TOP > ポンバル太郎 > 第24回 落ち鮎

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Vol.24 落ち鮎

 パチパチッとはぜた備長炭が、竈(かまど)の口から赤い焔を舞い上げた。いこった炭を渋団扇であおいで新しい竈の焼き入れを手伝う右近龍二の額は、汗でじっとり濡れている。
レンガ積みの小さな竈は、太郎が閉店後に夜なべして三週間で作り上げたお手製である。
「与和瀬、ようやく念願の竈を手に入れたな」
カウンター席に座る菱田祥一が換気扇の中へ消えていく火の粉を目で追いながらつぶやいて、嬉しげに大吟醸のグラスを傾けた。テーブル席の客たちも、炭火の音と香りに興味津々の面持ちだった。
「竈は、ハル子さんの夢でしたねぇ。電熱式では燻した旨さが出ないから、山廃や生もとの酒に合う焼き魚ができないって、悔しがってましたなぁ」

 菱田の隣に座る平 仁兵衛は、レンガの肌に炭の燻煙が染みていくのを見つめながら、ハル子のお気に入りだった山廃純米酒のぬる燗を盃に注いでいる。

 突然、玄関の枡の鳴子が音を立て、「待たせて、すまねえ!」と口早な声が響いた。やって来たのは火野銀平と誰もが判った。
「おおっ、やってる! やってる! 龍二、焼きを入れながら竈の神様に商売繁盛、家内安全をお願いしなきゃいけねえぞ。それから、くれぐれも脂の多い食材はまだ焼くんじゃねえ。太郎さん、もう少ししたらゲンかつぎの品物が届くから、それを竈で焼いてくれよ。朝一番に、奥多摩の知り合いに頼んでおいたぜ!」

 すると平が隣に座った銀平に、カウンターへ指先で小さく漢字を書いた。
「竈神への焼き物となれば、奥多摩でこの時期だと、香りが出るのはコレですかな」

 平が目尻のしわをほころばせると、銀平も口端をゆるめて相槌を打った。思わせぶりな二人の会話に、太郎は笑みを浮かべながら竈に炭を足し、龍二はやって来る物をしばらく考えていた。

 備長炭が赫々と燃えてきた時、玄関が開いて宅配便の若者が現れた。銀平は彼の持つダンボール箱を受け取り、慎重な手つきで開けた。すると小さな空気ポンプの付いたビニール袋の中で、丸々と肥えた鮎が赤く染まった腹や尻尾を重たそうに動かしていた。

 テーブル席の客たちも、その魚体にざわめいた。
「あっ! 落ち鮎……そうか、香魚だ!」

 龍二は思わず、指を鳴らした。そして、すぐさま太い竹串を数本用意すると、待っていたとばかりに片目をつむる太郎へ手渡した。
「香魚って、どういうことだよ?」

 菱田の質問に、鮎の頭を手のひらで押さえこみながら串打ちし、どっさり塩を振る太郎が答えた。
「鮎は、川底の岩に生えている藻や水苔を食べる。つまり、草食系なんだよ。だから、その匂いが身に浸み込んで、独特のほろ苦さが生まれるわけだ。落ち鮎は大きく成長することで、その草いきれがさらに引き立つ。脂は増えるけど、串を打って、頭を下にして焼けば、体内の水と脂を一緒に口から吐かせることができるから、草っぽい香りがグンと強まるんだ」

 活きのいい鮎は袋から取り出すやいなや暴れまくり、水しぶきがカウンターの菱田のグラスにまで届きそうだった。

 驚いた菱田に、平が話しかけた。
「多摩川の鮎は徳川家に献上されていたほどで、あなどれませんよ。私が好きな多摩の蔵元はかつて大庄屋で、鮎の献上役も仰せつかっていたんです」

 多摩川の鮎は、八月から十月にかけて地元の村々から千尾あまりも幕府に上納されていた。多摩川の鮎は六月から七月が初物で、九月から十月には落ち鮎になり、味も濃くなる。これが将軍や大奥の食膳を賑やかしたと、目の前で竈に並べられる落ち鮎に舌を鳴らしながら平は解説した。
銀平もその蔵元を知っていると声を上げて、話しをつないだ。
「多摩川は、ここ十年ほど鮎の遡上が回復して、築地にも地鮎として入ってくるようになったよ。まあ、高知の四万十川の鮎や岐阜の長良川の鮎ほどブランド鮎じゃねえけど、なかなかどうして、秋に旨くなる冷やおろしの酒にもイケるぜ!」

 銀平がそう言って、太郎に多摩の地酒を頼もうとした途端、大阪弁が後ろから飛んできた。
「さよか、けど、ちょっと待ってんか! こっちにも、上方からの落ち鮎があるねん! しかも、昔は帝にも献上されとったんや」

 いつの間に来たのか、入り口に作務衣姿の中之島哲男が風呂敷包みを提げて立っていた。

 そして、ふうと汗を拭きつつ、カウンターの上で藍染めの風呂敷を開くと、和紙包みの中に干した鮎が何尾も重ねてあった。

 見慣れない干物とばかりに眉をしかめる菱田とは対照的に、龍二が大きく目を開いた。
「おっ、おおっ! 風干しだ……しかも、この香り! 酒に漬けてから干してある。これって、昔ながらの上方の鮎の干物ですよ」
「そうや、さすがは龍二君やな。琵琶湖の落ち鮎を伏見の酒で洗った、一夜干しや。こいつを炭火で炙ったら、ええ香りが竈に付くし、なおかつ竈の神さんも酒を楽しめるっちゅうわけや」

 麻縄を口からエラに通している手作りの落ち鮎の風干しに、平も目を細めていた。
「うむ、竈始めにふさわしい江戸の落ち鮎と京の落ち鮎がそろいましたな……こりゃ、竈の神様もハルちゃんも大満足ですね」

 平のつぶやきにカウンター席の面々が頷くと、太郎はかしこまって首を縦に振った。

 多摩鮎の塩焼きと琵琶湖鮎の風干しが、竈の中で香ばしい匂いを立て始めた。

 竈から立ち昇る白い煙に、誰かがつぶやいた。
「……もうすぐ、秋がやって来るんだな」

 その声に、客席の全員が笑みを浮かべ、酒盃やグラスを傾けていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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