TOP > ポンバル太郎 > 第72回 ときしらず

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Vol.72 ときしらず

 東北の夏祭りのニュースが報じられた8月末、ポンバル太郎では、早くも「ひやおろし入荷しました!」の張り紙が出された。太郎の筆字の横には「熟成したひやおろしの旨味で、夏の疲れを癒してね」と剣のふぞろいな墨書きも並んでいる。

 テーブル席の三人の男たちが、それに目を細めながら剣の姿を探した。垢抜けないラフな服装と風貌から、太郎は彼らの二度目の来店に気づいた。夏バテか、三人とも薄いクマで目元はくぼんでいた。

 剣のいなせな臥煙のTシャツ姿は、最近、一見客を常連に変えるほど人気である。

 だが、いつもなら真っ先に注文を訊きに来る剣が見当たらない。カウンター席に今しがた座った右近龍二も、ひやおろしの山廃純米酒を注文しながら厨房に視線を動かした。
「太郎さん。剣ちゃんは今日、お休み?」
「ちょいと、築地まで出かけてる。冷やおろしにピッタリの魚が、偶然、手に入ったもんでね」

 答える太郎の手が、その献立を新しい値札に書いている。
「こんな時間に? ってことは、銀平さんの所か」

 龍二のつぶやきに応えるかのように、背後で玄関の鳴子が勢いよく音を響かせた。火野銀平の開け方にちがいないと、龍二は背中で笑った。
「お待たせ! ときしらず様の登場でぇ」

 銀平の後ろで、重たげなビニール袋を両手に提げた剣が顔をゆがめていた。テーブル席の男たちは、ハッと顔を見合わせた。

 ふと、三人の表情がよく似ていると太郎は思った。
一番若い茶髪の男が立ち上がると、剣の手からひと袋を取って運んでやった。男は一瞬、袋の中を目で探ると、嬉しそうに問わず語った。
「ときしらずの脂がのったハラミ、最高だよ。醤油をかけると、脂に弾かれて玉になるんだよね。確かに、この旨味とひやおろしは抜群の相性だ」

 笑顔を向けられた剣がしきりと相槌を打つようすに
「へぇ、お客さん。やけに詳しいんですねぇ。ひょっとして、北海道のご出身ですか?」
 と太郎も感心した。奇をてらわない素朴な赤ら顔の三人を、太郎はそう見て取った。
龍二がテーブル席に視線を投げると、残りの二人は気恥ずかしげにうつむいた。テーブルの上で組んだ太い指が、赤銅色の肌に深いしわを刻んでいる。
「そうです。俺たち道産子にとって、ときしらずはソウルフードですから。中でも、地元の釧路や根室沖で獲れる物が最高です」

 自慢げに若い男が答えると 
「ご名答! そいつは正真正銘、釧路の定置網で獲れた近海物だ」
 と銀平も口を丸めた。そして、テーブル席に向かって講釈をたれた。
釧路の定置網の漁場は、浜から近いのですぐに水揚げできる。さらに、その日のうちに水揚げする日帰り漁船を持っているから、遠洋の冷凍物とは別格の美味しさだと剣の袋から赤い切り身を取り出した。
龍二も日帰り漁船までは知らなかったようで
「じゃあ、それって今朝獲れたときしらずの空輸物ですかぁ!」
 と舌なめずりをした。

 ところが、男たちは一様に表情を曇らせた。
「……その船、“以西船(いせいせん)”て呼ぶんです。俺たちは以西船を兄弟で持っています。この一週間、小型サケマス漁業の会合で東京に滞在しています」

 口を開いたのは、ごま塩頭の四十がらみの男だった。男は日高 正雄と名乗り、三十歳半ばとおぼしき次男は和男、茶髪の三男は義男と、太郎たちに会釈した。船の名は明神丸で、10トンの小型船。太平洋の二百海里内を操業する船だった。最近は、脂がのるように養殖されたノルウェーサーモンの輸入が増え、ますますときしらずの市場は厳しくなっていると嘆いた。
「確かに、回転寿司とかノルウェーサーモンが定番人気だな。でもよ、所詮は湾内の養殖物だ。天然物のときしらずとは別物だぜ」

 火野屋の沽券にかけても養殖サーモンは扱わないと、したり顔で銀平は胸を叩いた。日高兄弟は銀平が築地・火野屋のオーナーと知り、心細さの中でようやく味方を得たように顔をほころばせた。
「日高さん。ちょいと待っててくれるかい。おもしれぇ物を食べてもらおう。龍ちゃん、酒びたしをやるから、ひやおろしを選んでくれねえか」

