TOP > ポンバル太郎 > 第5回 不耕起米(ふこうきまい)

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Vol.5 不耕起米(ふこうきまい)

瑠璃色や茜色の一升瓶が、ポンバル太郎のカウンターを鮮やかに彩っていた。
「ほほう、まさに才色兼備な美酒が揃いましたねぇ」

 やって来た平 仁兵衛がカウンター席にいる高野あすかの横に座りながら、ぬる燗の純米酒を注文した。その隣では、ほろ酔いの火野銀平が頬を赤くしている。
全国新酒鑑評会の発表を間近にする各地の蔵元から仕入れた、袋吊りの大吟醸ばかりだった。太郎はそれぞれの酒のレッテルを愛しげに見つめながら、冷蔵ケースへ収めた。
テイスティングをお預けにされた火野銀平が口惜しげに舌打ちすると、あすかがたしなめた。
「到着したばかりのお酒は車に揺られたり、温度が変わったりしてるから、一晩冷蔵庫で落ち着かせてから栓を開ける。それが酒匠の基本よ。しかも、あのお酒たちは鑑評会の出品酒並みの大吟醸だから、太郎さんも念入りになるわよ」
「わ、分かってらぁ。俺は、あれにふさわしい魚を早く目利きしてえんだ」
「せっかちねぇ。お酒も女もデリケートなのに、それじゃ彼女ができないのは当然ね」

 背中で二人のやりとりを聴いている太郎は、歳下のあすかにやり込められる銀平の渋い顔が手に取るように分かって、思わず苦笑した。
「こ、こいつ! 言わせておけば……」

 その銀平の声と重なるように、カウンターの隅に座る二人組の席から同じセリフが響いた。
「言わせておけば、生意気な! 右近、お前は俺に対するリスペクトが足りないんだよ。俺は、あの競合会社の取締役よりも給料は高いんだ。お前みたいな転職組の若造が、舐めるんじゃねえぞ」

 どことなく声の端々に、東北の訛りがあった。
耳に止まったあすかが一瞥すると、神経質そうな痩せぎすの白髪男が、「右近」と呼んだ若い男に食ってかかっていた。やぼったいスーツの中に体が泳いでいるような、50歳がらみの男だった。
「それとよ、お前は地酒ファンらしいが、俺が教えてやっから、よっく憶えておけ!」

 白髪の男は静かに冷酒グラスを傾けている右近を罵倒しながら、厨房の冷蔵ケースを指さした。そして、太郎がさっき並べた数種類の大吟醸の銘柄と蔵元の名前を聞えよがしに挙げ連ねた。
すべて一致していたが、隣の右近は馬耳東風といったようすで、1本の瓶だけを凝視していた。それは、太郎も気にかかる雄町米を使った大吟醸だった。
「どうだい、マスター。まちがってるか?」

 喜色満面の男に太郎はひと息置いて、作り笑顔で頷いた。
「正解ですよ」
「何だ、素っ気ねえ返事だな。俺の造詣の深さを部下に認めさせてんだから、もう少し褒めてくれたっていいだろ」

 巻き舌になる男に、あすかと平が目を合わせて呆れた。
「山地部長、やめて下さいよ。それに僕は自分なりにいろいろ飲んで、じっくりと蔵元の歴史や酒の品質も勉強してますから」

 訛りもなく淡々として答える右近は、40歳前後に見えた。ソフトモヒカンの髪で、服装もこざっぱりしたジャケットにノーネクタイ。山地とちがって、垢抜けた印象だった。
「そんなだから、お前は営業の数字が上がらねえんだ。クリエイティブだの企画だの、プロセスに時間をかける前にさっさと成績を上げてみろ。ようは、営業は結果なんだよ、結果!
俺の指示通りにやればいいんだ。さっきのだって、一度飲んだ酒の銘柄と蔵元をさっさと憶えりゃ、大抵は当たるんだ」

 山地の甲高い声に、平は耳が痛そうにあすかへ囁いた。
「ありゃ、水と油ですなぁ」

 それに気づいた右近は眉目秀麗な顔を曇らせると、すまなさそうに銀平たちへ頭を下げた。
「けっ! 日本酒つうを自負するなら、銘柄より、香りや味わいを憶えろってんだ」

 酔った勢いで銀平が舌禍すると、山地は顔色を変えて立ち上がった。それを押し止めるように、太郎の手が、酒を満たした二つの冷酒グラスをカウンターに差し出した。

 いつもなら銀平の醜態を責める太郎が、平然としていた。
「それじゃあお客さん、このどちらが雄町米を使った酒か、当ててみませんか。もちろん、酒代はサービスします」
「おっ、おう、いいともさ。見てろよ、右近」

