TOP > ポンバル太郎 > 第244回 鮎の昆布巻き

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Vol.244 鮎の昆布巻き

 関東一円の上空を覆った寒気団が降らす粉雪は、平成29年の仕事納めを終えた人波を追い立てるように、19時の都心で吹雪いていた。
 新幹線は東北や上越方面に大幅な遅れが生じ、東京駅のコンコースは人いきれに蒸している。帰省客でごった返す東海道新幹線は120%の混雑。しかし、依然として発車時刻は乱れたままで、折り返し列車は東京駅に着いた途端、乗客を吐き出すものの、車内清掃もそこそこに出発した。

 半時ほど前にのぞみ号で東京駅に降り立った中之島哲男は、今年最後の営業日を迎えたポンバル太郎へ着くと、ほうっとため息を吐いて松尾大社の御札を飾る神棚に手を合わせた。
 そして、駅のホームで不満たらたらに待っていた若い帰省客たちを思い出し
「ぎょうさん不満をたれる前に、家族揃って無事に故郷へ帰れるよう、神様へお願いするのが先や……まったく世も末やで、ハルちゃん」
と御札の傍に置かれたハル子の遺影に憂い顔でつぶやいた。

 22時を過ぎた店内には、人気がなかった。剣はテーブル席の片付けに入り、太郎が厨房の火を落とそうとしている。
 ただ一人いるカウンター席の火野銀平の寝顔は、忙殺される築地市場の年末にようやく区切りがついたことを伝えていた。
 平や龍二などの常連客たちは故郷へ帰省し、太郎と剣は明日から大晦日までポンバル太郎の大掃除にとりかかる。中之島も、明日の午後に大阪へ戻る予定である。

「中之島の師匠。年の瀬にわざわざ、ありがとうごぜえやす」
 親子が律儀に頭を下げる中之島は、“鮎の昆布巻き”と書かれた紙袋を手に提げている。それは滋賀県に伝わる正月料理で、東京だとデパ地下以外はお目にかかれない。
「かまへんでぇ。剣ちゃんのためなら、エンヤコラや。そやけど、上等な昆布巻きは手に入らんかった。年末やさかい売り切れでなぁ、堪忍してや」
 中之島がわざわざ琵琶湖まで出かけて鮎の昆布巻きを手に入れた理由は、亡きハル子がこの店をオープンした6年前の暮れに、それを取り寄せていたのを剣が思い出したからだ。

「本当、ビックリしたよ。夢枕に立つってか、母ちゃんが俺に『鮎の昆布巻きを、作れるようになりな!』って、おっかない顔で命令するんすよ」
 声変わりを終えた剣の口調は、そのまま、太郎の顔に移し変えることができそうだった。薄ヒゲの顎も父親に似てきたなと、中之島はニンマリしながら、太郎から上燗した純米酒を盃に受けた。
 すると、夢見心地だった銀平が薄目を開けて、思い出したかのように吐露した。
「剣になんざ、百年早えよ。あの頃は太郎さんだって、まだ半分サラリーマンだったから知らねえだろうが、ハルちゃんは、その料理に半年も悩んだんでぇ。だけど、やっぱり私が求めてる鮎の昆布巻きはできねえって俺にこぼして、あきらめたんだよ」

 ハル子は琵琶湖の天然鮎の仕入れを銀平へ頼み、葵屋の伝兵衛に最高級の利尻昆布を注文したが、肝心な調理のコツや隠し味はネットで検索するのを嫌い、我流で東京風の辛口の味付けにアレンジした。しかし、ハル子の昆布巻きは煮くずれしやすく、親しい琵琶湖漁師へ本場のレシピを訊ねてやろうかと銀平が助言しても、意地を張って断ったと語った。
「ふ~む。ハルちゃんらしいわ。どんなうまい料理もいっぺん真似してみて、ポンバル太郎流に変えてみるっちゅう主義やったからなぁ」
 中之島は、神棚のハル子の遺影に盃をかざして飲み干した。
 無言で相槌を打つ銀平の瞳は、いつになく赤く、目頭は潤んでいた。もし、ほかの客たちがこの場にいれば、そんな感傷は見せないだろうと、太郎は銀平の披瀝が嬉しかった。

「俺、覚えてるよ、父ちゃん……正月のお節料理に入ってたグダグダになった昆布と魚の身に、このマズそうな料理、何なの? ってケチつけたことがあるよ。あん時の母ちゃん、悔しそうな顔して、全部、自分で食べちゃったんだ」
 剣の記憶は、太郎に、在りし日のハル子の負けず嫌いな顔を髣髴とさせた。舌に記憶しているピリピリした食感が蘇った。
「あの料理、俺もひと口食べたよ。すり潰した山椒の風味と辛さが、キツかった。今にして思えば、あの山椒が煮くずれをさせた原因だろうな。刺激がありすぎて、昆布や鮎の身を柔らかくしちまったんだろ」
 当時は、そんな見解など微塵もなかった太郎だが、今の見立ては、食の匠である中之島を頷かせるほど的を射ている。
「そうやな。おそらく、ハルちゃんは江戸っ子向きの鮎の昆布巻きにしたかったんやろ。上手くいったら、ポンバル太郎の年賀の付き出しに使うつもりやったんちゃうかな……二人とも、わしの持って来た本来の鮎の昆布巻きを食うてみよや。ハルちゃんが、山椒を入れようとした気持ちが、分かるかも知れんで」

