オウ! スモウレスラーね。私、大好きです。そして、彼らも日本酒をたくさん飲みますね」
とワイングラスの大吟醸をまた飲み干した。すると、法被姿の銀平たちをじっと見つめていたアメリカ女性の一人が、大胆にも男の頬を捻り上げた。女性の肌は透き通るように白いが、高い鼻梁の上で光っている褐色の瞳は、どことなく東洋人の面立ちを浮かべている。

 思いがけない女性の行動に、客席の視線が釘づけになった。
「ケビン! ダメよ、ビアみたいに飲んでは。もっとスローに飲まなきゃ、ダメ」
 抑揚がズレてはいたが、彼女もまた日本語に精通しているようだった。ケビンがおもねるように赤面すると、銀平と誠司が「強ぇえ、ヤンキー娘!」と口を揃えた。

 ケビンを叱った女性はふっと薄い笑みを浮かべ、ハンドバッグから小さな布包みを取り出した。それを目にしたジョージが、驚き顔で訊ねた。
「ヘイッ! それは、メグが大切にしてる宝物じゃないか。自宅に飾っているだけで、一度も使ってなかったのに、わざわざ日本へ持って来たの?」
 ジョージのドギマギとした声音に、平と龍二が反応した。銀平と誠司も、カウンターへ近づいて覗き込んだ。
 よく似た禿頭の二人に、メグ以外のアメリカ女性が「ゼア、ブラザー!?」と顔を見合わせた。

 メグが慎重な手つきで包みを開くと、大ぶりな六角形の盃が現れた。釉薬の剥げかけた六面には、青い顔料で一から六までの漢数字と古い江戸の風景が描かれている。
「へぇ、珍しい絵柄じゃねえか。一は浅草の仲見世、二は飛鳥山の花見、三は墨田川の花火、四は高尾山の紅葉狩り、五は日本橋の魚河岸、六は吉原の遊郭か……しかし、なんでぇ、この順番はよう?」
 盃を持つ手を覗き込んだ銀平に、メグの口はもどかしげだった。陶芸家の平は、盃だけでなく、メグの顔つきにも興味を持つように見入った。

 すると、ジョージが銀平へ代返した。
「数字と絵の意味を、メグもずっと知りたがっているんです。この盃は、終戦時に日本へ駐留していたメグのお祖父さんが、ある方にもらってアメリカへ持ち帰った物らしいのです」
 ジョージの話はさすがに分かりにくいのか、4人の男女へケビンが英訳すると、彼らも初めてメグの盃の秘密を知ったらしく「ソウ、イントレスティング!」と口を丸めた。

 だがメグは、ためらいがちに問わず語った。
「私の祖父は日系二世で、先祖は江戸の商人だったそうです。アメリカ軍の通訳として来日し、一年余り東京に滞在しましたが、私が生まれる前に亡くなって、祖父の思い出話は父から聞きました……占領時の日本人の暮らしに、同じ血が濃い祖父は、とても心を痛めました。そんな中、上野の焼け跡で陶芸家の日本人から、この盃をもらったそうです。今回は、何かヒントを探したくて、持って来ました」
 オフの日、祖父はその陶芸家と焼け跡の酒場で賭けをして負けたが、金を渡した代わりに、この盃を手に入れたのだと、メグは父の口伝てを打ち明けた。

「複雑な心境だな……でも、メグさんのお祖父さんは、きっと日本贔屓だったんでしょうね」
 盃の素性に龍二がつぶやくと、銀平と誠司も頷いたが、盃を見つめていた太郎はハッとして平に訊ねた。
「平先生。これ、うちの棚の奥にしまってある“遊興盃”に似てませんか?」

 それは平がずいぶん前に焼いた物で、江戸時代の酒の座興に使われた復刻盃である。龍二と銀平も思い出したらしく、「あっ、そうだよ! チンチロリンの盃だ」と声を重ねた。
 太郎の問いかけに平は頷くだけで、ぬる燗の純米酒をひと口飲んだ。いつにない厳しげな表情が、棚の盃を出してくれと太郎に頼んでいた。

