TOP > ポンバル太郎 > 第52回 なまら

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Vol.52 なまら

 隅田川の桜の蕾をふるわせる肌寒い風に、ポンバル太郎にやって来た年配のサラリーマン客は一様に肩を縮ませていた。ようやくコートを脱げる季節になったと思いきや、繰り返される三寒四温にうんざりといったようすだった。
「花冷えですなぁ。思うに、そんな風情のある言葉も、最近はめっきり使わなくなってきました。まあ、この酒の造られた北海道は、まだまだ春が遠いですけどねぇ」

 豪雪が続いている旭川から直送された純米大吟醸のグラスを口にする平 仁兵衛が問わず語ると、カウンターの隣に座る雑誌記者のジョージがパチンと指を鳴らして、得意げに声を高くした。
「花冷え! 知っていますよ。桜が咲く前に、ちょっと寒くなることですね。それ、ニューヨークにもあります。チェリーブロッサムの頃に、時々、冷たい雨が降ります。そんな頃、この酒を私はいつも飲んでいました」

 先に冷酒グラスを飲み干したジョージがカウンターに置かれた一升瓶のレッテルを愛しむように撫でた時、冷たい夜風が玄関扉から吹き込んだ。鳴子の音に平とジョージがふり向くと、かじかんだ手をすり合わせる火野銀平と右近龍二が立っていた。
「おいおい、ジョージ。お前みたいな二流の記者がニューヨークで純米大吟醸なんて、いつも飲めるわけねえだろ。あすかが言ってたけど、グラス一杯の値段はこっちの三倍ぐらいするそうじゃねえか?」
「イエス! それは輸出の関税のせいです。でも、銘柄によっては、もとの日本での値段が安い純米大吟醸もあります。それが、この“なまら”なのです」
「な、なまら? また、変わった名前だな」
ジョージの手にする一升瓶を訝しげな顔で見つめる銀平に、厨房でその酒を唎いていた太郎が唸りながらグラスを差し出した。
「こいつは、あなどれないぜぇ。淡麗辛口タイプだが、北海道のほっき貝とか毛ガニとか淡白な魚介類に合いそうな柔かな旨口だ。これなら白ワイン好きのニューヨーカーにも、イケるんじゃないかな。向こうのオイスターに合うと思うぜ」
「太郎さん、正解です! でも、なまらの人気は最近の日本酒ブームよりもっと早く、30年前からニューヨークの一流ホテルで飲まれていたのです」
「なっ、なにっ!? そんな頃に、もうニューヨークにあったのかよ?」

 店内に銀平の“ニューヨーク”の声が響くと、それを耳にしたテーブル席の年配客の一人がなまらのレッテルに酔眼を凝らした。そして、同僚らしき隣の客の肩を叩きながら呂律をからませた。
「おっ、おい、あれあれ! マンハッタンのレストランでよく飲んだ、な、なまらじゃないか。いやぁ、懐かしいなぁ」

 赤ら顔でカウンターを指さす客に太郎が「よかったら、いかがですか?」とほほ笑んだ途端、二人とも、もろ手を挙げて注文した。
「ふ~ん、あながち眉唾な話じゃねえみたいだな。だけどよ、なまらってのはどういう意味なんだよ?」

 口をとがらせる銀平だったが、太郎から注がれた酒を啜ると表情を一変させて、龍二にグラスを回した。目を見開いた銀平の横顔に、ジョージはしてやったりとばかりに口笛を鳴らした。

 龍二は銀平からグラスを受け取りながら、太郎と平たちにも聞こえるように答えた。
「僕、この酒の噂は知ってました。なまらってのは、北海道の方言で『すごい』とか『とんでもない』って言葉なんです。だから、それほど 美味しいってことでしょうね」

 かつて北海道の地酒は国内市場が小さく、道内にも大手メーカーの酒が広がり地元のシェアも伸び悩んでいた。そこで、ロサンゼルスやサンフランシスコで寿司BARが流行り始めた頃、日系人をターゲットにしていち早くアメリカへ輸出を始めたのだと龍二は語った。
「なるほど。なまらは、そんな意味だったのですか。つまり英語ならば、ファンタスティックとかアメイジングってことですなぁ」
思いがけない平の発音の良い英語にジョージが目をしばたたいた時、後ろから聞き慣れた大阪弁が飛んで来た。春らしい薄水色の正絹の羽織をまとった中之島哲男に、テーブルの客たちが感心して、なまらのグラスを口元に止めた。
「実は、なまらはそもそも新潟の言葉や。それが北海道に伝わった理由には、歴史の妙があるんや。北海道の地酒の味がおおむね淡麗辛口タイプなんも、新潟との縁が理由やろな」
「おっ、じゃあ久々に、親っさんのウンチクが聞かせてもらいましょうか」

 迎えた太郎が羽織を受け取ると、中之島は店の真ん中に立って語り始めた。只者ではなさそうな人となりに、テーブル席の客たちが固唾を飲んでいた。
「言わずもがな、北海道は明治時代に入ってから屯田兵によって開拓された。北前船に乗って、松前や函館の港に上陸した大量の移民を支える生活物資が必要やった。そこで食料や酒、醤油、味噌、砂糖とかの調味料が当初は船で本土から運ばれた。これが明治の半ばには札幌や小樽の町が作られ、現地に酒屋や醤油屋ができ始めた。そこで働く人たちには、幕末に戊辰戦争で負けて北海道へ渡った越後や会津の侍、新天地で成功を夢見た庶民もぎょうさんいてた。それで、なまらっちゅう方言が、北海道にも広まったわけや」

 中之島はなまらの一升瓶を手にすると、この旭川の蔵元の創業者は明治初めに新潟から北海道へ渡った人物で、代々、進取の精神を受け継いでいると話した。
日本酒の国内需要が最高潮だった昭和40年代、無謀と揶揄されようが早くからアメリカの市場へ着手し、着実に成功を収めてきた。その先見の明は、移民という厳しい道を選んだ先祖の覚悟を血脈に継いでいるからだろうと、中之島は称賛した。
「北海道の酒は東北や西の国に比べて、歴史と文化が浅い。それだけに新しい取り組みや挑戦が続けられてる。気候の温暖化も影響しているらしいが、酒蔵好適米の“吟風”や“彗星”と上質の品種が誕生してるんだ」

 なまらの肩ラベルに書かれた吟風の文字を太郎のおだやかな視線が見つめると、ジョージが両手を一つ叩いて言った。
「だから、安くて美味しいなまらを開発できたのですね。考えてみると、アメリカも移民の国だから、北海道の酒と似ている気がします。ヨーロッパの高級なスコッチやワインとはちがう、バーボンやカリフォルニアワインが生まれました」
「確かに、なまらのこのスッキリした味わいは、端麗だけど辛くはない。灘や伏見の名門酒に比べて、ずいぶん安い。値段も味も、北海道らしさを主張しているんでしょうね」

 龍二の言葉を受けて頷く面々の中、なまらに惚れ込んだらしい銀平がグラスをかざして叫んだ。
「キレ味も、なかなかじゃねえか! なまら(すごく)、うめえ!」
「ただし、お前はなまらじゃなく、なまくら、だけどよ」

 太郎のツッコミに客たちの笑い声がポンバル太郎の店内を、なまら、にぎやかにした。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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