TOP > ポンバル太郎 > 第230回 岬(はな)サバ

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Vol.230 岬(はな)サバ

 日頃はエレガントでセレブな大人の街・赤坂が、にわかに活気づいていた。
 赤坂サカスや東京ミッドタウンは、ブランドファッションに身を包んだ人たちではなく、粋でいなせな法被姿の老若男女に占拠されていた。神輿行列が全長700メートル、氏子は総勢3000人を超える「赤坂氷川神社」の例大祭である。
 その担ぎ手を初めて体験したジャーナリストのジョージは、ようやくたどりついたポンバル太郎で渇き切った体へ蔵元の仕込み水を注ぎ込んでいる。4合瓶の水を、ものの15秒ほどで飲み干した。

「プハ~! 最高に美味しい! やはり白神山地の軟水は秋田の地酒を醸すだけあって、とてもなめらかです。体に優しい、雪解けの天然水ですね」
 いっぱしな口をきくジョージにテーブル席の男性客が「へぇ~、大したもんだ」と舌を巻けば、カウンターに座る平 仁兵衛も
「そろそろ、日本酒マイスターの資格を取れそうですね。合格したら、皆さんでお祝いしますよ」
と、ぬる燗の盃をなめながら目を細めた。

 平の隣で冷酒グラスを傾ける手越マリが、魚の並ぶ冷蔵ケースを目で指しながらジョージに言った。
「後は酒の肴のことを勉強したら、鬼に金棒たい。アメリカへ帰っても、充分、日本酒のビジネスで食っていけるばい。ねえ、太郎しゃん」
 マリに同意を求められた太郎だが、肌の金色がかった魚を出刃包丁でさばきながら首を横に振った。
「そう簡単にゃ、いかねえよ。まあ、魚は銀平に弟子入りすりゃ、たいていのことは教えてくれるが、裏ワザを考え出すには知恵がいる。例えば、この脂ののった秋サバは、秋上がりして熟した冷やおろしとは抜群の相性だ。大分県産の関サバだとブランド魚だけにすこぶるつきに値は張るんだが、こいつは、それに負けねぇぐらいうめえサバなのに、お手頃価格。そこには、銀平なりの知恵があるんだ」

 自慢げに太郎が切ったサバの刺身は、ぎらつく脂を分厚い赤身に浮かべている。先週もそのサバを味わった平は
「今まで食べてきたサバは、何なのでしょうか。これは、本マグロにも匹敵しますねぇ」
と驚愕した。それだけに、今夜初めて口にするマリやジョージの反応を楽しみにしているようだった。

 太郎が用意した甘口のたまり醤油にマリが刺身の端っこを漬けると、一瞬にして脂の波紋が広がった。
「おったまげた~! こぎゃん、脂があるとね」
「オウ! この脂の多い身と甘い醤油が口の中で一緒になれば、とても濃厚な味ですね。だから、濃醇な冷やおろしと合うわけでしょ。では、私もいただきます!」
 同時に口へ入れた二人の声が、パタリと止まった。平の横顔がほくそ笑むと、テーブル席の男たちは物欲しげに秋サバを覗き込んだ。

「関サバじゃ、ねえんだろ? いったい、どんな凄いサバなんだ? しかも、あの値段だもんな。俺たちだって、手が出せるぜ」
 男の一人が、今日のおすすめメニューにある“秋サバの刺身 ¥1,200”を見つめて、唾を呑み込んだ時、彼らへ答えるかのように玄関の鳴子が響いた。
「関サバの似非じゃねえが、れっきとした豊後水道の真サバだよ。そいつは、大分県の対岸にある愛媛県佐田岬の近海で獲れる岬(はな)サバだ。そして、岬サバを一本釣りしてるのが、こちらの村上次郎丸さんだ」

 声高な火野銀平が連れているのは、短く刈った頭に赤銅色の顔が濃い、見るからに海の男である。村上は地元漁協が取引を始めたばかりの火野屋の誘いで、築地市場の見学に訪れていた。
 太郎は二人の来店を知っていたのか
「お待ちしてました。この岬サバ、味もさることながら、値段に感激しましたよ」
とカウンターの隅に冷やおろしの四合瓶と冷酒グラスを用意した。

