TOP > ポンバル太郎 > 第4回 缶つまの女

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Vol.4 缶つまの女

トントンと不規則に続く音に、ポンバル太郎の客たちがしかめっ面をカウンター席に向けた。癇にさわるような連続音だった。

 その視線の先で、火野銀平がカウンターの杉板を貧乏ゆすりしながら指先で小突いていた。
「銀平、いいかげんにしろ。うっとおしいんだよ。この缶詰が食いてえんなら、自分で同じ物を買ってきな」

 真剣な手つきで鮭の筋子を潰さないようにバラしている太郎も、その音に気が散った。

 ふと見ると、カウンターの端に座っていた中年の男が冷酒グラスを持つ手を止めて、銀平の前にある籐かごを無言で見つめていた。かごには缶詰のほかに、キーホルダーやハンカチなどポンバル太郎へ来た客の忘れ物が入れてあって、目立つようにカウンターの真ん中に置かれていた。
「だってよ、あんなにうまいって言われちゃあ、気になってしかたねえよ」

 かごの中の丸い缶詰へ、銀平が憎らしげに声を投げた。一見、何の変哲もない缶だが、それを包むパッケージには“マテ茶鳥のオリーブオイル漬け”と表示され、中身の写真もありきたりな缶詰とは一線を画していた。

 一風変わった缶詰を目ざとく見つけたテーブル客の一人は
「あっ、“缶つま”だ! これ、うまいんだよねぇ」

 と缶つまシリーズの“牛肉のパイン煮”を先日食べて、思いのほか美味しかったと感想を述べていた。ちなみに、缶つまは「そのままおつまみになる缶詰」の意味らしい。
「やっぱり、この店だったか」

 ふいに、端っこの男が口を開いた。黒いスーツに細長く切り揃えた鼻髭が、業界人っぽい顔を印象づけた。
「ひょっとして、この缶つまって、おたくの忘れ物?」

 しめたとばかりに、銀平が男に馴れ馴れしげにおもねった。だが、太郎は怪訝な顔つきで男の風体を探っている。
「お客さん、あの女性のお知り合いですか?」
と太郎が訊ねるよりも、男からの質問が先だった。
「マスター、最近一人でやって来た40歳がらみの女性に、関サバの刺身を出した?」

 確かに、先週の水曜日に太郎はカウンターへ座った妙齢の女性客に、火野屋から朝一番で仕入れた上物の関サバをすすめた。その女が缶つまを忘れた客だけに、面差しもはっきりと憶えている。
「ええ……うちの日本酒のこだわりを訊かれて、お料理も気に入って頂けたようです。品の良い、女将さんって感じの方でした。その人が、どうかしましたか?」

 太郎の返事に男がすっくと立ち上がり、内ポケットに手を差し込みながらカウンターの真ん中に歩み寄った。思いのほか背丈は高く、威圧感のある体躯だった。

 それに気づいたテーブルの客たちの顔色が変わると、早合点した銀平は男と対峙するように“築地 火野屋”とロゴをプリントしたTシャツの胸を張った。
「お、おうっ、うちの関サバにイチャモンつけようってのかよ。あれは俺が目利きした、と、と、特上品だぞ」

 声を上ずらせる銀平の襟をカウンター越しに太郎が舌打ちして引っ張ると、男はふっと目尻をほころばせた。
「僕は、こう見えても堅気だよ。マスター、失礼だけど、その関サバの刺身醤油って、これだったかな?」

 男が内ポケットから取り出したのはカタログの切れっ端で、宮崎県の醤油瓶が掲載されていた。緊張がほどけて拍子抜けする銀平の後ろで、太郎が目をみはった。
「へぇ、よく分りましたね。そうですよ、あの女性が九州の酒を何杯か飲まれたので、地元の甘い醤油を出しました。関サバにも合いますしね」

 ふだんは銚子のたまり醤油を使うが、客の酒肴のこだわりや方言・なまりを聞きながら関西の客には兵庫県の龍野醤油、四国の人なら小豆島醤油など、隠し味にしていると太郎は語った。
「さすが、真知子さん。お察しの通りか……マスター悪かったね、僕はその女性の知り合いで松村って者です。あんたも機嫌を直してよね。一杯、おごるからさ」

 松村は広告代理店の名刺を渡しながら、銀平の横に腰を下ろした。
「だったら、それよりも缶つまを……」
もっけの幸いと藤かごに伸びる銀平の手を、太郎が菜箸でピシャリと叩きながら言った。
「あの人、関サバは脂のノリが抜群と褒めてくれました。でも、醤油の味には何も言わなかったけど……銘柄まで分かっていたんですね」
「マスターの心遣いを、『あれぞ、秘すれば花ね』って喜んでたよ。傲岸な酒匠なら聞こえよがしに生まれ育った土地の味を考えてやったと吹聴するけど、その店はちがう。久しぶりに、粋なもてなしを受けたってね」

 松村が傾ける冷酒のデキャンタを受けながら、火野屋の関サバを称えられた銀平はどんなもんだとばかりに肩をそびやかしたが
「ところでよ、秘すれば花って何だよ?」

 と大ボケを返し、テーブル席の客をコケさせた。

 松村によると、真知子と聞いたその女性客は二駅隣りの町で居酒屋を営んでいるが、酒と肴の勉強がてら、休日には昼間から料理店をはしごしているらしい。しかし、それも秘すれば花で、自分が見つけた隠れ家は一言も漏らさず、店の常連客にはヒントだけ教える主義だった。このポンバル太郎も、駅名だけを教えられていた。
「缶つまも同じで、彼女は素知らぬ顔で店の先付けの器に盛ったんです。それを絶賛した客に、市販の缶詰を使ったとネタをばらして驚かせる。でも商品名は教えず、ヒントを与えて自分で探すように仕向ける。今の時代、本物は自分で見つけなきゃってのが、彼女の哲学なんです」
と松村は苦笑いした。 
黄昏時に現れた彼女がほろ酔いだったのはそのせいかと、ダウンライトを跳ねる缶詰に、淡い朱色を帯びていた真知子のうりざね顔を思い浮かべた。
「おかげで僕、今日はこのポンバル太郎さんで3軒目だし。まあ、この店を当てれば忘れ物の缶つまは頂く約束だったから、どうぞ皆さんで食って下さい。じゃあ、勘定はここに置いておくよ」
松村は藤かごから缶つまを取ると物欲しげな銀平に手渡し、太郎に丁寧なお辞儀をして帰って行った。

 二合の本醸造とサワラの塩焼きで小一時間、しかも安上がりで切り上げた松村に、久しぶりに大人の酒肴の嗜みを目にした太郎だった。
それも、あの女性が持っている魅力のせいだろうかと思った。
「松村さん、たぶん真知子って女性の居酒屋へ向かったな。よほど、居心地がいいんだろう。俺も一度、行ってみてえな」
「……でもよ、太郎さん。その店の名前を訊いてねえじゃん!」
 銀平がはたと気づいて、缶つまを開ける手を止めた。
「それも、秘すれば花かよ」
しまったとばかりに太郎がカウンターを叩いた時、松村の去った席でカタリと音がした。
カウンターの上に、煙草と使い捨てライターが忘れてあった。
ポンバル太郎は酒の味と香りを大事にするため店内禁煙で、吸いかけて止めた松村がしまい忘れたのだろう。
そのライターに残る“マチコ”の店名が、太郎の瞳にくっきりと映っていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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