 太郎が龍二に目配せをした。

 龍二は心得たとばかりに片目をつぶり、冷蔵ケースの中を物色すると北海道の純米酒を選んだ。釧路の小さな蔵元の酒に、和男がつぶやいた。
「おっ! おお、これはうちの近所の蔵元だぁ。こったな所に、あるんだね」

 腰を浮かせて驚く和男に続いて、正男と義男も目をしばたたいた。

 太郎は厨房の冷蔵庫から赤い魚の切り身を取り出し、鉢に置いた。
「こいつは、冷凍のノルウェーサーモンでも天然物だ」

 日高兄弟の顔色が変わると、太郎は剣の持ち帰ったときしらずも別の鉢に入れ、両方に釧路のひやおろしを注いだ。それを無言で見つめる兄弟に、銀平と龍二が顔を見合わせほくそ笑んだ。熟成したひやおろしで酒びたしにすれば、魚や肉の旨味をぞんぶんに引き出すことができるのだ。
5分ほどの静寂が流れた。太郎は赤い切り身をすくい上げると、炭火のいこった竈に入れた。炙られる切り身の脂がジュンと音を立てるたび、すでに食べ比べを悟っている日高兄弟は固唾を飲んでいた。
焼き上がった切り身を、太郎は剣に運ばせた。二つの皿がしたたる脂を溜めていた。
ときしらずの脂は澄んだ金色で、ノルウェーサーモンのは茶色がかっていた。
「身を食べる前に、まずは、その脂をなめてみてください」

 太郎の声に、兄弟たちは皿に指先をつけた。口にするなり、「うぉ!」「あっ!」「こ、これは!」と血相を変えて唸り込んだ。
「ときしらずの方は、ほどよい脂で旨い! ノルウェーサーモンは、濃くてコッテリしてる……でしょ?」

 感想を代弁する龍二に、声を失っている兄弟たちが首をたてに振った。竈の炭火が爆ぜて、その余韻が消えると太郎は説いた。
「日高さんたちには釈迦に説法だが、ときしらずが食ってるのは親潮や黒潮で育った小魚だ。つまりノルウェーサーモンとは、脂になる餌がちがうってわけだ。ただし、日高さんたちはその滋味を感じ取れても、東京に暮らす人たちには判りにくい。だからこそ、食材の味や特徴を生産者が直接、きちんと伝えなければいけないんだ。以西船の漁師の顔が見える、声が聞こえるときしらずなら、もっと売れますよ。ちなみに、この釧路のひやおろしはまず東京では手に入りませんから、うちが蔵元と直接取引して、この時期だけ分けてもらってます」 

 太郎が剣に一升瓶を渡すと、日高兄弟のグラスになみなみと酒が注がれた。
三杯ともこぼすことなく表面張力でピタリと満たす剣に、義男がつぶやいた。
「なるほど……剣君だってここまでできるんだから、まずはやってみなきゃね。兄貴たち、漁協に任せっきりじゃダメだよ」

 兄弟を諌めた義男は炙ったときしらずを口に放り込むと、釧路のひやおろしを喉に流し込んで拳を握った。北の漁師の血潮が、その飲みっぷりに顕れていた。
「せっかく東京に来てんだ。うちでよけりゃ、PRをやってみませんか。おい銀平、しばらくの間、釧路のときしらずは火野屋を通して引っ張れるだろう」
「あたぼうよ! 任せときな」

 太郎の声を待っていたかのように、銀平が胸を叩いた。
龍二は山廃純米酒を飲み干して、日高兄弟に敬礼をした。

「僕はメニューを太郎さんと考えて、店頭用のチラシを作ります」
「OK! じゃあ、ときしらずキャンペーンのポスターは、僕が書いちゃう!」
 得意顔の剣が、腕まくりをして小さな力こぶを作った。
「あのう……俺たちはどうすべか」
 嬉しくも困り顔の正雄に、太郎がほほ笑んで答えた。
「釧路のひやおろしをお客さんに注ぎながら、ときしらずの魅力や日高さんたちの苦労話をしてください。きっと美味しいって、ときしらずファンになりますよ」
 その時、扉が鳴って女性の甲高い声がした。
「あっ! 美味しそうな匂い~! これって、鮭の脂じゃないの」
 高野あすかの登場に、銀平と龍二が声を揃えた。
「ほら! もう一人、頼れるPRのプロが来たぜぇ」
 キョトンとするあすかの瞳に、日高兄弟の満面の笑みが映っていた。

*この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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