TOP > ポンバル太郎 > 第61回 八百八橋

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Vol.61 八百八橋

 堂島川にかかる淀屋橋の下を、艀(はしけ)を曳く古びたタグボートがくぐって行った。

それは雑踏が行き交うオフィス街とは対照的な光景で、橋の真ん中は美しい中之島公園をまたいでいる。

 ゆるやかな川の流れの遥か先には、低い山稜が霞んでいて
「あれが、東大阪の生駒山(いこまやま)や。大阪の商売人は生駒さんに向いて仕事するのが繁盛の素やと、昔から言われてなぁ」
 と橋の欄干にもたれる中之島哲男が目を細めた。
それを聞きながら、大阪へ初めてやって来た剣は堂島川の遠望に連なっている大小の橋を見つめていた。

 大型連休の京都旅のついでにと、太郎と剣は中之島から大阪へ招かれていた。

 六年ぶりに来阪した太郎は生前のハル子と淀屋橋を渡った記憶をたどりながら、中之島に訊ねた。あの時、ハル子が口にしていた言葉をふと思い出したのだった。
「親っさん。淀屋橋ってのは、やっぱり商家の名からつけたのですか?」
「その通り。江戸時代に堂島の米市場を束ねた豪商や。天下の台所の大坂には、全国から米が集まり相場が立った。その元締めやった淀屋の屋敷はこの場所からずっと先の北浜あたりまで建ち並んで、二千坪もあったそうや。けどなぁ、しまいには没落してもうた」
「えっ!? 何でまた? 江戸のように大火でもあったんですか?」

 太郎の質問に中之島はにんまりとするだけで、なぜか答えなかった。途端に、太郎の後ろから聞き慣れた声が飛んで来た。
「それはよ、始末が肝心の大坂商人のくせに贅沢三昧をして幕府に取り潰されたって、ここに書いてるじゃねえか!」

 太郎と剣が同時に振り返ると、橋のたもとの案内版の前で火野銀平がほくそ笑んでいた。
「ぎ、銀平さん!? どうしたの?」
「この野郎、ビックリさせやがる」
「へっへっへ。驚いたか。昨日、大阪で魚匠の交流会があってよ。たまたま中之島の師匠から電話があって、それならもう一日、大阪でってわけよ。まっ、こう見えても太郎さんよか、俺の方が大阪は詳しいぜぇ。剣、お前さっきから堂島川にかかってる橋を数えてただろ? 大阪の町の例えには、“八百八橋(はっぴゃくやばし)”ってのがあるんだよ」

 剣に歩み寄りながら自慢げにしゃべる銀平を、通りすがりのOLがクスリと笑った。
「な、なんでぇ。気分悪いじゃねえか」

 しかし、銀平のスタイルに飽きれ顔の太郎と剣に代わって、中之島がたしなめた。 
「あのなぁ、なんぼ大阪に来たからて、その組み合わせはあんまりやろ。ヒョウ柄のTシャツにピンクのジーンズ。ほんで青剃り頭は、完全にミスマッチや。昼間には似合わんな」
「そ、そうかなぁ。俺、大坂ぽくってイケてるって思うんだけど……浮いてます?」

 太郎は、この場に高野あすかがいようものなら、恥ずかしくて他人の素振りをしかねないだろうと苦笑いした。
「まっ、どっちみち、今からわしがやってる割烹で一献や。恰好なんぞ、気にせんでもええ。ほな、行こか」

 四人は淀屋橋を渡り、ほど近くにある道修町(どしょうまち)へと向かった。有名な御堂筋には街路樹の木洩れ日があふれ、もう初夏を告げているようだった。
「ところでさ、本当に八百八も橋があったの?」

 剣が、誰とはなく訊いた。今しがたの銀平の話しが腑に落ちていないようすだった。
「そりゃ、物の例えだ。江戸は八百八町って言うだろ。あれは江戸の町が大きいってことだ。八って字は、末広がりで増えるって意味がある。だから、縁起がいい数字なんだ」

