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Vol.235 おでん

 神宮外苑や明治通りを吹き抜ける木枯らし一番が、色づいた銀杏の葉を梢から奪っていた。一気に冷え込んだ夕刻、男性と同伴して銀座へ向かうホステスたちには、毛皮のコートにマフラー姿も見受けられる。
 その光景を羨ましげに見送るビジネスマンたちが、寒さに肩をすくめながら新橋界隈へ消えていく。盛り場の角打ちや焼きトンの店は、熱燗を注文する客で賑わうにちがいない。

 ポンバル太郎にも燗酒の注文が増え始めた今週、湯気の立ち昇るおでん鍋が仕立てられた。濃い色をした辛口のダシの匂いは、玄関を開けた途端、客たちの鼻腔をくすぐった。
「今年も、やっと始まりましたねぇ。太郎さん、ちくわ麩とツミレをお願いしますよ」
 カウンター席に座るなり注文する平 仁兵衛は、おでんに目がない。旅先では、必ず、ご当地おでんと地酒を楽しむほどで、ウンチクめいた口ぶりは、おでん奉行と言っても過言ではない。

「また、平先生のおでん講釈を聞かされる季節がやって来たぜぇ。だから、今夜はちょいと、おでんにうるさい人を連れて来やした」
 扉に吊るした木枡を躍らせる火野銀平が連れた小太りの男は、いきなり、あぐら鼻をひくつかせた。銀平がひやおろしを二合注文するのも男は気にかけず
「このダシ、銚子のイゲタ醤油に紀州産の本枯れ節を使ってますね。典型的な、千葉の家庭おでんの匂いだ」
と自信ありげに言い切った。
 確かに、太郎は千葉県の出身である。図星だとばかり目を丸める太郎に、銀平がドヤ顔を見せると、平も「こりゃ、好敵手ですねぇ」と手招きして男を隣の席へ誘った。

 色褪せたジーパンに、くたびれた革ジャン姿。ガニ又歩きで髪型は五分刈りと、いかにもノンべ親父のなりをした男に、テーブル席の中年族が「どこか、見覚えがあるな……」と洩らした。その声に銀平が口を開きかけた時、後を追うようにやって来た右近龍二が
「あっ! ユーチューブの“ニッポンおでん紀行”を作ってる、深川いっこうさんじゃないですか?」
と声を上げて、立ち止まった。
 男を誰何していたテーブル席の客たちは「あの、おでん評論家だ!」とスマホで検索し、名前を耳にした店内の客たちも深川を覗き込んでいる。

「そういや、聞いたことがあるよ。深川いっこうさんって、ユーチューバーだろ。剣がスマホでチェックして、おでんダネの勉強をしてたぜ。全国のおでん屋さんを訪ね歩きながら、地酒とおでんの紹介を動画でやってるらしいね」
 太郎の声に平が小首を傾げながら
「ユーチューバーは、私には分かりませんが……まずは、お近づきに一献」
と盃を手渡した。
 しかし、深川はおでん鍋を食い入るように見つめ、微動だにしない。視線は、太郎特製のツミレに止まっていた。

 呆れ顔の龍二に太郎は首をすくめると
「いっこうさんのおでん魂に、火がついちまったか」
と苦笑いする銀平へ、ひやおろしの純米酒を注ぎながら訊いた。
「ところで、おめえはどうして、深川さんと知り合ったんでぇ。ユーチューバーなんて、まったく畑違いじゃねえかよ」
「馴染みになったのは、火野屋のイワシで手作りするツミレがうめえ両国のおでん屋なんでぇ。いっこうさんは、おでんの中でも、とりわけ練り物が好みでよ。ツミレの材料にするうちのイワシの良さを褒めてくれて、俺ぁ、意気投合しちまったわけだ」
 上機嫌で肩を叩いてくる銀平に、ようやく深川は我に戻って「あ、ああ」と生返事をしながら、カウンターの向こうの太郎へ何かを訊ねようとした。

 ところが、先に口を開いたのは太郎だった。その表情が真顔になっていた。
「両国のおでん屋って、ひょっとして、老舗のがんも亭さんかい? 深川さんが言い当てたうちのダシや、イワシのツミレも、あそこの女将さん譲りなんだよ。てぇか、ハル子にとっちゃ、おふくろの味そのものだった」
 つまりは、がんも亭の常連客だった亡きハル子が女将に教わったおでんで、あそこに、今は火野屋がイワシを納めているのかと太郎は驚いた。
「や、やっぱりそうですか。ツミレの練り方や形も、そっくりだもんな……がんも亭のおでんは、俺にとってもおふくろの味なんです。片親だったガキの頃、がんも亭のおでんをおふくろは仕事帰りにしょっちゅう買ってた。うちは親父がいない母子家庭ってのを、がんも亭の女将さんは気遣ってくれて、いつもおまけは、俺たち子どもの体のためにって、ツミレだったんです」

