TOP > ポンバル太郎 > 第46回 魔法の酒

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Vol.46 魔法の酒

 平 仁兵衛の作品である楽焼風の土鍋から立ち上る湯気が、ポンバル太郎のカウンターに並んだ顔を包んでいる。店内にとけ込んでいく湯気は、かすかに酒の匂いを帯びていた。
「おっ! いい匂いだな……でもよ、古い三等米だろ? 本当にうまいのかよ、太郎さん」

 遅ればせで席に座ったばかりの火野銀平は米の炊ける匂いに鼻をひくつかせながらも、半信半疑な顔で純米吟醸のグラスを傾けた。今夜は、太郎のアイデアで「料理が美味しくなる、魔法の酒」を紹介する座が催され、テーブル席ではあすかの仲間である角打ち出版社の編集者たちも舌鼓を打っている。

 その酒を使った何の変哲もないアジの干物や小芋の煮ころがしは抜群の風味で、客席からは次々と驚きの声が上がった。
「でも、こんなに美味しくなるのなら、どうして、いつもその魔法を使わないの?」

 テーブル席から声を上げる高野あすかに、アジを猫またぎの骨だけにしたカウンター席の手越マリが箸をしゃぶりながら答えた。
「魔法は、出し惜しみするもんたい。それにいつも使うちょったら、この味にも飽きるばい。太郎さん、そげんやなかと?」
「ご名答。こいつを家で使うなら、ちょっと古くなった食材や残り物を温め直したりする時に重宝すると思うよ」

 実際、アジの干物は冷蔵庫で太郎のまかない用に取っておいた物だし、小芋の煮ころがしも昨日の残り物に魔法の酒を足しただけだった。むろん、そんな始末物だから、御代はいらないサービス品だった。
「だからよ、出し惜しみしねえで、何なのか早く教えてくれよ。それに、土鍋ご飯も炊けてんじゃねえか!」

 二品のうまさに唸る銀平が、吹きこぼれのおさまった土鍋に顔色を変えて急かした。
「こいつだよ」

 太郎がカウンターに置いたガラス容器の酒の中に、褐色の塊が沈んでいた。

 テーブル席の客たちは視線を凝らし、マリがほんのり黄味がかった酒に生つばを呑み込んだ。その喉音が響くほど、店内は静まっていた。

 いつの間にかガラス容器に吸い寄せられるように、あすかがカウンター席に腰かけていた。
「たった一切れの昆布……これだけなの? 本当に魔法ね。でも、昆布って利尻とか礼文とかいろいろあるでしょ。太郎さん、どれがいいの?」
「それは、この昆布酒を俺に教えてくれた、中之島の師匠に話してもらおうかな」

 太郎の答えにテーブル席が「昆布酒だってよ」とざわつくと、銀平がおもむろにガラス容器を手にした。
「なるほど、昆布の旨味成分のグルタミン酸が酒に溶け出すわけか。でもよ、今夜は中之島の師匠、来てねえじゃんか?」
銀平が問い返した途端、扉の鳴子が心地よく響き、その音の隙間からしゃがれた関西弁がカウンターに飛んで来た。
「あすかちゃん、どんな昆布でも旨い昆布酒はでける。ただし、料理によって使い分けるのがコツや」

 現れた中之島に、太郎が柱時計に視線を止めて言った。
「9時30分、炊き上がりの予定時刻ピッタリですね。昨日の電話じゃ、炊き立てじゃないとダメだって言ってましたが、古米に昆布酒を入れたのって冷めると旨くないってことですか、師匠?」
「うむ、古い米が冷めると渋みが出てくるから、それを消すためには旨味の強い昆布酒が必要や。そやから土鍋用は知床産の羅臼昆布にした。ただし、冷めると昆布特有の磯の香りが勝ってしもうて、鼻につくんや。小芋の煮ころがしには、すっきりとした旨味の礼文昆布やな。餡かけ料理には、フコダインたっぷりのガゴメ昆布を使った粘りの強い昆布酒がええで」