 静かな店内に、昆布巻きの包みを開ける音が響いた。剣の空腹の虫がグルルルと鳴くと、
「こいつは、炊き立てのアツアツご飯にも合うでぇ」
と中之島がしたり顔を見せた。
 太郎が飯をよそうと、新米のいい匂いに誘われた銀平は
「俺も、食いてえ!」
とグラスの仕込み水を一気飲みして、酔いをさませた。その間に、中之島は剣に昆布巻きのいわれを教えていた。

 琵琶湖は、鮎、モロコ、鰻、鯉、フナなど、川魚の宝庫で、とりわけ珍味のフナ寿司が有名だが、滋賀県の人たちは鮎を好む。小鮎は甘露煮や天麩羅、大物は塩焼きや味噌田楽にもなる。それほど、琵琶湖の鮎は大衆魚なのである。
 それを正月やおめでたい席へ供するために、かつて地元じゃ手に入りにくかった北海道産の昆布で巻く上品なしつらいを工夫した。利尻産や羅臼産の高級昆布は、日本海の松前船で舞鶴へ運ばれたが、陸揚げされると京都に直行するので、滋賀には入りにくかったのだと、中之島は鮎を巻いている分厚い昆布を箸でつまんだ。
 口の中に湧いた唾を剣が呑み込んだ時、玄関の鳴子が小さく響いた。

「遅くに、申し訳ありません。食品の御届け物です」
 年末ギリギリまで走り回る宅配業者の若者は、疲労困憊した足取りだった。汗を吸った制服から湯気を立てる若者に「寒い中、ごくろうさま」と太郎がほうじ茶を出すと、剣の受け取った紙包みを銀平は覗き込んだ。
「歳暮の時期はとっくに過ぎてるのに、いってえ何だよ?」
 あわただしく茶を啜って去る若者に、それは聞こえなかった。配達票へ瞳を凝らす剣が、不審げにつぶやいた。
「……荷主は琵琶屋本店って、書いてる。内容は、鮎の山椒昆布巻きだって?」
「何やて! 琵琶屋は、滋賀県の老舗や。鮎の昆布巻きで知られる名店やで」
 驚き顔の中之島の隣で、目を皿にする銀平が素っ頓狂な声を上げた。
「送り先は、与和瀬ハル子って、なってんじゃねえかよ! ま、まさか、ハルちゃんの幽霊が注文したってえのかよ?」
 幽霊や怪談は銀平の弱点だが、こればかりは剣も顔を青くしている。中之島は、そんなことより鮎の山椒昆布巻きに興味深々で、剣に包みを早く開けるようせかした。

 鮎の水墨画を描いた和紙に包まれた木箱を開くと、真空パックされた3尾の鮎の山椒昆布巻きに、ハル子宛ての封書が添えられていた。差出人は「琵琶屋十二代目当主 近江 市之助」で、偶然にも、中之島が本命として鮎の昆布巻きを手に入れたかった老舗である。
 声を失くしている太郎に、剣が手紙を渡した。銀平と中之島の真顔は、開いた便箋を見つめたままの太郎に読んでくれとねだっている。
 外で降る雪に熱を奪われた厨房道具がガチャッと音を立て、太郎に口を開かせた。
「ハル子が亡くなったことを知らずに、これを送って来た理由が分かったよ。6年前に自分がしくじった山椒入りの鮎の昆布巻きを、琵琶屋さんに作ってみちゃどうかと提案してたそうだ。ポンバル太郎の店名は出さず、自分の名前とここの住所、それに携帯電話の番号だけを琵琶屋さんに伝えていた。電話はもう、つながらねえのに、律儀な社長さんだ……あいつ、東京の下町の居酒屋が提案したところで、聞く耳なんて持つわけねえと考えて、鮎の昆布巻きが好きな消費者として手紙を書いたんだろ。まったく、こうと思い込んだら、一歩も引かねえ質だからよ」
 呆れながらも鼻先を赤くする太郎が、剣に便箋を渡した。

 銀平と中之島に挟まれて読み上げる剣の声は、琵琶屋からハル子への謝意に震えていた。
「……5年かけて完成した新商品です。与和瀬ハル子さんにご意見とご提案を頂いて、正直なところ、最初は眉唾なお話と疑いましたが、確かに、江戸っ子が求めた辛口の味と昆布の風味に山椒はふさわしく、この商品はキレの良い酒にも合います。滋賀県にも、辛口で濃厚な美酒がたくさんございますから、ぜひ、“鮎の山椒昆布巻き”を合わせて、お試しくださいませ……母ちゃん、すげえや!」
 便箋を胸に抱く剣の前に、太郎は真空パックから取り出した鮎の山椒昆布巻きを置いた。巻いた昆布からこぼれ出る山椒の実に、中之島が感心した。

「これが、秘訣や! すり潰した山椒やのうて、実のまま昆布で包んでしまえば、煮くずれはせえへん。しかも、昆布巻きを噛んだ時に、山椒の実の風味が口いっぱいに広がって、甘めの醤油だしと、よう合うわ。わしが持って来た普通の昆布巻きと食べ比べたら、味のちがいは、よう分かる」
 新米の茶碗を目の前にした銀平は、もう我慢しきれないと、大ぶりの鮎の昆布巻きを口に咥えた。中之島が山椒昆布巻きを箸でつまむと、涙目の剣が冷蔵ケースから、滋賀県の辛口純米酒を取り出した。
 鮎の昆布巻きの香りと風味を口にした太郎は、スマホを取り出し、琵琶屋の電話番号を押した。
 呼び出し音に続いたのは、本年の営業終了を告げるメッセージと、留守録の案内だった。
「もしもし、私、与和瀬ハル子の夫で太郎と申します……ありがとうございます」
 太郎の感極まった声と合わせるかのように、しんしんと降る雪がポンバル太郎の灯りをやさしく包んでいた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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