 取り出された同じ六角形の盃にメグだけでなく、ケビンや連れの面々も「オウ!」と声を上げた。漢数字も絵柄もそっくりだが、真新しい釉薬はツヤ光っている。
「私が焼いた遊興盃は、メグさんの盃のレプリカです。つまり、そちらの盃が本物。しかし、メグさんの盃には足りない物がある……この賽の目です。たぶん、お祖父さんはどこかで失くされたんでしょうね」
 平が自作の遊興盃の中からつまみ出したのは、陶製のサイコロだった。カウンターへ平が転がしたサイコロは、メグの前で偶然に止まった。

 メグは賽の目の意味を察したらしく
「これは、ダイスですね。つまり、ダイスの数字と盃に描かれた絵の数字を合わせる……そして、どうするのですか? この場所へ行くのですか?」
と盃の絵柄を指して平へ訊き返した。ケビンたちだけでなく、店内の客たちも平に注目した。

「それも、いいですねぇ。でも、この遊興盃は、家に客人を招いて楽しむものなのです。出た目の場所の魅力や楽しい思い出、飲んだ面々のことなどを披露しながら盃を飲み干します。話が面白くなければ、もう一度、賽の目を振って話をする。つまらない話ばかりだと、どんどん酔ってしまうわけですねぇ……この遊興盃を考え出したのは、私が師の一人と仰いだ、上野の陶芸家・山田恵一郎でした」
 山田は東京大空襲で工房を失いながらも焼け跡で陶器のカケツギ修理を行い、占領軍のMPたちには陶器を売りつけて、焼け出された難民たちの暮らしを支えた。彼は無類の酒好きで、闇市で博打に興じる庶民派の陶芸家だったと平は語った。
 そして、サイコロを手にすると遊興盃の中に転がした。

 声を失くしているメグの前でチンチロリンと軽やかな音が響くと、平は話を続けた。
「盃の中で転がしますが、中の酒を飲み干さないと賽の目を振ることはできないわけです。恵一郎は、うまく考えたもんですねぇ……敗戦下の暗い時代でしたが、きっと、そんな日本人の知恵が、あなたのお祖父さんは嬉しかったんじゃないですかねぇ。そして恵一郎自身も、金品をちゃんと払ってくれたあなたのお祖父さんの情に対して、この盃を差し上げたのではないでしょうか」
 ようやく平の目尻がほころぶと、メグはしなやかな指で目頭を押さえた。白い鼻筋が、赤く染まっていた。束の間、ジョージに通訳されていた二人の女性も啜り上げた。ケビンは傍目も気にせず、唸るようにもらい泣きをした。

 平が太郎へ、目顔で、メグにサイコロを渡せと伝えた。心得たとばかり、太郎がメグの遊興盃にサイコロを入れた。
「これは平先生からじゃなくて、山田恵一郎さんから、あなたへのプレゼントですよ」
「オオ! サンキュー、ベリーマッチ! サンキュー!」
 滂沱しながら手を合わせ、何度もお辞儀するメグに、店内から「よかったねぇ」の声と拍手が沸いた。
 カウンター席のアメリカ人たちがハイタッチをすると、銀平が
「それじゃあ、おっ始めようじゃねえか! 遊興盃のチンチロリンをよう。ヤンキーの皆さん! 帰国しても、こいつでSAKEを楽しんでくれよう!」
 銀平に顎で指図された誠司が、まずは俺からと賽の目を振った。
 盛り上がる店内の雰囲気の中、平が遠い目をして独りごちた。
「……山田先生。ひょっとするとメグさんの名前は、恵一郎の“恵”に由来してるのかも知れませんね。彼女のお祖父さんからの返礼じゃないでしょうかねぇ」
 それに答えるかのように、メグの振ったサイコロがチンチロリンと鳴った。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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