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Vol.67 しょうず

 ようやく梅雨明けが宣言され、気象庁が短い夏と報じながらも、昼間の陽射しはアスファルトに余熱をたっぷりと残していた。
ポンバル太郎の店先では、打ち水する剣が楽しそうに柄杓を振っている。水遊びに覗かせるあどけない素顔は、所詮、小学生6年生である。

 水しぶきが通りを濡らすと、薄い湯気が夕暮れの中にほのめいた。バケツ三杯の水で店先を湿らせた剣が満足げに頷いた時、肩越しに太い声が飛んで来た。
「おう、剣。水がもったいねえからよ。ほどほどにしときな」

 振り返ると、火野銀平が日焼けた鼻筋を市松模様の手ぬぐいで拭いていた。体から魚臭さがもう抜けているのは、仕事上がりにひとっ風呂浴びたからだろう。
「どうしてさ。築地の市場だって水洗いが大変だから、ジャンジャン使ってるんでしょ? 銀平さん、言ってることが矛盾してるじゃん」
「屁理屈をぬかしやがる。俺たちゃ節約して、仕事に必要な水の量で止めてんだよ。毎年、東京の夏の水不足は深刻になって、行政からもうるさく言われてんだ。それによ、酒造りだって、米造りだって、水が足りなきゃ困っちまうじゃねえか」

 強めの口調で銀平が剣をとがめると、そのようすを一瞥しながらポンバル太郎へ入る男がふっと笑みを浮かべた。垢抜けない六十路の容姿に、旧式のボストンバッグが似合っていた。
「それは、そうだけど……気をつけるよ」

 渋々バケツを片づける剣の尻を、銀平は分かればいいと言う顔で軽く叩いた。二人が店に向かうと、今しがたの男が扉を開けたまま待っていた。
「こりゃご親切に、すみませんね」
「いらっしゃいませ。ありがとうございます」

 銀平たちの礼に男が満面の笑みを返すようすを、カウンターの中から太郎が見つめていた。太郎の前に座る平 仁兵衛は「なるほど、教師然とした方ですねぇ」と、男の素性を太郎から聞いていたらしく得心顔でつぶやいた。
太郎の視線と男の視線が、合わさった。
「水を大切にするお客さんがいらして、嬉しいですよ。太郎さん」

 男は懐かしげな面持ちで、太郎に頭を下げた。頭のてっぺんは、ほぼ白髪が占めている。
「お久しぶりです、鏡田さん。富山はフェーン現象で、そろそろ蒸し暑くなりそうですね」

 太郎が会釈を返すと剣は「鏡田?」とつぶやいたが、途端に表情を引き締め、男のボストンバッグを預かろうとした。
「あっ、あの! お荷物を、お預かりします!」

 よほど緊張しているのか、鞄を取ろうとして焦る剣に銀平が顔をしかめた。しかし鞄がズッシリと重いようで、つんのめった剣は鏡田に体を預ける格好になった。
鏡田の体から、麹米のような甘い匂いがした。
「剣君、大きくなったね、私のことを憶えていますか。しょうず、持って来ましたよ」

 鏡田は鞄を開けて、一升瓶を取り出した。何の変哲もない茶瓶に、清水とだけ書いた白いテープが貼ってある。
「ふ~ん。清水と書いて、しょうずか。風流ですね……てことは、さっきからの話しによると蔵元さんですかい?」

 銀平の問いに鏡田は表情をほころばせつつも、首を横にふった。
「新米の蔵人になりたての、元・小学校教師ですよ」

 鏡田の答えに、銀平だけでなくテーブル席に座る客たちも好奇の目を向けた。
「へぇ、小学校の先生? そんじゃあ定年退職して、酒造りを始めたわけか。そりゃ、てえした覚悟ですね……それにしても、どうして太郎さんと御縁があるの?」

 銀平が顔を向けると、太郎はかしこまっている剣を見つめながら言った。
「俺じゃなくて、きっかけは剣なんだよ。小学一年生の時、剣が学校から風船の手紙を飛ばして、それが黒部市の小学生に届いた。その子の担任が、鏡田先生だったのさ」