 恐縮する恰幅の良い村上にマリが見惚れていると、平が脇から問いかけた。
「ひょっとして、村上さんのお名前は、昔の海賊の末裔ってことでしょうか?」
「お察しの通りです。うちは代々、漁師ですが、先祖は村上水軍です。まあ、地元の漁師はみんなそう言いますがね」
 海賊の言葉に店内の客たちがいっせいに振り向くと、一人だけ意味不明な顔つきのジョージに、平はパイレーツがルーツなのだと教えた。
「オウ! パイレーツだから、岬サバをドッサリ獲るのが上手なのですね。だから、関サバよりも、安くできるのでしょ」

 知ったかぶりするジョージは、関サバは希少品で、岬サバは量販品と見ていた。
 途端に、銀平の怒り声が飛んだ。
「冗談じゃねえぞ! 岬サバはよう、関サバと同じ海で、同じ一本釣りで獲ってるんでぇ。ブランド品の関サバは豊予海峡で獲れて、大分市の佐賀関で水揚げされるサバなんだ。豊予海峡は一年間、水温の変化が少ない。それに、潮の流れが速い。だから、普通のサバに比べて体がでっけえし、身もよく締まるんでぇ。単に、関と岬の名前がちがうだけで、値段が変わるてぇわけだ。俺はよう、うまくってリーズナブルな岬サバをもっと広げてぇんだよ」
 熱を帯びた銀平の滑舌に、ジョージだけでなく、店内の誰もが気圧された。

 マリが銀平の前に仕込み水を置いて
「ちょっと、頭ば冷やしんしゃい」
とたしなめた。しらふのままでも鼻息が荒い今夜の銀平は、かなり岬サバへ入れ込んでいるようである。
「まあまあ、銀平さん。確かに関サバに比べれば、岬サバは知られてませんから仕方がないですよ。じゃあ、せっかくですから、私から岬サバを紹介させてもらいましょう」

 ようやくカウンター席に腰を落ち着けた村上は、咳払いをひとつして、訥々と話し始めた。 太い腕っぷしと拳からは、潮の匂いがしそうだった。
 岬サバの魅力は、まず豊かな漁場で育つ“瀬つき”の魚であること。豊予海峡は速吸(はやすい)の瀬戸と呼ばれ、瀬戸内と太平洋の潮流が入り交じり、流れが速い。だから、プランクトンが多く、魚はよく太る。そして岬サバは金色の体が特徴で、そうなるのはエサを求めて回遊するサバとちがい、瀬に住み着くからである。これを一本釣りすれば、傷がつかずに鮮度もいい。さらには、新鮮なまま即座に空輸するので、青魚特有の足の速さも問題にならないと、村上は太郎がさばいた岬サバの刺身の皿を手にしながら解説した。

 テーブル席だけでなく、聞き耳を立てる客たちから「太郎さん。それ、頼んでもいいすか?」と手が挙がった。
「おいおい、そんなに注文されても、これ一尾じゃ足りねえよ……ええい、仕方ねえ。今夜は村上さんに免じて、三切れずつだが、全員に無料試食サービスだ!」
 大盤振る舞いに切り替えた太っ腹の太郎に、店内から拍手と指笛が鳴った。

 銀平が厨房に入って岬サバをさばくのを手伝うと、マリは客席に刺身の皿を配った。そのようすに目尻をほころばす村上へ、平は日本酒の冷蔵ケースを眺めながら問いかけた。
「ところで、岬サバには、どんなお酒がオススメですか?」
 50種類を超える銘酒の瓶に、村上は苦笑いしながら答えた。 
「私は、酒のことはよく分かりません。でも、昔から佐多岬の漁師は、しっかりとした甘口のコクがある地酒を飲んできました。サバもアジも、ブリも、脂ののった魚によく合います……地元には、こんな言葉があるんです。『じじいの術で、佐田岬の宝物を孫子の代まで』。つまり、漁師町の伝統を絶やすことなく、後世につないでいく。それに『秋サバは嫁に食わせるな』という諺がありますけど、あれは産卵後のサバが痩せて栄養がないからですが、岬サバはいつでも脂と栄養がたっぷりですから、『岬サバは、嫁に食わせろ』って言うんですよ。岬サバも地酒も、私たちの宝物です。これからも、ぜひ、岬サバを召し上がって下さい」
 客席に向かって頭を下げる村上の人となりに、平が深く頷いた。
 脂ののった岬サバと愛媛の地酒に、店内から絶賛とため息が聞こえた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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