TOP > ポンバル太郎 > 第226回 土手かぼちゃ

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Vol.226 土手かぼちゃ

 鴇色を帯びた西の空に、高い積乱雲がスカイツリーをあざ笑うように聳えていた。都心の気温は、7時を過ぎても30℃を超えている。うだるような夜に、新橋や中野などの繁華街では焼きトンとホッピーが飛ぶように売れていた。
 居酒屋では熱中症防止にトマトやオクラなど夏野菜を使ったメニューが人気で、野菜を納めるため得意先へ奔走していた八百甚の誠司は、くたびれ果てた腰つきでポンバル太郎へやって来た。
 乱暴に鳴る玄関の木枡に店内の客たちがいっせいに顔を向けると、太郎は包丁を動かす手を止めた。

「おいおい、何てぇ恰好だよ。ギックリ、やっちまったのか?」
 誠司のへっぴり腰を、後から入って来た兄貴分の火野銀平が日焼けした手でさすっている。剃った頭がそっくりな二人に、テーブル席の女性が小さく吹き出した。スパークリング純米吟醸のグラスを口にするショートヘアの若い女性はモデル顔負けの美人で、いつもなら舌打ちを返す銀平や誠司も声が出ない。
「おやおや、ハトに豆鉄砲といった顔ですねぇ。こちらはあすかさんのお友だちで、野菜ソムリエの秋山めぐみさん。誠司君とは、近いお仕事ですねぇ」
 平に紹介された女性は、組んでいた形の良い膝を元に戻し、会釈を返した。

 ぬる燗の純米酒を飲みながらしたり顔の平は、腰くだけで赤面している誠司が彼女に一目惚れしたことを見抜いた。銀平も誠司の表情を覗き込むと
「こいつ、そこんとこは、きっちり元気じゃねえかよ」
と頭を小突いて冷やかした。
 誠司が着ている築地八百甚のTシャツにめぐみがはっと気づいた時、聞き慣れた声がした。
「あ~あ、せっかくのチャンスなのに、今夜の誠司君は神ってなさそうねぇ。めぐみさんが育てた夏野菜を食べて、元気出しなさいよ」
 テレビのBS番組で目にするジャーナリストの高野あすかの登場に客席が沸くと、めぐみは右手を振った。左手は、足元に置いてあった紙袋を持ち上げている。いびつな形の袋には、野菜の輪郭が浮き上がっていた。

「ほう、それは自家製の野菜でしょうか? できれば、私もご相伴に与りたいですねぇ。めぐみさんのおススメは何ですか?」
 自らも無農薬の菜園を手がけている平だけに、手作りの野菜には目がない。近頃は、お裾分けした太郎からも美味しいと評され、まんざらでもなさげに野菜の煮物と燗酒を楽しんでいる。
 めぐみは、平の口ぶりに野菜好きを察したらしく、袋からナスやキュウリ、アスパラなどの夏野菜を取り出しながら
「私は、できるだけ水分を多く含むように育てます。女性の体を意識して、みずみずしい野菜作りを心がけているんです。どれも、夏の爽やかな風味の日本酒と合いますよ」
とカウンターへ丁寧に並べた。一つずつを愛しむようなめぐみの手つきに太郎や平が感心すると、あすかは「……めぐみ、変わったね」とわけありげに独りごちた。

 その声に、銀平が不審げな顔で「どういうこった?」とつぶやくのを、誠司の声が消した。
「野菜の形は不揃いでも、色つや、匂いはすこぶるつきだ。特に、かぼちゃが珍しい。ありゃ、土手かぼちゃでさぁ。土手かぼちゃには、俺の大事な思い出が詰まってやす。小っちぇ実に、可愛い黄色の花が咲くんです」
 腰の痛みを忘れたかのように立ち上がった誠司は、小ぶりで皺だらけのかぼちゃに嬉々とした。あすかは耳を疑って、誠司に訊いた。
「ど、土手かぼちゃって、あのドテカボチャのこと? ロクでもない物の例えでしょ。本当に、そんなかぼちゃがあったわけ?」
 酒と食のジャーナリストらしからぬあすかの問いに、誠司が驚くと、ここぞとばかりに銀平が声音を上げた。
「あすかよう! とうとう馬脚を現しやがったなぁ。土手かぼちゃてぇのは、お江戸の頃から隅田川や江戸川の土手で育った野生のカボチャで、水臭くって食っても甘みがねえから、役立たずのドテカボチャっていわれができたんでぇ。俺でも知ってんだからよう、ちょいと勉強不足じゃねえかぁ」
これまでのリベンジに、銀平はしてやったりと胸を張った。

 あすかが、しまったとばかり口を覆った。客席からは、残念そうなため息が洩れた。
「ほう! そうだったのですか。今夜は久しぶりに、銀平さんに軍配が上がりそうですねぇ」
 感心する平に、土手かぼちゃへ手を伸ばす太郎も相槌を打った。
 しかし、表情を曇らせて口を開きかけた誠司を、めぐみの声が止めた。
「銀平さん……そうじゃ、ありません。本当は土手かぼちゃって、江戸の女性にとっては大切な食べ物だった。とりわけ、吉原とかの遊女の命をつなぐカボチャでした」

 美しいめぐみの容姿から思いがけず聞こえた“遊女”の言葉に、店内が静まった。注目を浴びるめぐみはひと息呑み込むと、食文化の講師でもあるあすかのお株を奪うように語った。
 吉原はそもそも今の人形町辺りにあって、遊女が口にできたのは神田青物市場から出る野菜の端っこだった。そして明暦2年(1656)に、徳川幕府は吉原遊郭を浅草に移転させた。それからは隅田川に沿った浅草までの日本堤が、遊女に転げ落ちて行く悲しい道のりとなった。でも、日本堤に育っていた野生のかぼちゃを、廓は遊女たちのおかずにしたり、客をもてなす酒の肴に使った。水気の多い土手かぼちゃは客には好まれなかったが、疲れ切った遊女たちの体を潤すには、またとない栄養源だったと語った。

