TOP > ポンバル太郎 > 第63回 斗瓶(とびん)

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Vol.63 斗瓶(とびん)

 全国新酒鑑評会の結審からひと月、ポンバル太郎の冷蔵ケースには各地の蔵元が出品した酒と同等の「斗瓶囲い」や「斗瓶取り」の大吟醸が並んでいる。その数本を、カウンター席の右近龍二と高野あすかは満悦した表情で飲んでいた。

 二人が啜る酒に奥のテーブル席に座る新顔の男は無関心のようすだったが、大テーブルの若いグループは興味津々といった面持ちで、料理の注文を取る太郎に斗瓶の意味を訊き返した。
「斗瓶は、一斗入りのガラス瓶です。つまり、一升瓶のお酒が10本分入るサイズ。だから販売用には向かない。とてもじゃないけど、個人じゃ飲み切れないですからね。でも、蔵元にとっては大切な瓶ですよ。新品の瓶だと、数万円しますしね」

 例えば、本醸造や純米酒などの普及している酒は、モロミを一度に上槽器で搾って、数百リットル、数千リットルのタンクに貯蔵する。それに比べて鑑評会出品酒などの特別な酒は、モロミを入れた酒袋を手で吊るして、ゆっくりとしずくを垂らすので量が少ない。だから貯蔵は斗瓶で大丈夫なのだと太郎は説いて、玄関先に飾っているドライフラワーに目を向けた。

 その花束を挿しているズングリとした青い瓶に、客の一人が
「なるほど、あれが斗瓶か! でも、一斗も酒を入れたら重くて持ちにくそうだね」
 と口元をゆがめた。

 太郎がそれに答えようとした時、店の奥から渋い声が響いた。
「斗瓶用の籠があるんですよ。それでも、一人で持つのは厳禁。出品酒なんて冷や汗ものだ」

 大テーブルの男女の客たちがいっせいに注目すると、独酌する男が疲れたような視線を斗瓶に投げていた。
男の口ぶりと職人っぽい短髪に、太郎は蔵人の匂いを感じた。それをカウンター席の龍二も察したようで、振り向きざまに声をかけた。
「お客さん、どちらのお蔵元ですか?」
「いや……もうすぐ、元・蔵人になる予定。あんたが利いてる、その酒の蔵元です。今年の七月まではね」

 男はグラスに注いだ瓶ビールを口にしながら、杉板の壁や天井を感心して見上げた。龍二は太郎と顔を見合わせ、男が平成25byの酒造期間を終えてから蔵元を辞めるつもりとお互いに納得した。
グループ客たちも、どことなく重苦しい空気に包まれた。
すると、しばらく男を見つめていたあすかが口を開いた。
「どうして、その斗瓶囲いを飲まないんですか? っていうか、本当はそのお酒がここにあるのを知って来たんじゃない?」
不躾な問いかけに隣の龍二は驚いたが、あすかは席を立つと初対面の男の前に歩み寄った。
「あの秋田の酒蔵には、私の親しい蔵人がいます。高野武志という若い男性ですが、ご存知ですか?」

 途端に男は青ざめ、あすかの素性を探るかのように凝視すると、はっとしてつぶやいた。
「あ、あんた、武志によく似てるな。いったい誰だよ?」
「高野武志は、私のいとこです。十年あまり相馬の高野酒造にいましたが、昨年うちの父が廃業して、今年の冬からそこにお世話になっていると聞きました……だから、あなたと一緒に斗瓶囲いをしたはずです」

 遠慮会釈のないあすかに、テーブル席の客たちはどぎまぎとして太郎を見つめた。たが、太郎は意に介さないようすでほほ笑むだけだった。

 男はバツが悪そうに、伸びた坊主刈りの頭を両手で抱えながら言った。
「ああ、そうだ。だけど、搾った出品酒は今年もダメだった。もう十五年も、入賞から遠ざかってる。俺が頭(かしら)になってからは、一度も獲れてないんだよ」
「……それで、辞めてしまうわけですか。いとこの武志は、酒造りができるならどこでもいいって、その一心だけで秋田へ行ったんですよ」

 あすかの詰問に男は答えず、ビールを飲み干した。静まった店内に男のグラスを置く音が響くと、それを消すほど龍二が声を上げた。
「僕は美味しい酒って、鑑評会だけで決まるんじゃないと思います。出品酒はそもそも極上の酒ばかりなんだから、ほぼ互角に美味しいはず。受賞も金賞も、わずかの差じゃないでしょうか。そんな差がプロの酒造技術者でもない僕らにとって、どれほど大事だろうかと思うんです。鑑評会の結果は、今年はこんな味と香りの酒が注目されるという、あくまで指標でしょう。本当に美味しい酒は、自分が飲んでみて美味しいと感じる酒だよ」

 男はうつむいたまま、唇を噛みしめていた。その横顔を見つめた太郎が、カウンターの中へ入って行った。

 追い打ちをかけるように、あすかが男に質問した。
「あなたは自分たちの搾った斗瓶の酒を飲んでみて、どう思ったのですか?」
「そりゃ、旨かったさ。武志も自信を持って、そう言ってくれた。今年こそ、大丈夫だと思ったよ……でも、結果はちがった。もういいだろ、いいかげんにしてくれ」

 斗瓶囲いの大吟醸を口にしないまま席を立とうとする男に、両手を背中に回した太郎が近づいた。
「まあ、せっかく来たんだ。俺が一番美味しいと思っている、秘蔵の斗瓶囲いを飲んでみてくれよ、神崎さん」
「ど、どうして俺の名前を?」

 動揺して立ちすくむ神崎のテーブルに、太郎が後ろ手にしていた水色の小さな斗瓶と冷酒グラスを置いた。そのレッテルには「斗瓶囲い」の揮毫とともに、神崎の責任者名が記されていた。
「こっ、これは三年前に俺が搾った斗瓶囲いじゃないか。この小さな四合斗瓶に入れて販売したのは一回きりだから、よく覚えているよ」

 その水色の瓶に、テーブル席の女性客は「可愛い!」「美味しそう!」と声を弾ませた。
「あんたたちの酒は三年前も入賞を逃したけど、俺はこの斗瓶囲いの味に惚れて、ずっと冷蔵ケースで熟成させていた。寝かせることで、この酒の味は格段に美味しくなると思ったからだ。どうだい、飲んでみなよ」

 太郎の言葉が終わると、ためらっている神崎にあすかがグラスを手渡した。水色の斗瓶から注がれた酒は、ほのかな琥珀色を帯びていた。
「……美味しい。俺たちの酒、こんなに旨いんだ」
「ああ、そうさ。よかったら、その斗瓶を持って帰ってくれ。そして、武志 君と一緒に飲んでくれないか。来年の酒造りに向けてよ」
 神崎の鼻先が赤らんでしだいに瞳が潤むのを、あすかは嬉しそうに見つめた。

 テーブル席の客の一人が
「マスター! 今年の神崎さんの斗瓶囲い、僕たち全員で飲みま~す!」
 と興奮気味に冷蔵ケースを指さした。
「おいおい、俺たちの分も残しておいてくれよ」
 龍二があすかにほほ笑むと、神崎に満面の笑みがこぼれていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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