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Vol.68 石臼

 居酒屋通りに木洩れ日を揺らす街路樹から、蝉しぐれが降っていた。日曜日の夕刻、人影の少なさからか蝉は奔放に鳴いている。その中をジーンズにTシャツ姿、首からデジタルカメラを提げた雑誌記者のジョージが小走りしていた。

 ジョージがポンバル太郎の扉を開けると、蝉の声を忘れるほどの物音が店内に響いていた。カウンターでは、厨房の中を覗き込む常連客の背中が揃っている。
新聞紙を敷いたテーブル席には、朱色の一尺八寸の蕎麦こね鉢や延し板が用意されていた。
「おう、もう始まっていますか。太郎さん、ちょっと待って! 写真、撮らせてください」
「ジョージ、遅せぇじゃねえか! 江戸っ子の蕎麦は挽き立て、打ち立てが肝心なんだ。トロくせえことをやってちゃ、風味が逃げちまうぜ」

 豆絞りの手拭いを鉢巻にしている火野銀平は、あたかも蕎麦職人といった風貌でジョージをたしなめた。
今夜は、太郎が企画した蕎麦の会である。
蕎麦猪口を手元にして待ち構える平 仁兵衛や右近龍二、菱田祥一の視線の先に、太郎の回す石臼がゴリゴリと重たげな音を発していた。大型の臼のすき間から吐き出される蕎麦の粉を、剣が丁寧に寄せ集めていた。
「十割蕎麦は、久しぶりです。それにしても、この石臼は趣きがあって、なかなかによろしいですねぇ」

 古めかしい石臼の肌には、彫り物がほどこしてあった。

 平の声にファインダーを覗いていたジョージが瞳を凝らすと、臼の表面の凹凸は戦国期の騎馬らしき造形を描いていた。
「これは、いつの頃の臼ですか?……私の見たところでは、サムライの軍団みたいですね。太郎さんはどうやって、この臼を手に入れたの?」
ジョージがカメラの焦点を絞った時、玄関から通りのいい声が聞こえた。
「それは、うちの先祖が江戸時代に相馬藩から酒株と一緒にもらった物。父がオブジェにどうかって、太郎さんに送って来たの。当時、うちは酒造りの米を、そんな石臼を何台も使って磨いてたの。もっとも、灘や伏見の大きな蔵元は水車や牛馬を使って米を搗かなきゃ、量が間に合わなかったでしょうね」

 そのまま振り返ったジョージのファインダーに、カジュアルなショートパンツ姿の高野あすかが笑っていた。蔵元の娘を感じさせる白い肌の美脚に、龍二や菱田が目のやり場に困った。銀平などはドギマギして、茹でたタコのように赤くなっている。
「あすかちゃん、ますます磨きがかかって、よろしいですねぇ。ジョージさん、蕎麦の撮影もいいですが、あすかちゃんも日本の伝統が生み出した美しい被写体ですよ。しかし、この石臼がそんな年代物とは驚きですな」

 平は年甲斐もなくあすかの肢体に目尻をほころばせたが、その視線は孫娘の成長を愛しむかのようだった。
「あら、先生。今の精米機の原理だって、石臼の応用なんですよ。もっとも、磨く精度やスピードは比べ物になりませんけど」

 あすかは答えると、黙々と石臼を挽いている太郎を一瞥して言葉を続けた。まだ蕎麦粉が仕上がるには、時間がかかりそうだった。
蕎麦粉を集める剣は、あすかの声に聞き耳を立てていた。
「石臼や杵で搗いた江戸時代は九割ほどの粗い精米だったし、酒造りに使うのも飯米でしょ。つまり食べる米と同じですから心白はなく、米の旨味と雑味が米粒の全体に広がっていたの。それに、磨けないから玄米の茶色が残った酒が多かったの」

