TOP > ポンバル太郎 > 第41回 暖気樽

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Vol.41 暖気樽

 年賀祝いの水引をほどこした新酒の瓶や角樽が、開店前のポンバル太郎のカウンターに彩りを添えていた。しかし、太郎はそれには目もくれず、店の片隅に置かれた木桶を見つめている。取っ手を外した長細い樽はどことなく角樽にも似ていたが、古ぼけた風合いだった。

 太郎がため息を吐いた時、扉が開いて右近龍二と火野銀平がやって来た。
「太郎さん、ごめんよ~。ちょいと早い時間だけど、もう入っていいだろう? こいつが飲みたくってさ」

 銀平の右手は、小ぶりの菰かぶりの新酒樽を提げていた。
「銀平さんが、縁起かつぎの鏡開きをしたいって言うもんで……あっ、それって暖気樽(だきだる)じゃないですか?」

 龍二の声にも太郎は背を向けたままで
「正確には、以前は暖気樽だった……蔵元が送って来たんだよ。もう使わないから、店のオブジェになればってね」

 と腕組みしながら、まだ思案している。
「う~む、インテリアにですか。いっそのこと蓋も取り外して、傘立てなんてのはどうですか?」
「それは安直だな。もっと、こいつの価値をアピールできるような使い方がないかって、考えてるところだよ」

 暖気樽を凝視する龍二が新酒の菰樽そっちのけで太郎に話しに聞き入ると、銀平が口を尖らせた。
「おっ、おい! その暖気樽って、何だよ? 菰樽と、やけに形がちがうじゃねえか」
「お前、暖気樽を知らないの? こいつがなきゃ、酒母が上手にできないんだよ」
暖気樽には酒を詰めるのではなく、熱い湯を入れる。それを酒母の中に浸け、酵母を育て、糖化を促すための道具である。暖気樽を浸ける時間や酒母の中での動かし方、かき混ぜ方によって、酒母のできばえは大きく変わると太郎は説明した。
「でも、昔とちがって今は大容量のタンクで酒を仕込む酒造メーカーが増えましたから、酒母タンクそのものに熱を加える装置も備えてます。それに、杉の暖気樽よりもアルミニウムやステンレスとか、熱伝導のいい製品が登場してますし、最近は衛生面でも杉の暖気樽は敬遠されてます。銀平さん、これですよ」

 龍二がスマートフォンで検索したステンレス製の暖気樽の画像を見せると、銀平は目の前の杉樽と見比べ、納得したようすだった。
「だけど金属製の暖気樽は温度が急に変わっちまうから、かえって扱いが難しくて良し悪しらしいな。やはり先人の知恵は、ちゃんと理にかなってんだよ。杉の暖気樽だからこそ湯の熱がほどよく伝わるって価値を、俺はこの店でも活かしたいよ」

 カウンター席に座って太郎が頬杖をつくと、龍二も眉をしかめて唸り込んでしまった。

 その時、扉が開いて新顔の客が空席の店内を見回し、太郎たちに訊ねた。
「あの、10名なんですけど……いけますか?」
「あっ、はっ、はい! 大丈夫ですよ」

 テーブル席がいきなり埋まる人数に太郎は生返事すると、あわてて厨房の用意を始めた。龍二もぞろぞろと現れるサラリーマン客たちをテーブルへ案内し、暖気樽どころではなくなった。
「まっ、しかたねえか。稼ぎ時だな」

 つぶやいた銀平がおしぼりを用意して配り始めると、客たちは頭を青く剃り上げたその風貌に、どぎまぎしながら受け取った。

 全員が着席すると、幹事らしき中年の男が声高に命じた。
「よ~し! 今夜はまず、日本酒で乾杯だ! 正月の仕事始めだし、景気よくお燗酒でいこう。ご店主、一人一合のお燗酒を用意してくれ」
とは言われたものの、酒燗器を使わず、湯煎で燗をつけるポンバル太郎では、一合徳利10本をすぐに用意することは無理だった。
「お客さん、申し訳ありませんが……」

 太郎が口を開きかけた途端、
「よっしゃあ! これだよ!」

 と銀平が声を張り上げて、暖気樽を手にした。
「龍二! ボサッとしてねえで、ここへ熱い湯を入れろ。ところでお客さん、お燗する酒は、温燗の純米酒でいいですかい?」

 龍二に指図した銀平は、キョトンとしている幹事の男に確かめた。男はたじろぎながらも「ああ、早く頼むよ」と念を押した。

 唖然としている太郎の前で、銀平は熱めの湯を張った暖気樽の中に、栓を開けた純米酒の一升瓶をそろりそろりと漬けた。つまり一升瓶をまるごとお燗する常識破りな方法だった。
「申し訳ないけど、瓶が割れるほどの熱いお燗はできねえよ。だけど、一気に一升分をお燗できるし、見た目にも風情があっていいでしょ?」

 テーブルに置かれ、徐々に湯がしみる暖気樽のしっとりした杉の肌に客たちの歓声が上がった。その湯気の向こうで、幹事の男の笑顔もほころんでいる。

 すると、意を得たとばかりに龍二が一升瓶を暖気樽の中で回し始めた。お湯の熱をまんべんなく回すつもりだなと、太郎は銀平と目を合わせて頷いた。

 ほどなく燗された一升瓶は、客たちの杉の枡になみなみと注がれ
「明けまして、おめでとう!」の唱和とともに、乾杯された。
「ううむ、いいねぇ。こんな大胆なお燗は初めてだし、発想がおもしろい! 杉のワインクーラーは見たことあるが、まさか日本酒をあっためる杉樽とはねぇ。何だか、明治や大正時代の酒豪みたいで、タイムスリップしたような気分だね」

 幹事の言葉に、さらに銀平は得意げな顔で答えた。
「このお燗のやり方には、オマケがあるんですよ。ほら、こいつです!」

 暖気樽に手を入れた銀平が、一枚の紙切れをすくい上げた。それは、客たちが今しがた飲み干した純米酒のレッテルで、お湯に浸けたために一升瓶から剥がれ落ちていた。
「こいつを、今日の記念にお持ち帰りください。珍しい純米酒だし、職場の思い出にもなりますぜ」
「おおっ! それはいい! じゃあ、ハンカチに挟んで持って返ろう。明日、色紙に張って、みんなで寄せ書きするのもいいな」

暖気樽

 幹事の嬉しげな声をきっかけに、その後、テーブル席の宴会はますます盛り上がっていった。そのようすをカウンター席で見つめる龍二が、満悦した表情で純米酒をあおる銀平に訊ねた。
「よく、あんな発想できますねぇ? どうやって閃いたんですか?」
「へっ、魚屋の知恵だ。昔、俺の親父が活きのいいブリの刺身を30人分、すぐにさばいて届けろって言われたらしくてな。ガキだった俺の記憶にあるのが、親父は切り身にしてちゃ間に合わないから、バケツにぶっかき氷を入れ、そこにブリを一尾突っ込んで客の所へ走った。そして、食べる直前にさばいたってわけだ。あっためるのと冷やすのちがいだが、さっきの俺には一升瓶がブリで、暖気樽がバケツに思えたのよ」

 舌を出しておどける銀平に、呆れながらも太郎は満面の笑みをこぼした。
「まったく、お前ってのは突拍子もない奴だよ……だけど、今夜はその大胆不敵さに脱帽だ。暖気樽の粋な使い方を、ありがとうよ」

 その言葉の余韻が、お湯で湿った暖気樽の木目にしみていった。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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