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Vol.215 シャモ

 卯の花腐しに濡れそぼった神宮の森が、ひときわ新緑に映えていた。そこだけでなく、丸の内の街路樹にも新芽をついばむ野鳥の群れが押し寄せている。
 ポンバル太郎の通りでも、夕刻になるとメジロの鳴き声でかまびすしい。扉の外からもチロチロと響く絶え間ない声に、八百甚の誠司がうんざり顔で冷酒グラスを飲み干した。

「いつまでも、うるせえなぁ。太郎さん、いっそ焼き鳥にして食っちまいやしょう! あれだけの数なら、罠をしかけりゃ、確実に獲れますぜ」
 笊と餌の米粒さえありゃ大丈夫だと冗談抜きで腕まくりをする誠司に、隣で焼き鳥を口へ運ぶ菱田祥一が、串を振りつつ否定した。
「メジロは、獲っちゃいけないの。昔は観賞用の鳥だったけど、今は鳥獣保護法で禁猟になってるよ。それに、食っても美味しくないしね」
「あれぇ……そう言えるってぇことは、菱田さんは獲ったことがあるってわけですかい?」
 図星の菱田がしまったとばかりに唇を噛むと、ほろ酔いの平 仁兵衛が口をはさんだ。純米酒のぬる燗は、お銚子3本目である。
「ツグミは、うまかったですねぇ。輪島にいた頃、よく弟とトリモチで捕まえました。あっ! もちろん、禁猟になる前の昔々のお話ですよ。ところで太郎さん、龍二君が紹介したらしいこの“土佐の喧嘩シャモ”というのは、野鳥じゃないですよねぇ」
 平の赤くほころんだ目尻が、冷蔵ケースの赤身肉を見つめている。

 喧嘩シャモの言葉に、テーブル席でビールを飲んでいた男と女が頭をもたげた。どちらも浅黒い顔で、東南アジア系の人物だと容易に分かる面立ちだった。
 浮かない表情の女性は、手元にある焼き鳥にほとんど口をつけていない。その皿を一瞥しつつ、太郎が答えた。
「喧嘩シャモは土佐で放し飼いされている品種で、昔の闘鶏に使った血統をそのまま受け継いでます。純粋なシャモは大きくなると、体長70cmほどに成長する。普通の鶏の2倍くらいで、血が濃くなればなるほど気性が荒くなり、喧嘩して死んでしまうこともあります。そのリスクを避けるために、最近は鶏と混血したシャモ地鶏が増えている。青森のシャモロック、福島の川俣シャモ、仙台の竹鳥・黒シャモなどがあるが、どれも食用として扱いやすく改良した品種ですよ。それに比べて、純粋血統の土佐の喧嘩シャモは、野生のカモやキジの肉と同様に、血抜きと解体処理が重要で、肉質は硬く、脂も濃厚なんです」
 だから、喧嘩シャモは噛めば噛むほど味が出ると、太郎は肉塊を取り出した。

「それじゃあ、私は塩焼きで頼みましょう」
「俺は、刺身で食ってみてえな!」
 ニンマリとする平に続いて、すかさず誠司も注文した時、二人の間からぬうっと首を出したテーブル席の男が妙なアクセントの日本語を発した。
「それ、私の妹に食べさせて下さい。お願いします」

 譲ってくれとばかりに平と誠司へ両手を合わせる男の目元は、沈んだ表情の女と似ていた。兄妹らしき二人の服装は、エスニックな雰囲気を漂わせている。
「バティックプリントかぁ……懐かしい柄だな。日本語も上手だし、働きにこちらへ来ているんですか? あれ、妹さんは、先に頼んだ焼き鳥を残してるの?」
 海外経験の多い菱田が気さくに声をかけると、兄はコクリと頷いて
「タイランドです。私の名前は、ソップン・パーコンナルです。日本に来て5年目ですけど、妹はまだ半年。ちゃんと話ができません……焼き鳥は、残してごめんなさい」