 米を磨く動力源には水車が普及し、蔵元の多くは川べりに酒蔵を立てた。これによって米磨きだけでなく、船を使った原料米の運び入れや酒樽の出荷も一石二鳥になったとあすかは補足した。
その間、ジョージはあすかの豊かな表情に、何度もシャッターを切っていた。
「なるほど! じゃあ、今みたいな精米歩合の吟醸仕込みは、最初、どうやって精米したの?」

 菱田が手元にある純米吟醸の四合瓶を手にしながら、50%精米歩合の表示に目をやった。
「それこそ、ジョージのお国のおかげよ。だって、当初の精米機はアメリカ製の小麦ミルを改良した物だったの。しかも大正時代にやっと一台、日本に輸入された高級品だしね」

 あすかは答えると、ジョージの首からカメラを奪って太郎の横顔を撮った。
石臼の振動が、太郎の額から大粒の汗を落とした。もうすぐ、蕎麦粉は仕上がりそうだった。
「へっ? そうなのですか? 僕は、まったく知りませんでした。でも、言われてみれば、アメリカの小麦の製粉技術はヨーロッパから移入されて進化してましたから、あり得ますよね」

 メモを取るジョージに、落ち着かないようすで蕎麦粉を待っている銀平が口を挟んだ。蕎麦こね鉢を握る手は、あすかに早くいいところを見せたいのか、うずうずしている。
「けどよ、今の精米機は最先端機器だけど、そう簡単に大吟醸クラスまでは磨けねえんだぜ。30%精米にもっていこうとすりゃ、少ない量でも三日間はかかる。しかも米の種類や状態によっちゃ熱を持つから砕けやすい。だから、精米機の調整が難儀なんだ」
最近、五百万石を主に使う蔵元を龍二と見学したばかりの銀平は、自慢げに講釈を続けた。
ただでさえ五百万石は精米しにくく、割れやすい。それを「胴割れ」と言う。だから大吟醸には向かず、50%精米がちょうどいい。しかし、去年のような長雨が続くと米の出来栄えがイマイチで、モロミにした時はとけやすくなる。米の質をつぶさに観察しながら精米するのは地味な作業だけど、淡麗な美酒を造る基本中の基本だと説いた。
いつにない銀平の理にかなった話しを、受け売りと知りながらも、平や菱田が感心した面持ちで頷いた時、
「よし! 挽き上がったぜ。そんじゃあ、銀平名人に蕎麦を打ってもらおうじゃないか」
 と太郎が汗を拭った。
「ちょっと、待ったぁ! 銀平さん、肝心なことを忘れてるよ」

 剣が蕎麦粉だらけの手のひらを、銀平の目前に差し出した。
「な、なんでぇ?」
「仕上げの“からし”が抜けてるよ」
「からしだぁ? お前、なに言ってやんでぇ! 蕎麦には、ワサビだろうが」

 銀平が、小馬鹿にした顔を剣に突き出した。すると、飽きれ顔のあすかが銀平の横に頬杖を突いて言った。
「あのさ、からしって、さっきの精米の仕上げのお話しでしょ。せっかく磨いた酒米も、冷暗所にひと月ぐらい冷ましておかなきゃダメになるじゃないの。それが、からしって工程でしょ。水分だって、摩擦熱で不足してるし……って、蔵元さんは銀平さんに教えたはずよねぇ」

 あすかが上目づかいで冷やかすと、銀平はさっきにも増して顔を火照らせた。
「あはは。皆さん、お見通しですね」
 つい口をすべらせた龍二を銀平が睨みつけると、太郎がさらにイジった。
「まっ、いつだってカッカしてて水っ気の薄い銀平には、からしが足りねえかもなぁ」
 しかめっ面の銀平の前に山盛りの蕎麦粉が詰まれると、平が楽しげに口を開いた。
「じゃあ今夜は蕎麦を打ったら、カウンターの隅っこでじっと身をからしてもらいましょうかねぇ。打った蕎麦は、全部、私たちが食べますから」
「ひひぇ。勘弁してくださいよ」
 ポンバル太郎に響く懐かしい石臼の音が、賑やかな笑い声に変わっていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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