 感心する客たちの視線に、鏡田は照れ笑いを覗かせた。のぼせたように真っ赤になる鏡田を、平がおだやかな目元で見ていた。
「私は、手紙の内容に驚きましたよ。小学一年生が、日本酒の知識や居酒屋の夢を書いていた。それに、酒の仕込み水のことも。黒部は湧き水の町だし、酒の蔵元もあります。だから、これは縁だと思って風船の住所に手紙を書いたのです。その夏に太郎さんと剣君、そして、ハル子さんも黒部にいらしたんです」

 その時に太郎一家が気に入った黒部の湧き水を、鏡田は持参したのだった。

 ハル子の名が聞こえた時、剣が小さくため息を吐いた。それに気づいた銀平が 
「へぇ、そりゃ初耳だ! ポエムだねぇ、ロマンだねぇ。いやぁ、今夜は富山のうまい酒が飲みてぇな」
 と声を高めた。銀平の気遣いを推し量った平も、口を開いた。
「鏡田さん、しょうずのことを教えて頂けませんか」

 平の声かけに、テーブル席の客たちも水のグラスを欲しがった。

 剣がしょうずをグラスに注ぎ始めると、鏡田は黒部の風土を語り始めた。
「私の暮らす黒部市の生地(いくじ)には、自噴する井戸場が20ヵ所ほどあります。天然の地下水で、黒部市の後ろにある立山連峰からの雪解け水が涌いています。日本アルプスに染み込んだその水は、100年かけて地下をめぐり、澄んだ水になっています。それを生活用水はもちろん、酒造りや工業用水にも使っています」

 鏡田は、アルプスの溶岩流が固まった地下水脈のおかげで、しょうずが生まれると言った。
「じゃあ、涸れることのない地下水なんだ。井戸も共同で使ってるんでしょ? それに、タダですね。いいなぁ」

 テーブル席の一番若い男性客が軽口を叩くと、太郎が情けない顔つきになった。
「そうですね。都会の皆さんからは、羨ましがられます。ですが、過去には豊かな雪解け水が悩みのタネでもあったんですよ」

 すんなりと受け流す鏡田は、その言葉を聞き慣れているようだった。
腕組みをして聴く銀平が訊ねた。
「それって、黒部ダムと関係あるんじゃねえの? 黒部ダムって水力発電のためだけじゃなくて、洪水を防ぐ狙いもあったって聞いたぜ」
「はい、その通りです。黒部川は、別名、暴れ川です。急峻な日本アルプスから一気に水が下るので、雪が多い年は被害が甚大だったそうです。それに今も町には、黒部川の伏流水や地下水脈による潟や沼がたくさんあります。ましてや、冬はどんよりと曇った雪の降る毎日ですから、住民の気持ちは暗くなりがち。ですが、そんな時こそ地元のお母さんたちは井戸端に集まって、野菜を洗ったりしながらおしゃべりを楽しみます。しょうずは湧き水だけでなく、大切な生活基盤でもあるのです」

 おっとりとしながら、それでいて理路整然とした鏡田の解説には、生真面目で誠実な人となりが滲み出ていた。
静まっている店内に、平の拍手が響いた。
「いかにも学校の先生らしい、とても解りやすいお話しですねぇ。いや、敬服いたします」

 一升瓶のしょうずを客たちはあらためて口にしながら、その澄んだ味わいに頷いた。

 剣がそのようすを目にして、嬉しげに言った。
「あの時、鏡田先生から、井戸水のしょうずは一年中凍ることがないって聞いて、ビックリしちゃったんだ。だから、お酒造りにも便利なんですよね」
「ええ、確かに自社にしょうずの井戸を持っている蔵元さんは、仕込み水も洗浄水も使い放題ですね」
 鏡田の答えに、しょうずの瓶を剣から奪った銀平が不服そうに反応した。
「なんだよ、それなら水道代いらねえじゃん。だったら、もうちったぁ酒を安くしてくんねえかなぁ。鏡田先生が蔵人になったら、そうして欲しいね」
 平が「あっ、それを言ってしまいましたねぇ」とため息まじりにつぶやくと、テーブル席の客たちも苦笑いを洩らした。
 飽きれた太郎が、しょうずの一升瓶を銀平から取り上げた。
「まったく! おめえはホント、無粋な野郎だな。しょうずの価値が解るまで、今夜は水道水だけ飲んでろ!」
「そ、そんなぁ。富山の酒も飲ませてくれよぉ」
 それを見つめる鏡田の笑顔が、グラスのしょうずの中で優しげに揺れていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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