 太郎が答えると、先頭を歩いている中之島も口を開いた。
「そんでも昔の大坂には、実際、二百くらいの橋はあったんや。それだけ橋が多いっちゅうことは水運が発達しとった。さっきの淀屋も堂島の川岸に米蔵を持って、船で運んでいたわけや。ほれ、東京の新川や日本橋も同じやろ?」

 剣と銀平がなるほどと納得した表情を見せた時、四人は道修町にさしかかっていた。
太郎が気になったのは、やたらと製薬会社の看板が目につくことだった。その一画には、日本を代表する有名企業の社屋もそびえていた。
太郎につられてそこかしこの看板を見上げる銀平と剣に、中之島が足を止めた。
「道修町は、もともと長崎から入った漢方薬を扱う薬種問屋の町でな。つまり、その漢方薬は長崎から廻船で大阪湾の安治川湊まで運ばれ、そこから小船に移しかえて川をさかのぼって、この町まで運ばれたわけや。どや、昔の大坂に入って来る物、出て行く物は、すべて川と船に支えられてたんや。むろん灘の酒を大坂から江戸へ送ったり、西国の地回り酒を大坂へ運んだのは、剣ちゃんも知っての通り、樽廻船や」
「そうかぁ、当時の物流ってほとんど大坂が起点ってことか。じゃあ、東京の築地みたいな魚河岸ってのは、どこにあったんすか?」
「すぐこの近くに、雑喉場(ざこば)ちゅうのがあったんや。そこに朝網で穫れた魚が、小船で運ばれたそうや。こんな鯛も、ぎょうさん並んだちゅう話や」

 銀平に答えると、中之島は目前にある割烹の水槽を指さした。水槽には鯛やサバが泳ぎ、看板には「割烹 中之島」の文字が書かれ、白木の玄関がオフィス街の片隅で清楚に佇んでいた。
剣はそのしつらいと、かすかに憶えているハル子の料理への称賛に胸を躍らせた。  格子戸に手をかけようとした中之島が、ふと思い出したかのように言った。
「おっ! そうや、薬の道修町ならではのおもろい話がある。鯛を釣る方法が目をみはるほど発達したのは、この町があったればこそちゅうても過言やないで」
「はぁ?……まさか、薬で鯛を獲ったわけじゃねえでしょ?」

 中之島は、銀平のその問いを待っていたかのように話し始めた。
江戸時代、道修町に入って来る漢方薬は麻袋に詰められ、その袋の口は丈夫な絹の糸で縫われていた。これは中国産の蚕(かいこ)の糸で、天蚕糸(てぐす)と呼ばれた。
ある日、阿波の国から大阪へやって来ていた漁師が、道修町の道端に捨てられた天蚕糸を拾った。漁師は、その半透明の丈夫な糸なら鯛がもっと釣れるかも知れないと薬問屋に話を持ちかけた。
薬問屋の主人は漁師の考えに一理ありと試したところ、大量の鯛が釣れた。それ以来、薬袋の天蚕糸が瀬戸内海の漁師に使われるようになって、漁業技術を大きく進化させたと中之島は語った。
「おもしろい! だから、今のナイロン製の釣糸もテグスて呼ぶんだね」

 興奮して瞳を輝かせる剣の頭を撫でながら、中之島が笑った。
「そやから八百八橋と大阪の水運は、いろんな物や知恵を集める大阪の誇りや」
 腕組みする銀平が、少しばかり胸をそらせて言った。
「てやんでぇ、江戸の八百八町だって誇りだぜ」
「う~む、胡散臭そうなヒョウ柄の銀平は、どう見ても八百八百長ってとこだなぁ」

 太郎がボケると銀平は仏頂面に豹変し、暮れなずむ堂島川のように顔を真っ赤にした。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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