 途端に山地は悦に入った表情で、立て続けにグラスを飲み干した。
一瞬、自分の方へ片目をつぶって冷蔵ケースの雄町の瓶を指さす太郎に、右近は戸惑った。その瓶だけ、栓が空いていた。
「さて、お答えはいかがでしょう?」
「うむ、これだな。こっちが雄町だよ」

 山地が自信ありげに、右側のグラスを顎でさした。
「……残念。正解は、どちらも雄町でした」
「な、何だと。そんなはず、ねえぞ。左側の酒は雄町よりも味がずっと濃厚で、個性的過ぎるじゃねえか」

 鼻息を荒げる山地の前に、太郎が2本の一升瓶を並べた。
右側の酒は「備前雄町 純米酒」、左側の酒は「赤磐雄町 純米酒」だったが、赤磐雄町の瓶には、大粒の稲穂を飾った肩ラベルに「不耕起米」と書かれてあった。
「それじゃあ、右近さんでしたね。あなたはどう思いますか? たぶん、この不耕起米の酒をご存知でしょう」

 太郎の言葉に山地がうろたえる中、右近は嬉しげに一升瓶に手を伸ばした。
「確かに、備前雄町と赤磐雄町の酒の味は見分けがつきにくい。だけど、この“不耕起米(ふこうきまい)”はちがいます。田は耕さず、米の苗を投げ入れて植える。だから稲は、土中に蓄えられた栄養分を自然な状態で吸収することができる。野生に近い、たくましい稲として育つから、雄町本来の旨みがより向上するんです」

 腕を組んで感心する平の横で、あすかが口を開いた。
「ご名答! 酒雑誌の記事にそのまま引用できるわ。それにしても、太郎さんにその酒の栓を開けさせる右近さんって、大した者よ」
「ちくしょう、俺だって味見してねえのに……太郎さん、その不耕起米の酒を俺にも一杯!」

 銀平が、手を合わせて太郎に懇願した。

 すると、存在を無視されて顔色をなくした山地は
「馬鹿にしやがって! 釣りはいらねえぞ」
とカウンターに勘定を叩きつけると、扉を激しく揺らせて出て行った。
静まった店内で扉の鳴子の余韻が消えて行くと、平がぬる燗の盃を飲み干して右近にほほ笑んだ。
「年齢や地位に関係なく、上には上がいるんです……山地さんは、夜郎自大(やろうじだい)な方ですね。それにね、地位や収入や結果だけがすべてじゃありません。所詮、人間最期はみな同じ所へ行ってしまうのですから、どう人生を充実させたか、そのプロセスが大事だと私くらいの歳になると思うんです……あなた流で頑張ればいいじゃないですか」

 太郎はどこか懐かしい気持ちになり、カウンターの全員へ不耕起米の酒瓶を傾け、右近に声をかけた。
「うちの常連さんは、不耕起米みたいなもんでね。みんな個性的だよ。どうだい、右近さんも仲間に入らないか?」

 酒を唎いてウットリとしていたあすかが
「私も大賛成! 一緒に、ポンバル太郎と日本酒を盛り上げてくれそうだしぃ。記事ネタもお願いしちゃおうかな」

 グラスを飲み干した右近はしばらく黙考すると、鞄から龍の絵柄の入ったマイ盃を取り出し、太郎に渡した。

「名前は、右近 龍二と言います。明日も、一晩落ち着かせた大吟醸を飲みに来ていいですか?」
「ああ、いいぜ。また粋な話しを待ってるよ」

 蕎麦猪口によく似た龍の盃を、太郎はそっと酒器の棚に飾った。その横に、年季の入った平の白磁の盃がどっしりと座っていた。
「まあ、酒に合う魚のことなら俺に訊いてくれりゃ、教えてやるよ」

 ようやく口を挟んだ銀平に、あすかが鼻白んで言った。
「先輩風を吹かせる前に、まずは“夜郎自大”の意味、勉強することね」
「ぐっ、くっそう!」

 太郎は不耕起米の味わいと日本酒を愛する右近との出逢いに、若かりし日の自分の姿を重ねていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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