 妹の名前はナナル・パーコンナルと紹介しながら、もう一度、両手を合わせるソップンを太郎たちはタイらしい敬虔な仏教徒だと察した。だが、ナナルだけでなく、ソップンの表情も曇っているのが気になった。
「その焼き鳥は日本じゃ人気がある比内鶏なんだけど、口に合わねえかい? タイもそうだが、東南アジアじゃ鶏肉をよく食べるはずだ。もちろん、味付けや調味料がちがうのは仕方ねえが」
 太郎の問いかけにソップンが口ごもると、二人を観察していた菱田が流暢なタガログ語で気遣うように話しかけた。東南アジアに出向くことの多い菱田ならではの語学力だが、途端にナナルの表情は険しくなり、黒い瞳から大粒の涙がこぼれた。

 平と太郎が顔を見合わせると、いつもなら動揺するはずの誠司が菱田をとがめた。
「あ~あ、菱田さん、泣かしちゃった。たぶん、妹さんはホームシックなんだろうから、国の言葉で優しい声をかけりゃ、そうなっちまいやす。とにかく太郎さん。シャモを焼いてあげちゃ、どうですかい」
 ナナルの心境を見抜いた誠司の両手を、ソップンが嬉しそうに握りしめた。
 またもや図星の誠司に
「おめえ、今夜はやけに神ってるじゃねえか。雪でも降らなきゃいいけどよ」
と太郎がシャモ肉を竈に入れながらイジれば、重苦しいムードは和らいだ。

 竈から立ち上る煙の匂いにソップンとナナルが鼻先を動かすのを見つめながら、誠司が独りごちた。
「俺ぁ、八百甚へ入ってすぐに、タイの果物市場へ研修旅行に一人で行かされやした。そん時ゃ、不安でホテルで寝付けねえし、エスニックな食事もノドを通りにくくって……ようやく江戸前の醤油を使うバンコクの日本料理店で刺身を食ったら、自分が情けなくって涙が出やした。ナナルさんも、そんな気持ちなんじゃねえですか」
 隣の平が孫息子へ寄り添うかのように、誠司へ燗冷ましの純米酒を差し出した。シャモの香ばしい匂いに記憶をたどる菱田が、相槌を打ちながら口を開いた。
「俺も若い頃、タイに駐在したことがあってね。バンコクじゃ闘鶏が盛んで、シャモの名前はタイの旧国名の“シャム”に由来しているんだよ。だから国民は、シャモを好んで食べる。つまり闘鶏の硬い肉を、いろんな料理や香辛料で柔らかくしたり、風味を良くして食べるわけだ」

 店内の客席から感心する声が洩れると、ソップンも菱田の隣に座り
「そうです! そうです! シャモは、シャムね!」
と背中を叩いて喜んだ。そしてナナルに菱田の言葉を通訳すると、妹とそっくりな黒くて丸い瞳を輝かせた。
「なんでぇ、菱田さん! それを先に言ってくんなきゃ、困りますよう。ようし! 太郎さん、シャモが焼け上がる前に、ちょっくら駅前のスーパーまでひとっ走りしやす」
 言うが早いか、誠司は扉を開け放って飛び出した。

「え? どういうことだよ」
 眉をしかめて訊く菱田に、太郎が目顔でナナルを指した。醤油入れの匂いをかいで小首をかしげるナナルに、菱田は合点がいったとばかりに指を鳴らした。
「魚醤か!」
「それと、コリアンダーもだろうな」
 ポンバル太郎には置いてないタイの調味料をナナルが欲しがっていると、誠司は自身の体験から察していた。今夜は神ってる誠司の証しである。
 ようやく笑顔の戻ったナナルを見つめる平がうまそうに盃を飲み干し、つぶやいた。
「今夜は銀平さんがいなくても、誠司君が江戸っ子の情けを見せてくれましたねぇ」
 竈の中で焼き上がるシャモ肉が、魚醤とコリアンダーを待ち侘びるかのようにチリチリと美味しげな音を立てた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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