 中之島は客たちの注目を集めながら厨房の太郎の横に立つと、土鍋の蓋を開けた。つやつやに輝く炊き立ての米粒に中之島はニンマリすると、菜箸でひと口つまみ、太郎に訊いた。
「上出来やわ。ところで羅臼昆布は、どんな酒に漬けたんや?」
「山廃純米酒です。濃醇な羅臼昆布の旨味には、どっしりした味の酒が合うと思いましたから」
「さすが太郎ちゃん、正解や。銀平ちゃん、お待たせしたなぁ。とくと、お食べやす」

 肉厚な五郎八茶碗に中之島が土鍋ご飯をよそい始めると、太郎が小皿に昆布の佃煮を盛りつけた。その昆布からは醤油と酒のからまった匂いがして、客たちの食欲をそそった。
「これは山廃純米酒から引き上げた羅臼昆布を、たまり醤油に一時間漬けた物だ。いったん旨味が抜け出して酒の染みている昆布に醤油が入り込み、お互いの味はほどよく整うんだ。あらためて、昆布ってのは無駄がないと思うね」

 太郎の話しに、中之島が頷きながら言葉を付け足した。
「その通りやけど、昆布酒の立役者はやっぱり酒や。誰が考え出したかは分からへんけど、食材の旨味を引き出す日本酒ならではの能力に気づいた先人は偉いもんや。それに、こいつはヨードもたっぷり含んどるし、薄毛予防にもええ酒やで」

 中之島が聞こえよがしに銀平へ笑みを投げると、マリが首を横にふってあざ笑った。
「それは無駄使いばい。いっそ私が飲んで、熟女の旨味ばもっと出るようにするとね」
「けっ! マリさんは熟しすぎて、ヒネかかってんじゃん。もっとシャキッとした酒で体をシメた方がいいんじゃねえかぁ」
「なんだと~、銀平。もう一度、言うてみんしゃい!」

 眉を吊り上げるマリに銀平がしてやったりとばかりに舌を出すと、仕返しにあすかが皮肉った。
「ねぇ、銀平さん。いっそのこと、昆布酒を頭に塗ってみたらどう?」

 あすかが銀平の剃り上げた頭に空っぽのグラスを傾けると、爆笑が巻き起こった。
気に入らない銀平は、あすかの手を払いながら言い返した。
「てやんでぇ。俺みたいな辛口な男に、昆布の旨味が溶けた酒なんて性が合わねえんだよ!」

 すると、太郎がほくそ笑んで相槌を打った。
「そりゃそうだ、銀平! お前には、これとちがう魔法の酒もあんだよ」

 一瞬、銀平が戸惑っている間に、太郎は厨房の奥で別の容器の酒をグラスに注いだ。その液体は、どことなく緑色がかっている。中身を察したのか、思わず吹き出しかける中之島を太郎が目で押しとどめた。
「おう、いいねえ! どことなく爽やかそうな、この色! おっと、太郎さん。何を漬けた酒なのか、まだ言うんじゃねえよ。俺が当ててやっからさ」

ワサビ酒

 言うが早いか、銀平がグラスを一気に飲み干した。その途端、激しく咳き込む銀平にあすかとマリが唖然として顔を見合わせると、太郎はおもむろに酒の入った容器をカウンターに置いた。
むせる銀平が見つめるガラス容器の中に、緑色の物体が沈んでいた。
「まさか……これ、本ワサビじゃねえか? ひでぇよ、太郎さん」

 容器に中で揺れる緑色の波紋は、皮を削いだ大ぶりのわさびから溶け出した辛味だった。「何がだよ。これは、ワサビ酒だ。たまり醤油に合わせると、刺身が抜群に旨くなる調味酒なんだよ。どうだ、お前みたいな辛口の男にはピッタリだろう?」
「ありえねぇ、こんなの誰が考えるんだよ!?」

 恨めしげに太郎へぼやく銀平の隣に、中之島がしたり顔で座った。
「そらぁ、わしに決まってるがな。実はな、もう一つ、あんねんけどな」

 中之島の手提げバッグから、今度は赤味がかった液体の入った瓶が現れた。
「かっ、かっ、勘弁して~!」

 ひと塊りの唐辛子が沈んだ瓶の向こうで、銀平の困り顔とそれを囲む客たちの笑い声が揺れていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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