 めぐみの解説に、耳にした客たちが土手かぼちゃを覗き込むように背伸びをする中、誠司が驚き顔で言った。
「不思議なこともあるもんだなぁ。その話、俺がこの世界へ入った駆け出しの10年前に、深川の八百屋の親父さんに教わったんだよ……残念ながら、今はどこで、どうしてるのか、皆目分からねえんだが」
 すると、誠司のぼやきを打ち消すように、めぐみが即答した。
「知っています。私、その場にいましたもの。あの頃の誠司さん、坊主刈りの頭が初々しかったです」
 唐突なめぐみの言葉に「えっ!」とあすかと銀平が声を重ねると、太郎と平も顔を見合わせた。

 息を呑んでいる誠司に、めぐみはバッグの中から黒革のパスケースを取り出すと、一枚の写真を見せた。薄黄色を帯びている古めかしい写真には“山田忠太郎商店”と染め抜いた半被姿の老爺が笑っていた。
「目尻が、めぐみさんと似ていますねぇ。あなたのお祖父さんでしょうか?」
 目を細める平が訊くと、めぐみはゆっくりと、噛みしめるように頷いた。絶句している誠司に、銀平が目をこすりながら声を高くした。
「お、おい! あの写真、おめえがいつも財布に入れてるのと同じじゃねえか? いってぇ、どういうこったい」

 我に戻った誠司は震える手で尻ポケットの財布を取り出すと、皺の寄った写真をめぐみに差し出した。
「まさか、あんたは山田の親父さんの孫娘だった、あのめぐみちゃんかい? あん時ゃ、まだ小学生だった」
「ええ、6年生でした。誠司兄ちゃん……覚えてますか? 私が、そう呼んでいたの」
 なりゆきを見つめる店内の客たちは、静まっている。誠司が短いため息を吐いて、答えた。
「ああ、忘れやしねぇよ……あんたは、お祖父さんである忠太郎さんが育てていた。ご両親は、事故で亡くなったって聞いてたよ。あの頃、俺は19歳で、忠太郎さんは孫息子みてえに諭してくれやした。だけど、奥さんに先立たれ独居生活だった忠太郎さんが倒れると、八百屋はある日突然、廃業しちまって、あんたも行方知れずになっちまった……だけど、忠太郎さんの声音を、俺ぁ、忘れたことはねえ」

 二枚の写真がカウンターに並ぶと、銀平は両方を見比べながら
「まちがいねぇ、同じだ……こりゃ、奇跡だぜ。やっぱり、おめえは神ってやがる」
と誠司を励ますかのように肩で小突いた。
 あすかは、誠司の言葉に戸惑うめぐみを斟酌するかのように問わず語った。
「めぐみは、3年前までファッションモデルだったの。でも、華やかな反面、仕事はキツい世界だから、体調を壊して仕事も減った。心に悩みを抱えた頃、お祖父さんが夢に現れて、野菜を食べろ、ちゃんとした暮らしに戻れって、叱られたそうなの。その頃よね、日本酒と料理を楽しむ会で私と知り合って、体に良い、酒と野菜料理について意気投合したのは」
 あすかの気遣いに、めぐみはひと息呑み込んで、恥じらうように答えた。
「中学に入ってから祖父が亡くなり、私は親戚の秋山家の養女になりました。誠司さんには、逢えずじまいだった。高校を卒業する頃、将来の夢なんてなくって、モデルで食べていこうと飛び込んでみたものの、所詮、下町の八百屋の娘には華がなかった。だから、あすかさんのような食のジャーナリストを目指して、野菜ソムリエを始めたの……祖父の供養にもなると思って」

 空になっているめぐみのグラスに、太郎がスパークリング純米吟醸を注いだ。弾ける泡の音が、小さくなるめぐみの声を包んだ。
 常連客だけでなく、客席全体が固唾を呑むように誠司の言葉を待っていた。シビレが切れて声を発しそうな銀平の頬を、あすかはツネっている。
 太郎が、手にする土手かぼちゃをカウンターに転がした。いびつな動きをした土手かぼちゃは、めぐみの前に止まった。
「めぐみさん、喋りすぎて喉が渇いただろ? いや、心の中も渇いちゃねえかい? ……水気のある土手かぼちゃ料理でも食いながら、忠太郎さんを思い出してみちゃ、どうでぇ。つまらねえ思い出は、忘れちまってよ」
 サックりと土手かぼちゃに入る太郎の包丁の音に、客席の緊張がほぐれた。

 誠司の前に、あすかが冷酒グラスを置きながら囁いた。
「土手かぼちゃがつないだ、江戸のやっちゃばっ子の縁に乾杯ね」
 それを聞いた銀平が聞こえよがしに
「この野郎! 憎いじゃねぇか。こんな美人と再会なんてよう!」
と誠司をまた冷やかした。銀平らしい気配りに、平が盃を口にしながら嬉しげに言った。
「誠司君に、幸せの黄色いかぼちゃの花が咲きそうですねぇ」
 土手かぼちゃの皮を剥く太郎が、誠司とめぐみを盛り上げるあすかと銀平を目にして独りごちた。
「あいつらの恋の花は、いつ咲くんですかねぇ」
 ぬる燗の純米酒を飲み干した平が、胸の中でつぶやいた。
……おやおや……それは、太郎さんが先でしょう……

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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