 しんみりした思い出話に、平が神棚のハル子の遺影を見上げながら言った。
「御縁ですかねぇ。きっとハル子さんが銀平さんを使って、深川さんをポンバル太郎へ呼ばれたのでしょう。その大根も美味しいですよ。朝掘りの練馬大根ですから」
 毎年、ダシの染みた分厚い大根は一番人気なのだと、平は深川に勧めた。
 相槌を打つ銀平は、その練馬大根を納めている八百甚の誠司は弟分で、もうすぐ現れるはずだと、深川の顔の前にひやおろしのグラスをかざした。
 銀平は乾杯をするつもりだったが、深川は目を見開いて
「八百甚の誠司……もしや、青砥誠司ですか?」
と息を呑み込んだ。まだ飲んでいないのに、深川の顔は紅潮した。

「そ、そうだよ。あれぇ、深川さん、誠司の知り合いかよ? こりゃ、またビックリだねぇ」
「い、いや、知り合いってか……いささか、訳ありの間柄でね。こう見えても、彼とは同級生の25歳なんですよ。俺はがんもどきみたいな不細工なツラしてますから、フケて見られちゃいますが」
 実際、テーブル席の客や龍二も、ユーチューブの動画から深川は40代前半と思っていただけに、信じられないといった表情を浮かべた。
「奴の後輩で、築地の八百甚で働いてる深川五郎てのが俺の弟なんです。3年前にプイッと家を飛び出ちまって、近所に住んでいた誠司を頼って、八百甚に雇われました……俺が、おでんのユーチューバーを始めたことがきっかけでした。みっともないことはやめろって、毎日、喧嘩でね。でも、何をやっても風采の上がらなかった自分が、初めて他人から認められたのが“ニッポンおでん紀行”だったんです」
 打ち明ける深川に、聞き耳を立てる客席がざわめいた。

 深川の弟の五郎は、初めてポンバル太郎へ来た日の誠司が、万願寺唐辛子をめぐる諍いの際に連れていた若者だった。記憶を呼び起こしている平たちの横で、銀平が
「あの生意気な、若ぇ奴か……たまに築地で見かけるが、見どころあるぜ。頑張ってるよ」
と持ち上げた。うつむきかげんな深川が、五郎との傷を心に残していると察したからだった。
 煮立ってきたおでん鍋の音を、カウンター周りの緊張感が引き立てた時、鳴子が小さく響いて、聞き覚えのある声がした。
「もう五郎は、いっこうを認めてるよ。ここ2年ほど、あいつも野菜の仕入れや交渉事で全国に出張してっから、各地でお前の紹介しているおでんを食ってんだよ……ただ、くだらねえ意地を張って、素直に謝れねえんだ。でも、おめえがいるたぁ、驚いたよ……おう、五郎! 入んな!」

 久しぶりに誠司がポンバル太郎へ誘った五郎が、後ろに立っていた。偶然の重なりに、誰も声が出なかった。渋る五郎の背中を押す誠司は、そのまま話し続けた。
「こいつ、さっき店の前に着いたら、イゲタ醤油と本枯れ節を使ったおでんの匂いがするってんだ。どんだけ鼻が利くんだって思った瞬間、いっこうのユーチューブを思い出しちまったぜ。やっぱ、おめえたちゃ兄弟なんだよ。おでん好きの血は、争えねえよなぁ」
 いつにない誠司のタメ口に平が目を丸くすると、隣の深川が振り返りながら立ち上がり、深く頭を下げた。人気のユーチューバーらしからぬ律儀な姿勢に、客たちが目をしばたたいた。
「弟が世話になって、すまない……五郎、久しぶりだな。元気か」
 はにかみながら、言葉少ない深川の目尻が光っていた。もう一度、誠司が五郎の背中を押すと、銀平がカウンターの席を空けた。

 深川の隣にゆっくりと腰を下ろした五郎は、ひと息吐いてグラスに残っているひやおろしを飲み干し、言った。
「……その練馬大根のおでん、うまいよ。俺が仕入れてっからな。今度、兄貴がユーチューブで紹介してる都内のおでん店にも営業していいかな。兄貴の名前を借りてさ」
 それは3年ぶりの兄への詫びだと、誰もが感じ取った。ウンウンと頷く銀平と誠司は、頬を赤くした。
 ハル子からつながるおでんの縁に、太郎も目頭を熱くして声を上げた。
「よし! そうとなりゃ、今夜はおでん初日だけに、無料サービスだ! 皆さん、じゃんじゃん食べてくだせえよ。ただし、その分、日本酒の注文をたっぷり頼みますぜぇ!」
 歓声を上げる客席から、「おでん、大好き! いっこう、頑張れ!」が巻き起こった。
 賑わいを目にする平が、神棚に盃を捧げながらつぶやいた。
「ハル子さん、あなたのおでんが、兄弟を再会させましたよ」
 それに答えるかのように、おでん鍋がコトコトと煮立っていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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